93.仮定
このままでいられたら、とはどういう意味なのだろう。このままじゃいけないというのも。
このときはまだ、ベルの苦しみがボクには分からなかった。
「この眼は全てを見通します。相手を見れば、どうやって戦うのか、どんな人生を歩んできたか、おおよそ分かります」
それが、誰かを傷つけてしまうのだろうか。
「グラケーノさんは自我が本当に未熟で、幼児そのものです。それなのに、不相応なくらい大きな力が与えられています」
力の大きさに対して、戦闘技術の欠落ぶりがそれを物語っている。千年前の忌み子との大戦で、人と魔のどちらも殺せなかったというのも、心の幼さゆえである。
…しかし、殺せと命じれば何の躊躇もなく殺しただろう。それがグラケーノの弱さであり、危うさだ。
「ヒグレは出生ゆえ、幼い頃迫害を受けました。そのトラウマに今も苦しめられています。…無論、それ以外でも」
トラウマは分かるが…それ以外は分からない。
ボクの願いを断ってしまいたいのだろうか。それなら、言ってくれればボクはそれで構わないのだが…。
「お嬢は本当に、十年の歳月を剣に捧げています。命がけで、本気で、陛下と再開するために…今も、陛下を殺すために」
初めて会った夜。別れ際に言った言葉。小さな子供の前で、つい心が緩んで口からこぼれ落ちたもの。
誰にも負けないくらい、強くなってほしい。
ボクにも負けないで、その刃で、魔王の枷を断ち切ってはくれないだろうか。
無神経にも、そう思ってしまったのだ。
そして再開して、あの日のことを思い出して。本当に、強くなって会いに来てくれたんだって思うと、嬉しかった。
この左腕の火傷も。これを見るたびに、ようやく死ねるんだって思えて、嬉しかった。
死ぬ前に、魔王としての教育もしないとな、なんて考えて。
「陛下は数え切れないほど殺め、その身を傷つけてきました。その結果感情の一部が欠落し…こんな、おかしな関係が生まれてしまいました」
感情の一部とは、おそらく死への恐怖だろう。
魔王になる前は、戦いの中でも死の直感があった。それで何度も死線をくぐり抜けてきた。
でも魔王になってから、そういうものが一切感じられなくなった。
血が流れても、痛くても、苦しくても。死とは程遠いきがして。自傷は、ベルが来てからはひかえていたはずだが…。
おかしな関係とは一体何なのだろう。
城に招き入れ、友達になって。ボクを殺してほしいと頼む関係のことだろうか。
「死にたい魔王と殺したい勇者。魔王を殺すために救われた者。こんな珍妙な関係が、どうして成り立っているのでしょう?」
言われてみれば、そうだ。
単純に考えれば、ボクが死んで物語は一瞬で閉幕する。なのにどうして、ボクたちはこうして成り立っているのだろう。
「理論が成り立たないのであれば、どこかの仮定に誤りがあると考えるべきです」
間違っているのは、どちらなのだろう。
ボクが死にたがっていることか、ミコトが殺そうとしていることか。
そのときのボクには、まだ分からないのであった。




