19 力の片鱗
わたしは目の前で起きた出来事を呆然と眺めていた。
見たことのない威力の火炎魔法だった。
周囲の石畳は超高熱によって溶解し、ガラス化した
部分が毒々しい紫や緑色に輝いている。
空気は爆炎に熱せられ、防殻魔法越しなのに
息を吸うたびに肺が焼かれ思わずむせてしまいそうだ。
もし虚空剣による魔力補助が無かったら、防殻魔法を破られ
間違いなくわたしは消し炭になっていた。
呪文の言葉の通り、レクはわたしを殺す気で魔法を放ったのだ。
今までの稽古では見せる事の無かった、本気を目の当たりにして
思わず足が竦んでしまう。
けれど、動揺している暇は無かった。
魔法の残跡の白い靄を突き分けて、
レクがまっすぐに刺突を繰り出して来る。
攻撃魔法で弱体化していた防殻はあっという間に破られ
剣同士が激しく擦れ合い、金切り音が耳を貫いた。
何とかレクの刺突を逸らす事に成功したけれど
そこに込められた力と、正確に眉間を
貫こうとしていた剣筋にぞっとする。
稽古用に刃を潰しているとはいえ、
まともに受ければ間違いなく
頭蓋が砕けるか、首の骨が折れる威力だ。
レクの気迫は今までの稽古とは全く違う鬼気迫るもので
わたしは激しく動揺してしまう。
心を落ち着かせるために空間圧縮魔法を使い、
後ろへ転移し距離を取ろうとするけれど、レクは攻撃の手を緩めない。
「氷弾よ、クラリスを貫け!」
レクが呪文を唱えた瞬間、戦争映画でしか聞いたことが無いような
恐ろしい風切り音を立てながら
ナイフの様な形をした氷がわたしへと飛来する。
わたしはそれらを転移で何とか避けながら、
苦し紛れに火炎魔法で応戦するけれど
レクが展開した防殻魔法はまるで揺らぎもしなかった。
再び距離を詰められ剣で撃ち合うハメになってしまう。
骨がミシミシと音を立てるほど極限まで身体強化魔法を使っていても
純粋な剣での勝負では全く歯が立たない。
空間圧縮魔法で死角から攻撃しても
今までの稽古で癖を完全に読まれていて
全く意味を成さなかった。
あっという間に追い詰められ、剣を弾き落された瞬間
苦し紛れに重力魔法を放つと
急に身体の重さが変わったレクが体勢を崩す。
その隙にわたしは攻撃の手が届かない空中へと逃げ出す事に成功した。
経験した事の無い、濃密な時間だった。
30秒にも満たない時間なのに、目が眩むほど激しく息が乱れている。
「クラリス、本気で戦うんだ
あんたの本当の実力を見せろ」
そんなわたしを、レクは見上げながら淡々と話しかけて来る。
全く、息が乱れていない。
「このままじゃ、シンシアは幽閉されるぞ。
誰とも会うことを許されず
日の光を浴びることさえ出来ず
薄暗い塔の中、孤独に一生を終えるかもしれないんだ。
それでもいいのか?
その力は、シンシアの為に使うんじゃなかったのか?」
「虚空剣を使うんだ。
俺を殺す気で戦え」
「………分かりました」
レクの目は冗談を言っている様には見えなかった。
殺しに来いと、本気で言っているのだ。
わたしは覚悟を決め、虚空剣をかかげ願う。
ただ、ただシンシアの為に。
「虚空剣よ、わたしの前に立ちはだかる敵を、薙ぎ払え!!」
求めに応じる様に、
虚空剣が黒い光を発する。
わたしは本能に任せ、全力で薙ぎ払う。
その瞬間、空が裂けた。
剣を振るった先にある城壁が、建物や雲が
ヒィン、という独特の共振音を響かせながら真っ二つに両断されていく。
青空には一筋の黒い線が地平線の遥か彼方までハッキリと残されていて
真っ黒な部分では星が瞬いていた。
大気が切り裂かれ真空になり
太陽光の乱反射が無くなった影響で
宇宙が見える様になったのだろう。
無茶苦茶な威力だ。
わたしは、こんな魔法を生み出したのだ。
ヘザーさんがわたしを厳しく指導していた理由をやっと心の底から理解した。
一方レクは冷静に斬撃を見切り躱していた。
虚空剣の真の力に動揺しているわたしとは対照的に、
すぐに風魔法で跳躍し空中の肉薄してくる。
この力を最初に使ったのは彼のはずだから
驚かないのも分かるけど
もう少し動揺しても良いじゃないかと
レクの戦闘狂っぷりに毒づく。
わたしも今度は逃げる事無く牽制に黒刃を放ちつつ
レクへ突進する。
わたしが持つ中で最大の威力を誇る魔法だ。
まともに受ければ、防殻魔法を貫き容赦なく相手の身体を切断するだろう。
けれど、もうそんな事は気にしなかった。
レクがわたしを剣士として敬意を示してくれた事に対し
全力をもって応えるために。
シンシアを守るという覚悟を示すために。
レクが黒刃を避け体勢を崩した瞬間を見計らい
全力で虚空剣を振るう。
だが剣は彼を捉えることなく宙を薙ぎ、大地に深い溝を穿つ。
レクはいつの間にかわたしの頭上に跳躍していて、
殺意に満ち溢れた斬撃を放ってくる。
回避行動を取りながらも虚空剣を振るうと
後ろにある建物が、空が、あらゆるものが切断されていく。
何て恐ろしい威力なのだろう。
けれどレクは全く動揺することも無く、
淡々と最小限の紙一重の動きで避けていく。
普通の剣では活性状態の虚空剣に切断されるだけなので
受けることは出来ず、避ける事しか出来ないはずなのに
わたしの剣筋を見切り隙を突いて反撃さえしてくる。
一歩間違えれば大けがは必至なのに、
彼には恐れというものが無いのだろうか?
お互いが必殺の威力を込めた攻撃を繰り出し
一撃でも相手へ加えればそれで終わるのに、
全くその機会は訪れない。
わたしとレクの力は、拮抗していた。
極度の集中により時間がゆっくりと流れているように感じる。
引き延ばされた時間の中で、シンシアと目があった気がした。
その瞳は、ひらすらにまっすぐ
ただわたしだけを見つめていた。
…そうだ
シンシアの為にわたしの力を示すのが目的だった。
レクに勝つのはあくまでも手段なのに
いつのまにか目的にすり替わっていた。
レクの言う、圧倒的な力というのが
どんなものなのかよく分からない。
けれど、一つだけ思い当たる魔法があった。
ヘザーさんにすら言わなかった
異世界の知識を利用した魔法が。
わたしはその魔法を使う為に、いったん転移して距離を取る。
レクが追撃しようとするけれど
わたしは魔力の限りを尽くして、全力で魔法を放つ。
防殻魔法を簡単に突き破っていく黒刃を避けたレクが
初めて戸惑いの顔を見せた。
わたしが、黒刃に混ぜて虚空剣を投擲したからだ。
不可解な行動を取ったわたしを警戒し、
地面に突き刺さった虚空剣を前にレクは足を止める。
その瞬間が訪れるのを、わたしは待っていた。
「風よ、吹きすさべ!」
わたしがそう唱えると、そよ風が巻き起こる。
根源魔法でも攻撃魔法でさえない、航海士が汎用するただの便利魔法に
服をたなびかせ、レクがぽかんとしている。
けれど立ち止まるよりも攻撃すべきだと考えを切り替えたようで
渾身の一撃を加えるべく息を大きく吸う。
その瞬間、レクの意識は断たれた。
顔面から思いっきり地面に倒れこんだのを見て
わたしは慌ててレクの元へ走り寄り、
先ほどと同じ風魔法で肺の中に新鮮な空気を送り込む。
レクが呼吸をしているのを確認すると、わたしは心底ほっとして
大きく息を吐いた。
わたしの魔法は、願い通りの効果を発揮したらしい。
「クラリスっ!!」
ほっとしているわたしの元へ
シンシアが駆け寄って来ると
彼女はわたしの事をぺたぺたと触りだしてきた。
「え?あ、あのシンシア?
どうしました?」
シンシアはわたしの声が聞こえなかったようで
問いかけにも答えず、真剣な表情で
わたしを色んな角度から触診している。
彼女の気迫に圧され、されるがままに触られていると
暫くして、ようやくシンシアは安心したように大きく息を吐いた。
「よかった………怪我は無いみたいですね」
「あ、ありがとうございます…」
「クラリス、無理はしないで下さい。
…わたしは、あなたがこれ以上怪我するのが耐えられない。
こんな危ない戦いをして欲しくありません。」
「でもわたしは、今出来る最善を尽くしたいのです。
あとで後悔しないために」
そう答えると、シンシアはとても辛そうに顔を歪ませるので
わたしも彼女にかける言葉を無くしてしまう。
「…俺は、負けたのか」
そうしているとわたしの腕の中で、目を覚ましたレクが
ぼんやりとわたしの顔を見上げて呟いた。
困惑も、悔しさも無い。
ただ淡々と事実を確認するような声色だった
「ごめんなさい、ちょっと卑怯な手を使いました。
これでわたしの力は認められるのでしょうか?
シンシアと一緒に居ることが、出来るでしょうか?」
「ああ。あんた達はずっと一緒に居られるよ。俺が保証する」
上体を起こしたレクが、まっすぐわたしの目を見据えて
断言するので逆にわたしは不審な気持ちになってしまった。
「…なぜ断言できるのですか?」
「俺が付いてきた目的はあんた達を守るためだ。
二人が一緒に居る為に、な。
あんたが最初にお願いしたんじゃないか。
忘れたのか?」
「では、さっきのわたし達を引き離すというのは…」
「あんな事を言われて、本気が出しやすかっただろう?」
レクの言葉で感情的になっていた頭が急に冷め、
冷静に思い返してみると
見え見えの挑発に、わたしはまんまと乗せられてしまった事に気づいた。
「…やられました」
恨みがましくそう言うと、レクはまるでヘザーさんの
ように満足気にニヤリと笑った。
「クラリス、もっと感情に身を委ねるんだ。
殺したくなるほど相手を憎め。
我を忘れるほど怒り狂え」
「…この話の流れなら普通、逆の事を諭しませんか?
相手に乗せられるな冷静になれ、って」
「感情こそが魔法の根源だ。
強く想えば想うほど、力は強くなっていく。
あんたの力の源は、想いの矛先はなんだ?」
「それは…シンシアです、けど」
「ではシンシアのどんな所を愛しているんだ?
シンシアにどんな事をしたいと思っているんだ?」
レクのあけすけな言葉に思わずわたしは固まってしまう。
強い視線を感じて振り返ると、
顔を真っ赤にさせたシンシアと目が合い
慌ててわたしから視線を外したのが見えた。
「ほ、本人の前で何言わせようとしているんですか!!」
「言葉で表せるくらい自分の気持ちを自覚して
その想いを育んでいけ、と言っているんだ」
「もうすこし言葉を選んでください!
いくらなんでもデリカシーが無さすぎます!」
そんな風に騒いでいると、兄様が近づいてきて
ぽつりと呟いた。
「…クラリスは本当にあの魔女の弟子なんだな。
よく、わかったよ」
そう声をかけられて、あらためて周囲を見渡すと
錬技場は滅茶苦茶に破壊され、ただのガレキの山と化していた。
切断された鐘楼が広場に落下してちょっとした騒ぎが起こっている。
「これ、直すのに相当お金かかりますよね。…ごめんなさい」
わたしが頭を下げると、意外そうな顔をした兄様が顔をほころばせる。
「し、心配するところが少しずれてるのがクラリスらしいね。
よかった。
魔女の弟子になって、性格まで変わっちゃったのかと思ったよ」
「わたし、そんなにおかしな行動していましたか?」
「だって、さっきのシンシア嬢に対する言動は…
……いや。何でもない」
兄様が独り言をいうようにもごもごしていると
横に立っているお父様が、
金色のブレスレットをそっとわたしに差し出してきた。
はめ込まれた紅い宝石の中にハーヴィ領の紋章が彫りこまれている。
「クラリス、このブレスレットは領主代行であるという証だ。
これをお前に渡そう。白の塔との交渉はお前に任せる」
「……わたしに領主としての権限を与えるということですか?
良いのですか?塔の要求を拒否するという事ですよ。
レクの言葉を、真に受けるのですか?」
お父様は同意するように静かに頷いた。
「お前の見せた魔法は凄まじい威力だった。
いや、恐ろしいといった方が適切かもしれない。
レク殿の言う通り、あの魔法を見せられたら
白の塔の者たちも退かざるを得ないだろう。
そうなれば今後、ハーヴィ領は一目置かれるだろうな。
良くも悪くも。」
それは俺が臨むところでもある、と言いながら
お父様は言葉を続ける。
「だが、その力を一度表に出せば
お前はこれから、どこにでも居る貴族の令嬢ではなく
強大な力を持つ魔女として扱われるだろう。
まるで腫れ物の様に扱われ、忌避され
利用しようと近づいてくる者たちの思惑に
巻き込まれ翻弄される事になる。
…ハーヴィ家の手札として扱われ、利用され
今までの様に静かに暮らす事は、許されなくなるという事だ。
それでも、シンシア嬢を守るという覚悟を持っているのか?」
お父様はまるで脅すような口調で念を押してくる。
「…そんな事、もうずっと前に覚悟を決めました。
婚約破棄されたシンシアの手を取った、あの時から」
わたしは、迷わずそのブレスレットを受け取った。