17 ハーヴィ家
わたしのお父様が統治するハーヴィ領は
地政学的に、複雑な場所に位置している。
本来なら領地の中心にある不凍港は多くの利益を生み出すはずが
川を隔てたすぐ隣にある帝国があるため、侵略して来た時のリスクを恐れ
交易拠点というのも名ばかりでほとんど使われることは無く、
年間の貿易額は王国全体の2割にも満たない。
もっぱら国境を守る拠点として認識されていたけれど
近年、帝国との貿易額は増加の一方だ。
経済関係を考えれば軍事的侵略は帝国に取っても
不利益が上回ると考えられ
実際、帝国軍の示威活動は縮小傾向にあり
ハーヴィ領の王国内での地位は、低下するばかりだった。
そんな状況を打開すべく、ハーヴィ家は
交易での税収増による地位向上を狙い
商家との関係強化の為にヘレナお母さまを迎い入れた。
ヘレナお母さまはその人脈や地位と、自身の経営の才能を遺憾なく発揮し
税収は年々着実に上がっていった。
けれど、魔法が使えない元平民という事と
第一子であるノックス兄様に魔法の能力が乏しい事もあって
社交界では、それはもう大変な苦労があったらしい。
貴族社会では魔力の高さこそが家格を象徴するものだったからだ。
ノックス兄様はそんな苦労をしているお母さまを見て育ったおかげで
努力家であると同時に、経営の才能まで
受け継いで居ると評判だ。
けれど、やはり魔力の低さは遺憾ともしがたく
国境を守る辺境伯の次期領主として
厳しい目で見られることも多いらしい。
そんな事もあり、わたしに魔法の才能がある事が判明すると
お母さまはすぐに近隣の伯爵家との許嫁をとりつけた。
きっと出来るだけ家の事で苦労させたくなかったのだと思う。
おかげでわたしは早くから将来が決まっていたし
兄様と比べて、かなり奔放に育てられた。
同じ場所で育ったのに
取り巻く環境が違ったせいで
全く性格が違う兄妹だったけれど
わたしたちはとても仲が良かった。
それはノックス兄様がとても優しいのが
大きかったと思う。
わたしが持ってくる様々な問題に眉間にしわを寄せながらも、
クラリスのお願いだから、しょうがないね。
と苦笑いをしながら、いつも味方をしていてくれたのは
何故なのだろう?
その問いへの答えを聞く前に、わたしは学園に行ってしまった。
そのノックス兄様が
こめかみに手をあてて眉間にしわを寄せながら
領地に戻ったわたしが話す、今までの経緯について静かに耳を傾けている。
金髪を短く刈り上げ、筋肉ムキムキな如何にも快活なスポーツマン
といった容姿なのに、眼鏡をかけて神経質そうな表情している。
そのちぐはぐな姿は時間が止まったように変わりがなく
半年ぶりに故郷へ帰って来たわたしには少しだけ懐かしく思えた。
お母さまは片腕の無くなったわたしの姿を見るなり
失神してしまったのでこの場にはいない。
兄様の隣に座っているヴィクトルお父様は先ほどから
無表情にずっとわたしの話を聞いていて不気味だ。
「──という事で、わたしはヘザーさんに助けられたんです」
わたしが話し終えるとノックス兄様は、はぁ
と溜息をついてわたしの失ったほうの腕を
じっと見つめながら話しかけてきた。
「クラリスの状況はミリーからの手紙で知っていたけれど
まさか、腕を失くす程の怪我とは聞いていなかったよ…」
「ごめんなさい…これは、わたしの衝動的な行動が招いた結果です。
お叱りの言葉を受けるのも仕方がないと思っています」
「いや、気にしなくていい。
こんな事になるなんて誰も予想できなかったはずだ。
それに僕は、シンシア様を身を挺して庇う優しさと勇気を
持ってくれた事を嬉しく思うよ。
…何より、生きてて本当に良かった」
もしかしたら縁を切られるかもしれないと覚悟していた
わたしはその言葉を聞いて少しだけほっとした。
ありがとうございます、と笑顔で答えると
ノックス兄様の横に座っているお父様がゆっくりと口を開いた。
「学園はもうすぐ夏季休暇が明ける頃だ。
それに合わせて復学するのが良いだろうな」
「えっ…学園に戻っても良いのですか?」
「謹慎処分は解けているし
学園からは何も言ってきていないから問題ないだろう。
勿論、王子とその周りからの風当たりは強くなるし
それ相応の覚悟や準備が居るだろうがな。
ああ、その前に義手を作ってやらんといかんな。
他にも、何か必要なものがあるかもしれん
ミリーとよく相談するように」
「は、はい」
「それに周りの友人たちにもちゃんと説明しておくんだぞ。
心配の手紙が幾つも来ている。
特にスクラート家のミザリー嬢からは学園のその後の事を
とても細かく報告してくれていた。
しっかりと読んでおくように」
「父上、そんな話ばかりではなく
他にかける言葉があるのではないですか」
兄様に突っ込まれたお父様は
どこか気恥ずかしそうな顔をしながら、言葉を続けた。
「…お前は、ハーヴィ家の人間だ
困ったことがあったらちゃんと相談しなさい」
「あ、ありがとうございます。
…お父様、なぜシンシアの話をされないのですか?」
二人は先ほどから優しい言葉ばかりを口にするけれど、
どこか違和感を持つ言い回しなのが気になり
わたしは我慢できず聞いてしまう。
「塔が、シンシア嬢を引き渡すようにと要求している。
明日にはここに来るだろう。
だから、俺から話すことは何もない」
「塔?」
「中央の…いや、白の塔の連中だ。」
白の塔は、ゲームの中盤に出て来る名前だ。
宮廷魔導師たちとは別の、独立した魔法研究機関。
貴族の間では才能はあるが何か問題を抱える人間を幽閉し
魔法の研究に一生縛り付けると噂される、悪名高い組織だ。
ゲームでは主人公のソニアが、違法に人体実験までしている事を暴き
中枢の人物たちと敵対する、という
エピソードに登場していた。
貴族でもその実態を知るものは少ない。
今世のわたしは、その単語を聞いたことさえ無かった。
「……あの塔へ、シンシアを送るという事ですか?
幽閉されると分かっていながら?
あんな場所へ送ったら彼女がどんな酷い目に
遭うかを知っていながら!?」
急にゲームでしか知らなかった単語が出てきて
前世と今世の記憶が入り乱れて動揺し
わたしは思わず声を荒げてしまう。
「あそこが何をしているのか、知っているのか?」
「…少なくとも、自由が無くなるのだけは知っています。
なぜあんな組織がシンシアを欲しがるのですか?
宰相様は何を考えているのですか?」
お父様に指摘され
わたしが知らないはずの知識までうっかり
喋ってしまいそうになっていた事に気づき
わたしは深呼吸をして気持ちを落ち着かせる。
「シンシア嬢が、暗殺されかけたと宰相殿は思っているようだ。
もしそれが正しければ、状況的に王族の周りの差し金だろう。
塔なら彼らでも容易に干渉は出来ない。
確かに色々と噂を聞く組織ではあるが、命の安全には変えられないだろう」
「それは確かに、そう、ですけれど…」
実際に襲ってきたのは魔物だ。
けれど、お父様や宰相は人間の仕業だと思っているようだ。
シンシアの未来を知っていた特殊な魔物だと言っても
信じては貰えないだろうし、わたしは言葉を詰まらせてしまう。
「白の塔もこの状況を好機だと捉えたのか、
シンシア嬢の獲得にかなり動いている。
塔だけじゃなく、どうも中央の動きが騒がしい。
第一王子は婚約破棄によって公爵家の後ろ盾を失ったからな
王位継承権の争いが活発化しているのかもしれない。
宰相殿もシンシア嬢を大切に想っての事だと俺は思う」
「でも、なぜ宰相様はシンシアの手紙に返信もせず
ハーヴィ家で引き渡すなんて事をするのですか?
自らの口からシンシアに説明をするべきではないでしょうか?」
「再度の暗殺を恐れた宰相殿は王都から離れたこの地で秘密裏に
シンシア嬢引き渡したかったのだろう」
ハーヴィ家は離反騒ぎで王に目を付けられてしまってるし
これ以上ハーヴィ家として
中央の権力争いに首を突っ込む気はない。という事なのだろうか。
わたしが黙っていると、お父様は念を推すようにして言葉を続けた。
「クラリス、
引っ込み思案なお前があの会場で王子からシンシア嬢を庇うのは
並大抵の勇気と覚悟が無ければ出来なかったのだろう?
お前は十分頑張ったんだ。だからこの件からはもう手を引くべきだ
これ以上この件に首を突っ込むのは手に余るのを分かっているのだろう?」
わたしが不機嫌な表情をしていたからだろうか
お父様は、優しい声色で語り掛けて来る。
「…それでも、シンシアの傍に居てあげたいのです。
シンシアをハーヴィ家で保護する事は出来ないのですか?
お父様は、あの塔へ行った者がどんな目で
見られるか知っているのでしょう」
「中央の事情に無関係の者が不用意に口出し
するのは悪戯に混乱を招く。
それに、犯人はまだ捕まっていないと聞いている。
領内の治安維持の観点からも、
シンシア嬢をここに置くのは難しいだろう。
ハーヴィ領が身柄を受け渡す場を作る事さえ、
王家から睨まれ立場を危うくしかねないんだ。
分かってくれ」
「では、塔へわたしも同行いたします」
「あそこは王家さえも容易に口を出せない組織だ。
勝手についていくなんて出来るとは思えない。
そもそも、ハーヴィ家が汚名を着せられのを
許すことは出来ない。
あの塔へ行くなんて絶対に駄目だ」
「……なら、わたしがシンシアの傍に居るには
どうしたらいいのですか?」
その言葉に、お父様は答えなかった。
重苦しい沈黙が部屋を包み込む。
結局、お父様にとってシンシアの身の上なんて
どうでも良いのだ。
先ほどからわたしの横に座っているシンシアがずっと
無言なのがふと気になり、
顔を見ると、無表情に目を伏せたまま
わたしたちの会話を聞いているようだった。
その様子はまるで、これから自分へ降りかかる事を諦観的に
受け入れるような雰囲気を漂わせていた。
もっとわたしの事を頼って欲しい。
一緒に居たい、付いてきて欲しいと言ってくれない事が寂しくて
同時にわたしの力不足を表している様にも思えた。
わたしは首飾を外し、目の前の机に置いた。
ハーヴィ家の者であるという証明を。
「…何のつもりだ?」
わたしの突飛すぎる行動に、思わずお父様が不可解な表情で聞いてくる。
「わたしは、家を出ます」
「「クラリス!!?」」
家族どころかシンシアまでも
咎めるような声を上げる。
だけどわたしは最悪、
王子に対しての暴言の責任を取って
廃嫡される覚悟を持ってここへ来ている。
お父様から言われるか、自分から申し出るかの
違いしかなかったから迷いは無かった。
「そんな事してこれからどうするつもりだ?」
「シンシアの侍女になって塔へご一緒致します」
わたしの言葉にお父様は大きく目を見開いた。
「どうしてそこまでしてシンシア嬢の肩を持つ?
暗殺者に狙われている者と一緒に居たら
周りからどう見られるか、分かっているのか?
…公爵令嬢だからと、ご機嫌取りでもしているのなら
リスクに見合わないから止めなさい」
お父様が口を滑らしたその言葉は、
わたしにとって地雷だった。
なんで貴族は肩書や外聞ばかり気にするんだろう?
なんで損得勘定で行動するのだろう?
そんな目に見えないものよりも、
大事なものがあるではないか。
わたしは、思わずカッとなって叫んでしまう。
「そんなわけ、無いでしょう!
シンシアの事が好きだからですよ!!」
カップを手にしていたノックス兄様が
盛大に紅茶を吹き出した。
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