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蝙蝠男

作者: 竹下博志

「清水君見たって。」

給食が終わり、夏休み明け、昼休みの騒がしいクラスの中だった。隅のほうで何人かが顔を突き合わせて、いかにも内緒だと言わんばかりの話をしている。ひそひそ声で話すべきところだが、小学生の声なんて声変わり前なら、どこに居たって貫くように聞こえてくるのだ。

「何?何見たん?」浩二は当然気になってその輪の中のほうに声をかけた。今、博之と将棋を指しているのだ。博之はこぶしをあごの下に入れて熟考中である。博之は熟考タイプだ。常に何手か先を読もうとする。反対に、浩二は行き当たりばったりの打ち手だった。感覚で一手先しか読まずに打ってしまう。二手先三手先を読むなんてとんでもない、そんなことできるわけないよ。と、浩二なら当たり前のように言ってのけるだろう。博之はいつも呆れるのだ、定石を外した手だがどうやら勝負が互角のところを見ると、なかなかどうしてまんざらでもない打ち手らしい。だから、それだけに負けられないというわけで、博之の長考もどんどん長くなる。

「浩二には言わん。お前考えなしに誰彼となくしゃべるやろ。」これは隆一である。

隆一はこの三年一組の教室で、リーダー的存在だった。小学校三年生と言えば、子供時代真っただ中といった感じだが、隆一だけは大人びていて、ちょっとほかの生徒たちとは違っていた。三年生の時分からもう中学校に行かないことは本人もわかっていて、親の仕事を手伝うのだと皆には言っていた。どんな仕事なのか、どうして義務教育を受けないで済ませられるのか、詳しいことは皆わからなかったが、そういうことらしかった。もうすでに休みの日なんかは手伝いに出ていた。家は府営住宅で、お金持ちではなかった。どっちかというと貧しい暮らしだった。いつも同じ服を着ていて、生活は地味だったが、年中真っ黒に日焼けしていて、笑うと白い歯が印象的で、スポーツマンだった。成績も良く、女子からの人気もあって、バレンタインの日にはチョコが幾つか机の中に入っていた。ちなみに浩二も博之もまだもらったことがない。三年生でバレンタインなんて、結構ませたほうなのだ。

その隆一はどうやら話を広げたくないらしい。いじわるで言ってるわけではないのだ。あくまでも彼はさわやかな男なのである。

「言わんよ。絶対。約束。隆ちゃんとの約束は守るから、俺。」これは浩二である。こういう返しも結構、とっさに出てくるタイプだ。あまり物事を色々と考えているわけではなく、後で忘れていることも多い。常にその場しのぎのタイプなのだ。

隆一も、博之も苦笑いをしている。またか、といった感じだが、聞こえてしまったものは仕方がない。こういうことを簡単に引き下がるような浩二ではないのだ。面白そうなところには必ず首を突っ込みたいほうなのだった。

「将棋止めてこっち来いよ。」隆一が折れた。

「やった!行こう、博之。」

輪を作って話をしていたのは、足立、山田、山本、辨崎の四人と、隆一だった。

ここに浩二と博之が参加する。清水からの話を聞いたのは、足立だった。

隆一が話を続けるように足立に目配せする。

足立は目の大きな、色の白い、きゃしゃな人形のような子供だった。

「幽霊屋敷あるやろ。あそこに居るらしい。」

幽霊屋敷というのは火事で焼けた廃屋である。線路のわきにあって、線路側からだと侵入できる。全損ではなく半損程度で屋根は落ちていなかった。すすだらけで、真っ黒になった壁や柱が気味悪い。昼間でも真っ暗なのだ。別に幽霊が出るわけではなかったが、そう呼ばれていた。小学生の男の子にとっては良い遊び場だったのだ。もちろん大人に見つかれば怒られる。

ここにいる全員が行ったことがあるはずだった。

そういった連中が集まる中、誰かが我慢できなくなったらしく、台所らしき所にはうんこがしてあった。浩二がふざけて、うんこ燃えるかなあと言いながら火をつけたこともあった。ちなみにうんこは燃えなかった。家中にうんこの悪臭を広げただけだった。

「だから、何が?」これは浩二である。博之は黙って聞いているだけだ。

その件に関してはほかの五人は既に承知しているようだ。

「蝙蝠男や。」隆一が答える。

「ありえへん。」博之が冷静にコメントする。「それを見たの、清水やろ。」

清水というのはこのあたりのガキ大将である。博之と隆一は清水と呼び捨てだが、他の連中は清水君と君付けで呼ぶ。けんかっ早くて、腕っぷしも上等だった。一番恐れられたのは物事への発火点が不明確だったからだ。とんでもないところに地雷があって踏んだら不幸としか言いようがなかった。ちなみにこのあたりの小学校では、韓国人はけんかが強いことになっている。清水はおそらく日本人なのだが、箔をつけたくて自分のことを常日頃から韓国人だと言っていた。そんな清水は見栄っ張りで、明らかにわかるうそを日常的についていた。嘘をつくときには目を剥いて唾を飛ばしながら話すのだが、そのことを指摘した人間は誰もいなかった。

「そやけど、高橋姉妹も見たって。」これは辨崎。辨崎は隆一の一番の親友である。いつも一緒に居て、やはり色が黒くて足が速く、スポーツマンだった。みんなで遊んでいた時に、置き引きをされたことがあった。もちろん小学生だから、盗まれたのはカバンではない、ブルマークのソフビ人形のゴジラである。その時に追いかけたのが辨崎だった。盗んだ側は高学年だったようで追いつかなかったが、辨崎が追いかけて追いつかなかったのだから仕方がない、諦めよう、最善は尽くした、と皆が納得したくらい足が速い。

高橋姉妹というのは双子の姉妹である。二人とも別々のクラスで、ともに学級委員をしている。上品で真面目だが、嫌みなところがちっともなく、穏やかでにこやかで、模範的、この二人に何か言われて反論する気には誰もなれないのだった。もちろん口の悪い男子はこの姉妹をバルタン星人と呼んでいた。ところで、この話の時代にはまだスターウォーズが存在しない。ゲームといえばオセロゲームが最新のゲームだった時代だ。もちろんボードゲームのほうだ。この当時、韓国人をこの時代の小学生は朝鮮人と呼んでいて、さらに朝鮮人の集落を朝鮮部落と呼んで、恐れて近づかないようにしていた。隣町の付近がその点で言うと、危険だったが、そこにはひったくり実績日本一の立て看板の出ているリスキーな商店街が燦然と輝いていた。そんな時代の話なのだ。

まだ、大阪市内でも、小さな駅前だったら道路がアスファルト舗装でなかった時代だ。

「見に行こうや。」これは浩二。「今日、放課後に行こう。」もう興奮状態だ。

「授業するでー」藤岡先生が入ってきた。若くて、とても細い先生だった。色白で不健康そうで、胃が悪そうだ。分厚い眼鏡もしているので目も悪いのだろう。BMIの低いほうが高いよりも生存率が低いというデータの裏付け見本にすれば、ちょうどいい感じだ。でも生徒には人気があった。ところがあまりに入れ込みすぎて、父兄からクレームを頂戴した。あまりに一生懸命になりすぎるというわけのわからないクレームだ。もともと胃弱だった先生は一層胃弱になり、すっかり教師としての情熱を失うことになるが、それはまたこの後の話だ。父兄が教師をつぶしてしまうというのは、この当時から既にあったのだ。ともあれ、盛んな突込みと笑い声が絶えないという授業らしからぬ楽しい授業が始まった。

浩二はもちろん上の空である。高橋姉妹が見たとなると、清水の情報がいかにいい加減であろうと関係ない。蝙蝠男。想像してみるに、仮面ライダーの蝙蝠男が思い浮かぶ。だが、あんな感じでは見ただけでは済まされないだろう。見ただけで、頭からバリバリ食べられてしまうに違いない。しかし、高橋姉妹も、清水も無事だったところからすると、人畜無害な感じなのだ。当時、線路沿いのあの辺りは時折ルンペンが出没していた。ルンペンというのはドイツ語で浮浪者、程度の意味で、いわゆるホームレスである。まだホームレスという言葉は一般的ではないのだ。おそらくそのルンペンを、夕方か何かで薄暗がりの中、見間違えたのだろう、と思っている。まあ、それでも全然よかった。なにかに理由をつけて、ハラハラできればそれでいいのだ。むしろそれくらいがいい。本当にハラハラしたければ、隣町の商店街を一人で歩いて、ちょっと横道に入ればいい。どこからともなくカツアゲ集団がやってきて、大勢で取り囲んで、ハラハラさせてくれるから。だが、それでは困るのだ。

「おーい、浩二!」藤岡先生が呼んでいる。浩二は我に返った。

「また、空想の旅に出てたな。」クラスの全員が笑う。いつもの事だった。浩二の空想癖というやつだ。この癖は治らない。最終的には六年間ずっと、授業中にぼーっとしてることが多いです、と通知簿の連絡欄に書かれてしまうことになるのだが、それもまた後の話だ。

「ぼーっとしているように見えますが、ちゃんと聞いてますよ。」これは浩二の心の声である。だが実際、成績は中の下といったところ。やればできる子という自分に気が付くのは、さらにもっともっと先の話だ。

チャイムが鳴り、授業が終わって、ホームルーム、掃除当番なのに出て行く男子は女子に怒られながら、七人は外に走り出る。門のところまで走ると、前を一人の女子が歩いている。大柄で、男子よりも頭一つ大きい。

「恵子!」隆一が声をかける。山田と山本の二人はお互いに意味深な目配せをする。

恵子は隆一の机の中のバレンタインチョコの提供者の一人なのだ。ところが恵子はそのチョコレートに自分の名前を書かなかった。一つだけ送り主の名前のないチョコがあって、隆一も困ったのだったが、結局誰からなのかわからなかった。ところが、こんな秘密ごとには必ず通じている者がいるもので、それが、山田と山本というわけだ。この二人には女兄弟がいて、どうやらその線で、チョコレートの送り主を知りえたらしい。山本は女兄弟に囲まれて、一人だけ男で育ったせいか、少ししゃべり方がカマっぽいので、ストレートにおかまと呼ばれている。

もう一人の山田のほうは、剽軽でクラスの人気者だった。剽軽は狙っているわけではない。クラス会で颯爽と手品をすれば、水を漏らさない新聞紙という手品でクラスの床をビシャビシャにするという具合でどこか抜けているところがあった。本人はブルース・リーが大好きで、ブルース・リーになり切っていてカッコいいつもりなのだが、それもまた本人の意図とは違って、笑いを誘うのだった。例えば、ブルース・リーの様に奇声を発しながら手を振り回していて、壁を殴りつけてしまい、痛さでその場にへたり込むといった具合だった。

「隆ちゃん」恵子が振り返って、顔を赤らめた。もうこれだけで、チョコレートの送り主が誰なのかわかってしまいそうだが、そこは小学三年生である。その機微に気づくものは居ない。

ただ浩二だけはそれを分かり始めている。少し前に、何人かで自転車に乗って,河川敷の親水公園に行ったことがあった。その時には恵子もいた。小さな流れがあり、自転車は持ち上げて丸太の一本橋を渡らなくてはならない。他の者はそれを何とかやり遂げたが、浩二だけが出来なかった。自転車が大人用で大きくて重いのだ。浩二が困っていると、恵子が黙って引き返してきて、自転車を持ち上げて反対の岸まで運んでくれた。周囲に居た大人たちが、驚きの声を上げると、恵子は恥ずかしそうに先に進んでいった。追いついた浩二が礼を言うと、恵子はまた恥ずかしそうな顔をして黙っていた。女の子が力持ちで、男の子の自転車を運ぶというのはやはり恥ずかしかったに違いなく、そこは知らん顔をしていても良かったのだ。しかし、そこを知らん顔できないところに恵子の恵子らしさがあった。バレンタインのチョコレートに名前を書かないのだって、それはやはり恵子らしいという事なのだった。浩二はあれ以来恵子の事が気になって事あるごとに恵子のことを見てきた。浩二が恵子を好きとかそういうのではないが、地味だがとてもいい性格をしていて、見ていて気持ちがよかったのだ。その恵子はやはり隆一が好きなのだ。それは恵子を見て居れば一目瞭然だ、というのが浩二の見解だった。

ところが、当の隆一はわかっているのかいないのか、おそらくわかっていないのだろう。

そういった事にはまだ全然関心がなかった。それゆえの声掛けである。

「これから幽霊屋敷に行くねン。恵子も行くか?」隆一がさらに誘い掛ける。

「ええよ。あんまし遅くまではだめやけど。」恵子は隆一の幼馴染なのだった。恵子のことを恵子と呼べる男子も隆一だけだったし、隆一のことを隆ちゃんと呼べる女子もまた恵子だけなのだった。ちなみに恵子の苗字は須藤なので、他の男子は須藤と呼んでいた。

「これから見に行く蝙蝠男の話せえよ。足立。」浩二がせっつく。さっきは授業が始まったから、話が途中で終わってしまったのだ。自分も聞きたいし、何も知らなくて参加した恵子にも遠回しに気を使っている。

「蝙蝠男。何それ?」これは恵子だ。驚いているが当然だろう。

「幽霊屋敷で高橋姉妹が見たらしい。」隆一が慌てて、説明する。

「うそやろう。信じられへんわ。みんなで私の事からかってるのと違う?」恵子が横眼で全員の表情をなめるように見る。ところが、全員真顔である。こうなると、ちょっと当てが外れたような気がする恵子である。だが、そう聞いてもひるむような恵子ではない。体も大きいが、度胸も据わっているのだ。おそらく腕っぷしでは、この中で隆一に次いで強いし、足も辨崎ほどではないが速かった。砲丸投げだと、クラス一なのだ。その割に丸いほっぺで、かわいらしい顔をしている。特徴的なのは色素の薄さだった。髪も目も茶色に近いが、ただ、よく日焼けしているので、全身が茶色に見える。テディベアみたいだが、それを面と向かって言える男子はいない。

「仮面ライダーに出てくるようなやつ?」どうやら興味がわいてきたらしい。

「あれやったら形は人間やろ?着ぐるみやから、どうしてもそうなるわ。でもな、これ見てみ。」山田が懐から画用紙を取り出した。山田は絵が得意だった。どうやら、高橋姉妹に話を聞いて絵にしたらしい。そこには羽を広げた蝙蝠の絵と、ぶら下がっているところが描かれていた。どう見ても小学生の絵には見えない。図鑑の挿絵のような細かい絵だった。この方面にはどうやら才能がものをいうらしい。山田は自分の創作に関して一切の妥協をしなかった。対象物をとことん観察し、納得がいくまで描き続ける。だから彼の創作が絵にしろ、立体にしろ授業時間中に完成したためしはない。いつも時間をいっぱいまで使っても、ほんの一部しかできていなかったが、本人は平気だった。これはその完成形で、めったに見れるものではない。若冲の絵は誰も見たことがなかったが、見ていたらそこに共通点を見出だしたろう。

羽を広げたほうは見たこともないバランスの動物だった。羽は大きいが、体も長く、そして細い。テナガザルに羽をつけたような感じだった。一方ぶら下がっているほうは蝙蝠傘そのものに顔が付いている感じだ。もちろん胴の太さはそれなりだが、この形を見せられて蝙蝠傘の説明を受けても納得できる範囲だ。通常の蝙蝠は傘とは全く似ている点がないから。

「体の重さはわからんけど、この羽やとぎりぎり飛べるくらいやな。長距離の移動や高速の移動は無理やろう。」工作が好きで、特に紙飛行機や凧好きの足立が言った。

さすがという風に全員がうなずく。こんな考えは常に空を飛ぶものを作り続けている人間しか浮かばない。

「重たいものを運べるようにも見えへんな。なんせガリガリや。」博之が長考の後、誰に言うともなくつぶやいた。

「顔が気持ち悪い。」これは山本、話すたびに腰をくねらせるので余計におかまっぽい。

「ぺスターやな。この顔は。」ウルトラマン好きの浩二が言う。ぺスターというのはヒトデの体に蝙蝠の顔が付いている。ウルトラマンに出てきた怪獣だ。

「羽を広げたらトラックの幅くらいあったって。背丈はちょうど僕ら位や。羽は薄かったらしいけど、絵では表現できんかった。」山田が高橋姉妹から聞いた情報を披露する。

「蝙蝠って本当にさかさまにぶら下がるんかな。」もう一つの絵を見ながら、辨崎が言う。

ここら辺に居る蝙蝠は、ネズミに羽の生えたようなやつだ、時々夕方になると飛んでいる。壁に張り付いているのを見たことがあるが、さかさまに張り付いたりはしない。

「最初は軒下にこの格好でぶら下がってたて。ほんで、びっくりして大声上げたら飛んで逃げたらしい。」これもまた高橋姉妹情報だ。

「蝙蝠男ではないなあ。これはオオコウモリや。」あごの下にこぶしを持ってきて、長考スタイルの博之が言う。

「新種の生き物や。それはそれでおもろい。」隆一が言う。

「こんな大勢で近づいたら向こうもびっくりするわ。」恵子が隆一にかぶせて言う。ちょっとしたシンクロに顔を赤らめるが、これも浩二以外には気づかれない。

皆して線路道を歩いていると、向こうに黒焦げになって半壊した建物が見えてきた。もう火事になって相当経つのだろう。庭木の手入れをする人間がいないため、敷地の中は草木がうっそうと茂っている。夏休みはもう終わってしまったが、セミはまだ、やかましいほどに鳴いている。コオロギにはまだ少し早く。キリギリスは終わってしまった。そんな時期である。

皆して、あたりを見回す。誰もいなかった。線路は枕木と同じ材質の木材で囲まれて、有刺鉄線が張り巡らされているが、隙間だらけだった。その隙間から、線路内に入り込む。鉄粉を浴びて茶色になった敷石を踏みながら幽霊屋敷のほうに近づいていく。裏から回り込むと、ガラス類はすべて砕け散っていて、枠だけが残っていた。アルミサッシとかではなく、木枠の窓である。壁の一部が崩落していて、大きな穴が開いている。火事で空いたものか、誰かが侵入のためにあけたのかは定かではないが、ちょうど一人ずつ通れる大きさの裂け目があって、そこから順番に入っていった。

「まだうんこのにおいしてるな。」浩二である。

「お前が火、つけるからや。」辨崎が握りこぶしでどつくふりをする。

「何もいないな。」隆一がぽつりとつぶやく。

「あの角の軒下や。」道路から見える軒下の部分を指さして山田が説明する。

「これは蝙蝠の糞かな。」足立がその下まで行って、地面を指さした。

「フクロウとかやと、食べたネズミとかの毛玉が糞に混ざるもんや。これは何かの種やな。果物食べてるかもしれん。」足立がさらに続けた。

「足立、結構マニアックやな。すごいわ。専門家や。」山本がはやし立てる。

「うん。動物好きやねん。」足立が白い顔の頬だけをピンクにして、笑顔で応える。

本当に人形のようだ。

皆がそれぞれに好き勝手にしていた時だった。

「や!」浩二である。叫んだかと思うと急に地面にへたり込んだ。

「なんやねん?脅かすな!」

それぞれが同じように浩二を非難する中、恵子だけが近寄って行った。

「あ!浩ちゃん。釘踏んでるやん。大丈夫?」そう言いながら、浩二の足を持ち上げようとする。

「痛い。痛い。そっと、そっと。プリーズ。」浩二がおどける。

この当時、釘の出た木材はあちこちの広場に捨てられていて、特にこのような廃屋には必ずと言っていいほど落ちていた。釘がズックの裏を通り、足を貫き、またズックの表面から突き出ている図はとても痛そうだが、見た目ほどではない。けっこう日常的に誰かが犠牲になっていて、皆慣れていた。むしろ破傷風とかのほうが危ないわけだが、そのような事には無頓着だ。そっと抜いたら、しばらくは痛くて走れないが、歩くのは可能だ。足の甲というのはそれほど血も出ない。これに関しては抜いたら終わりだった。

「はい、抜けました。」恵子である。これで治療は終わりだ。

「サンキューベリーマッチ。」

恵子以外は浩二には無関心で、皆好き勝手なことをしている。やはり女の子が一人いると違うものだ。

「今度のゲッターロボ見慣れてきたわ。」これは足立である。

「ドラゴンは最初びっくりしたけどな。頭がとげとげやからな。」山田が応える。

「ポセイドンの足にキャタピラが入ってるのは、かっこいいな。ゲッター3は転がるだけやけど、足とキャラピラで交換できるのはええわ。」これは博之だ。

その時だった。バサバサと羽をはばたかせる音が響いてきた。

全員が一斉に動きを止めた。目だけで、或いは最低限の首の動きだけでその音のした方向へ視線をやる。大きな影が動いていた。確かに背丈は小学三年生くらいはあるだろう。細くて、黒い。梁にさかさまになって、もぞもぞと羽をたたんでいる。その大きさのものが、梁にさかさまにぶら下がれること自体が、その生き物の体重の軽さを表していた。耳らしきもののついた頭を盛んに左右に振って、こちらの様子をうかがっているようだ。

誰もが、この生き物の一挙一動にくぎ付けになっていた。鼓動が激しく鳴って、その音だけが聞こえてくるようだった。

生き物が、か弱い声で鳴いたように聞こえた。次の瞬間、羽を広げていた。大きさはやはりトラックの幅くらいある。狭い室内では部屋いっぱいで、とても大きく見える。

「うわあ!」誰かが悲鳴を上げた。その声に驚いて、全員が走り出した。一目散に蜘蛛の子を散らすように、全力で逃げ散ったのだった。いったん外に出ると、線路のわきに立ち止まって、全員が空を見上げた。足を引きずる浩二と付き添いの看護婦のような恵子が一緒に、最後に出てくると、空は一面に夕焼け空となっており、その夕日に向かってシルエットとなり、羽ばたいて飛んで行く大きな蝙蝠の姿が見えた。

「また帰ってくるかなあ。」動物好きの足立が夕日に頬を染めてじっと眺めていた。

「・・・どうやろなあ。」山田も一緒になって一点を見続けたまま言った。

「叫んだの山本やろ。」一番先に外に出た辨崎が半笑いで山本の肩を叩きながら言った。

「違うよー。」腰をくねらせて山本が応えたが、これは最後まで分からなかった。誰しもが、叫んだのは自分だったのではないかと、後で思ったものだった。さすがに羽を広げた時のあの大きさには全員が肝を冷やしたのだ。きっと、あの蝙蝠が一番驚いたに違いないが、それでも未体験の恐怖には違いなかった。

 「はいもう大丈夫ですよ。」目の前に白い服を着た女性がいて浩二に声をかけた。

「かなりしっかりした記憶でしたね。映像化も詳細までできると思います。」

あれから50年ほど経っていた。この時の経験は忘れかけていたが、40年ほど経ったある日インターネットでフィリピンの大蝙蝠という画像を見た。こいつだったのかと浩二はその時のことを思い出した。きっと、船便にでも紛れ込んだのだろう。あれ以来、幽霊屋敷のメンバーには会ったことがない。みんなどうしているのか、そのあと引っ越しをした浩二には地元の情報は入ってこなくなった。グーグルマップのストリートビューで町中を検索してみたが、当時の面影は全くなくなっていた。当時、五階建てで、一番高い建物だった市営住宅がまだ残っていて驚いたが、それ以上に周囲に高層マンションが林立している様子が全く違う街のように見えた。駅舎は木造平屋だったが、こちらは高架になっており、幽霊屋敷は当然存在しなかった。何となく見知ったものが無くなっていることに寂しくなったが、今日は、記憶を映像化できるという今流行りの施設に来ていた。

暫く待っているとまた白い服の女性が現れて言った。

「あちらの部屋の画面で再生できますよ。」

部屋に入ると、大きなモニター画面があってそこに画像が流れ始めた。

一部ぼやけた写真のような映像が、次々と映し出される。そこにいる人物は、博之、隆一、足立、山田、山本、辨崎、藤岡先生、そして恵子だった。当時大人っぽく見えたのが不思議なくらい皆かわいらしい顔をしている。次に、幽霊屋敷。画像とともにうんこの臭いが蘇るようだった。最後に肝心の大蝙蝠。ぶら下がって、そして羽を広げている。

「うわあ!」浩二は叫んでいた。大人になって叫ぶことなんてなかったが、知らず知らずのうちに叫んでいた。自分の声が他人の声のようで、室内に響いているのが不思議な気がした。

大蝙蝠。顔がぺスターの顔ではなかった。

白い痩せた男の顔だった。耳と思えたのは、角だった。

当時、これを見たのか。記憶は定かではない。この映像の再現性がどのくらいなのかわからない。宣伝文句では記憶にないものは再現されない。つまり完璧だというのだが。

白い顔の痩せた男は、悲しそうな顔をしていた。

自らの生まれを呪うような顔だと、浩二には感じられた。


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