4 時空間魔法
空間を制御する魔法なんて聞いたことがない。
似た魔法に転送があるが、モノとモノを交換する魔法みたいだし
空間が歪む事があるなんて発想すらないはずだ。
この世界ではまだ相対性理論が発見されていないのだから。
今まで私は魔法の威力を上げるために一か所に無闇に魔力を込めていたけど
検証するために20歩ほど先にある木までの空間に、
出来るだけ薄く、均等に魔法を展開させてみる事にした。
空間全体を包むように攻撃魔法を形成するなんて初めての事だったけれど
上手く発動したようでいつもの三日月状の黒い刃にはならず
丸い膜のように形成された。
膜越しに景色を見ると
拡大レンズの様に遠くにあるはずの木が
すぐ目の前にあるかのように見える。
試しに護身用の短刀で膜をつっついてみると
木肌に触れたようなごつごつした感触があり
力を入れてこすってみると、木にはハッキリと傷がついている。
魔法を解いて、実際に近寄って確認しても短刀で傷をつけた後が残っていた。
私の推測は確信に変わり
思わず飛び上がって声をあげそうになった
わたしが今まで風で作った黒い刃の魔法だと思っていたものは、
空間を極限まで圧縮し発生した膜状の虚空だったのだ。
ほどほどの圧縮に加減すれば、前方の空間を圧縮して簡易的なワープが出来る、らしい
これなら、一日どころか半刻もしないうちに宰相府へ到着出来るだろう。
転送魔法陣を使わずとも、個人が瞬間移動出来るなんて
魔法学だけでなく人類史において革新的な事だ。
舞い上がっているとパメラさんが声をかけてきた。
「おまたせしました、クラリス様
準備が出来ました。参りましょう」
メイド服から外着に着替えたパメラさんはその気迫と体型の良さが相まり凄まじい美人に見えた。
さすが公爵令嬢の侍女。
それに比べるとわたしのドレス姿は稚児に見える。
実際、さきほど稚児だと揶揄されたばかりだ。
シンシアはこんな女性を横においても全く遜色が無いのだろう
やはり上流貴族は住む世界が違う。
舞い上がっていたテンションが一気に平常に戻り
がっくりと項垂れると、パメラさんがきょとんとした顔で見つめてきた。
「どうされましたか?」
「いえ…パメラさんがとても綺麗なので
思わず見惚れてしまいました」
「あ、ありがとうございます
クラリス様もとっても可愛らしいですよ」
「…可愛いにも、二種類ありますよね」
「はい?」
「なんでも無いです。行きましょうか」
空間圧縮魔法の欠点は、直線でしか圧縮出来ないことだ。
曲げることも出来るかもしれないが今は試す時間が無い。
そのため、長距離を転移するのなら遠くを見渡せる高い所へ行く必要があるので
わたし達は学園で一番高い時計塔へ向かった。
塔の入り口には鍵が掛かっていたので、躊躇いもなく魔法で切断すると
後ろに付いてくるパメラがあっと声を上げる。
緊急事態なので聞こえなかったことにするけれど
以前のわたしだったら絶対にこんな事しないだろう。
行動原理や価値観まで変わってしまった気がして
少しだけ、自分が恐ろしくなった。
最上階へ辿り着くと空は暗くなり遠く地平線が少し赤らみを残すだけになっていた。
宰相府がある方角を見ると、薄明るい空に建物が黒いシルエットとして
小さく浮かび上がって見えていたのでホッとした。
わたしの小さな身体は普段フォーク以上に重いものを持たないので体力が無い。
暗くなり宰相府が見えなくなる前にたどり着けてよかった。
暗闇や遠すぎて建物の場所が分からなかったら、もうどうする事も出来なかった。
「ここで一体、何をするのですか?
てっきり転送魔法陣を使うと思っていたのですが…
学長室にあると伺いましたよ?」
「それと同じ魔法を使います」
パメラさんが懐疑的な目をわたしに向ける。
転送のような儀式魔法は複雑な術式と消費魔力で
個人が行使出来るものではない事を知っているのだろう。
予想に反して彼女はある程度の魔法の心得が有るようだ。
むしろこの学園の何処にあるのか知らなかったわたしよりも詳しいかもしれない。
わたしは宰相府へ向けて空間圧縮魔法を行使した。
先程とは比較にならない距離を圧縮するので魔力が足りるか心配だったけれど
ギリギリ間に合ったようだ。
膜の向こうには宰相府の建物がすぐ近くに見える。
大量の魔力を消費し、足元は既にフラフラだったけれどここからが本番だ
私は強がってパメラさんに笑顔を向ける。
「それでは参りましょうか」
「…こんな魔法があったのですね」
「実は、先程思いついた出来たての魔法です」
「えっ」
「…なので、人が通るとどうなるのかわからないのです」
「えええっ!」
一瞬隠そうかと思ったけれど正直に話した。
通った瞬間に圧縮されて死ぬ可能性もあるのだ
パメラさんに待ってても良いと告げると
彼女は首を横に振った。
「…いえ、シンシア様に命を捧げると誓ったこの身です。
この程度の試練、乗り越えてみせましょう」
パメラの言葉はまるで騎士のようだ。
公爵令嬢の侍女というのはそういう技能も求められるのだろうか?
わたしの侍女のミリーとは大違いだ。
…そういえば、ミリーに何も言わず出てきてしまった。きっと心配しているだろう。
早く帰らないとまた小言を言われてしまう。
では行きましょうか
と、一歩踏み出した途端足元がもつれる。
慌てて手をとってくれたパメラが心配そうな顔で見つめてきたので
わたしは何でもない、強がるように笑いかける。
「申し訳有りません、魔力が枯渇して
まともに歩けないようです」
「これだけの魔法を使えばそうなるのも当然でしたね。
失礼いたします」
そう言ってわたしをお姫様抱っこをしてくれるけれど
パメラさんに体幹がブレた様子は全く無い。
相当な鍛錬をしているようだ。
「…それでは、参ります」
パメラさんの顔が緊張に引きつり、
抱きかかえている腕に力が入る。
一歩踏み出し圧縮空間に入ると視界が歪み
すぐに宰相府の見覚えのある景色にかわる。
どうやら転移に成功したようだ。
けれど、圧縮空間の終点は建物の三階ほどの高さだった
思わずパメラさんにしがみつくのとほぼ同時に、地面に着地した衝撃で息が詰まる。
けれどパメラさんは私を抱きかかえたまま、なんとも無かった様子でケロっとしている。
一体、彼女は何者なのだろう?
ゲームでは立ち絵さえ無いモブだったはずだ。
思わず彼女の顔を見つめると、にっこりと笑いかけてくるので
わたしは我に返り、慌てて謝罪をした。
「すいません、制御が甘かったようですね
ちゃんと転移先を地面にするべきでした」
「いえ、大変素晴らしい魔法でした
こんな魔法は見たことがありません。
学会に発表されてみては?きっと大評判になりますよ」
「そうですね。
でもわたしには、名声なんてもう意味が無いでしょうから…」
「きっと大丈夫です。宰相様がなんとかしてくださいます」
「まあ駄目だったら最悪、冒険者になってこの魔法を活用するのも良いかもしれませんね」
わたしが冗談めかして言うと、パメラは急に厳しい表情で私を見つめて来る。
「…あれは社会に適合出来なかった人間が何とか折り合いを付けた結果なのです。
賃金は足元を見られ、命の危険と隣り合わせの仕事に見合わず
何処へ行くにも余所者として不審の目を向けられます。
冒険者なんて、とても貴族がなって良いものでは有りません」
「えっ…そうなのですか?
身分の保証や賃金の交渉をするような、冒険者ギルドは無いのでしょうか?」
「人とつるむのが嫌いな人間たちが、そんなもの作るわけありません。
一部には護衛隊に属してる者も居るようですが。」
「ずいぶんお詳しいのですね」
「…むかし、私がそうでしたから」
そう言って微笑む彼女の目からは感情が消えていて
過去にどんな事があったのか伺い知る事は出来なかった。