15 レク視点
冒険者として生活していた頃
人の死に立ち会った事は、何度かある。
そういった時、何かを託される事も少なくなかった。
魔物に襲われている村に残された子供の救出。
護衛していた貴族の父親が暗殺された時は、
護衛対象を安全な場所まで送り届けること。
流行り病で死んだ実業家からは、ある島に隠した遺産を
狙う奴らから守って欲しいなんて依頼もあった。
人は色々な因果を背負っている。
一人だけで完結する存在ではないのだ。
だから死にたくないと思うのだろう。
けれど自らの死を悟った者は誰もが、どこか放り出すような諦めの目をしていた。
あとの事は任せた、と。
当然だろう。
もう自分の物語はそこで終わりなのだし、
後がどうなるのか自分の目で確かめることは出来ないんだから、ただ祈るしかない。
あの時、
クラリス達が魔物に襲われていた時
叫び声を聞きつけ現場に着いた頃には
クラリスは既に瀕死の状態だった。
それなのに、クラリスの目は恐ろしいと感じるほど
強い意志を持っていた。
それは自分の死と向き合い、恐怖を乗り越えたものだけが見せる目だった。
任せた、なんて他人に運命を委ねる様な言葉を絶対に言いそうにない
事切れる最期のその時まで、自らが成すべきことを行い
残された者にその想いを託そうとする
いや、繋げようとする。そんな目だ。
こんな小さな少女がそんな覚悟が出来る事に、俺は衝撃を受けた。
彼女から渡された剣は、明らかに魔法物質で出来たものだった。
その時は珍しい魔法を使うもんだな、くらいに思っただけで
こんな剣であの魔物を倒せるものか
申し訳ないが俺の剣の方がよっぽど信頼できる、そう思った。
だがクラリスのその剣は魔物どころか、周囲の存在全てを切断した。
師匠から魔法の強さを決めるのは魔力量じゃない。
想いの強さだ、とは何度も言い聞かされたが
死に際の想いを込められた魔法が、あそこまでのものとは思わなかった。
目に見える剣の形は、ただ俺が扱い易いようにそう見せているだけで
実態は重さが無く、無限の長さを持ち、恐ろしい切れ味を有する攻撃魔法だ。
そして不思議と、シンシアとパメラの近くでは
剣は大人しく刃筋通りに切り刻む。
影に攻撃しようとすると、シンシアを害する存在を殺せと、
俺に要求してくるかの様に膨大な魔力が流れ込んでくる。
殺意に任せて剣を振ると視界に見えるもの全てを切断するので
扱いが非常に難しい。
あれだけ強敵と思えた魔物も、ただの雑魚になり下がり
人の形を保てない程切り刻んだころ、影は蒸発するように逃げ去っていった。
去り際、奴の表情を見ることは出来なかったが
何処か笑っているような気がしたのは気のせいだろうか?
気が付くと、周囲のあらゆるものがガラスの破片の様に粉々になり
遠くの山々はケーキにナイフを入れたような幾何学的な形になっていた。
魔剣というものがこの世に本当に存在するのなら、
クラリスの剣はまさに魔剣そのものだろう。
無茶苦茶だ。
そして、こんなものを望んだクラリスこそ、無茶苦茶な存在だ。
だが、その無茶苦茶な存在は、死に逝こうとしていた。
これだけ強い想いを持った人間を、俺は一人しか知らない。
今度こそは死なせてはならない。そう思った。
気が付くと俺は師匠の元へクラリスを担いで全力で走っていた。
師匠はあれで大の人間嫌いだ。
なのにクラリスを肩に担いだ俺の姿を見るなり、何も言わずクラリスへ治療を施してくれた。
それどころか彼女をまるで孫の様に可愛がる事に衝撃を受けた。
だが師匠は魔法について熱心に教えはするが
決して魔物の事は話さないまま
クラリス達が出発する日になり
俺はその事について師匠に直接聞いてみることにした。
師匠の部屋は、俺以外入れない。
魔女の秘密を暴かれたくない、なんて高尚な理由では全くない。
凄まじく散らかっていて
二人に幻滅されたくないから、という馬鹿みたいな理由だという。
あの二人の前では妙に大人ぶっているが
本来師匠は子供みたいな性格だ。
片付けは出来ないし料理も下手
放っておくと寝食を忘れて研究に没頭したと思えば
何年も取り組んでいた研究も飽きたら途中で簡単に投げ出してしまう。
表情もコロコロと変え怒りっぽく笑い上戸だ。
そんな師匠の部屋は読み途中の魔法の書物や
途中で放り出した研究資料
そのうち使うかもしれない、と言って無理に手に入れたけど
そのままになっている魔道具の山で埋もれている。
埃っぽい部屋の奥に、大きな作業机があり
そこだけは綺麗に整頓されている。
けれど、今日はその机も凄まじい散らかりっぷりだった。
書物や魔法陣の図画、メモの束や謎の青白く光る液体の入った瓶が置かれ、
その中心にある刺繍が入った真っ白な布を前にして
師匠は一人で何か呪文を唱えていた。
美しいと思うほど緻密で繊細な魔法だ。
こんな姿を見るのは珍しかったので思わずじっくり眺めてしまう。
しばらくして、師匠は小さく深呼吸をしてゆっくりとこちらに顔を向けてきた。
「すまないね、待たせちゃって。
ちょっとシンシアちゃんの為に
明日までにしなきゃいけなかったからね」
「いや。ちょっと聞きたい事があっただけだ」
「珍しいね。なんだい?」
「あの影の魔物の正体を知っているんだろう
何故彼女たちに教えない?」
師匠は一瞬ぽかんとした表情をしたが
すぐにまんまと悪戯が成功した子供の様な表情でニヤっと笑いかけてきた。
「…弟子の成長を見るのは嬉しいもんだね」
「師匠には散々隠し事をされて来たからな」
「確かに知っているよ
が、あの子たちに今言っても意味が無いからね
それに大切な答えは自分で見つけるもんだ
アンタにもそう教えただろう?」
「そう言って人の心を思うように操ろうとしているんだろう
目的はクラリスの力か。いや……知識だな?」
師匠は静かに笑っている。
とても楽しそうだ。
「あの子がひた隠しにしてる事が、一つある」
「…何だ」
「異世界の、人を殺す知識についてさ。
私は何度もそれとなく話を向けた。
すると毎回不自然な程に科学についての説明に話を逸らされるんだ。
それは逆説的に、科学は人を殺す技術に
密接な繋がりがある事を意味している。
異世界の科学は、どう考えても人がただ生きるのに必要な水準を超えている。
核融合?核分裂と言ったかな?
そんな、星々の光を地上に再現する必要がどこにある?
魔物だって居ないというのに。
…まあそこまで考えれば、人同士の争いで生まれた産物だって予想出来るさね。
それこそ、絶滅戦争でもあったのかもしれない。」
「なぜそんな危険な知識を欲する?」
「人は、革新的な知識や道具が本当に必要なのか実際に見るまで気づかない。
手にした時初めて、必要かどうか知るのさ。
私はそれがこの世界に必要なものなのかどうか、知りたいんだ」
「その知識が世界を破滅する可能性を持っていて
クラリスが拒否してもか」
ヘザーは答えずその代わり
二人が居る時には決して見せなかった
邪悪な笑みをレクに見せた。
「…やはりお前は殺すべきかもしれない」
俺が剣を抜き殺気を込めて切先を向けようとすると
師匠はうんざりした顔で制してくる。
「待ちなってば!冗談の通じない子だね
別にあの子たちをどうかしようとするつもりは無いよ。
シンシアちゃんの契約も断っただろう?」
「……冗談でもあんたが言うと洒落にならないんだよ」
「でも、ふふっ…なるほどね」
「何がおかしい」
「あんたは、これだけ長い付き合いの中で
いま初めて私に剣を向けようとした」
「それがどうした」
「それだけ、クラリスちゃんの事が好きなんだねって事さ」
言ってることがあまりにも突飛すぎて、俺は思わず聞いてしまった。
「…何を言っているんだ?」
「自分で気づいてないのかい?
あんたがクラリスを見ている目は
彼女がシンシアを見ている時とそっくりだよ。
優しく大切な者を守る庇護者の様だけれど、
臆病なほどに酷く何かを恐れている目だ」
「そんなわけ無いだろう」
「虚空剣がどんな力を持っているのか彼女に言わず、
触る事さえ制限しているのは誰だったかな?
シンシアと彼女が一緒に居るとき、
決して自分からは話しかけず邪魔にならないよう
離れているのはどうしてだい?
剣の稽古をあれだけしていても、なぜ彼女はすり傷一つ負ってないのかな?
それに──」
「二人は互いに惹かれあっている。
俺の気持ちなんて最初から割り込む隙なんて無いんだから
どうでも良い事だろう」
「もしかして恋の成就の仕方は、
添い遂げる事しか無いなんて思っているのかい?」
「どういう事だ?」
「恋には色々な結末があるって言っているんだよ。
しかし、最初私はてっきりパメラちゃんが好みかと思ってたよ
まあ彼女はひたむきで一生懸命だしね。
あの華奢な見た目とのギャップが良いのかな?」
「…人の心を弄ぶのもほどほどにしろよ」
「君ももう少し人生を楽しもうとしなさいな。
恋焦がれて苦しむ事も、楽しめるくらいのゆとりを持つことが
君の目的への近道だと私は思うけどね」
「口の減らないババアだな」
師匠と話しているといつも、心を見透かされて根掘り葉掘り
聞かれたくもない事まで言うハメになってしまう。
俺は早々と退散する事にした。
だから話題があっちこちに行く師匠に翻弄され、
影の魔物についての話を逸らされた事に
気づいたのは部屋を出て暫くした後のことだった。
出立の日の前日、師匠はずっと機嫌が良かった。
シンシアに教えた魔法が今日完成するとは聞いていたが
彼女はよほど優秀な弟子なのだろう。
難しい召喚魔法が完璧に成功した時の様に上機嫌だった。
エルフらしく、あまり食事に頓着しない師匠が
珍しくお代わりまでするほどだった。
夕食では、その魔法をシンシアが披露した。
ずっと緊張気味だったのは
師匠に合格点を貰えるかどうか分からなかったからではなく、
それをクラリスにプレゼントするからだとは思いもしなかった。
「お互いにそれをつけてあげるんだ
そうして、その魔法は完成する」
師匠がそう促すと、シンシアがお互いの髪にリボンを結び始める。
俺はそのリボンに入った刺繍の模様をみてぎょっとした。
おそろいの刺繍を入れた品は
親しい人へ親愛の証として贈るポピュラーなものだ。
だが、エルフが脈々と伝えてきたあの模様にはもっと深い意味が込められている。
刺繍で描かれた模様、いや呪文は
人が生涯にただ一度だけ紡ぐことが出来るという祝福の魔法だ。
それはエルフが最も大切な人へ贈る品に付けるものだという。
そんな意味が込められているものを、シンシアはクラリスに贈ったのだ。
彼女はその意味を理解しているのだろうか?
思わず隣に立っている師匠へ目を向けると、
意味ありげな笑みをこちらに向けてきた。
…悪戯ババアめ
最近何を教えてるのかと思ったら、よりにもよってアレか。
あの刺繍は分かる者にはすぐ分かる。
両方とも肌身離さずつけているとなれば
きっと、ひと騒ぎ起こるだろう。
それを分かっていても、シンシアは贈ったのだ。
シンシアがお互いの髪にリボンを結び付け終えると
施された刺繍が淡く金色に輝き、呪文が発動したのが見て取れる。
クラリスは、無邪気に喜んでいるが
シンシアの表情からはどこか覚悟を決めた真剣なものを感じるのは、
つまり決意の表れなのだ。
嬉しさで泣いているクラリスを抱き留めながら、師匠に向けて
エルフの秘術の一つである祝福の魔法を
何の見返りも無く教えてくれたこと、
クラリスを治療してくれたことについて
何度もお礼を言っていた。
なぜこんなに良くしてくれるのですか?というシンシアの問いに師匠は
「君たち二人が好きだからさ」
と、何でもない風に答えていた。
よくそんな事が言えるな。
そう思ったが師匠の顔は慈愛に満ち溢れていて
とても彼女たちを利用しようと考えているようには見えなかった。
クラリスを利用したいという気持ちと、
守ってやりたいという気持ちは共存し得るのだろうか?
人というのは複雑な生き物だ
角度を変えてみると様々な面が見えてくる。
善人でもあり同時に悪人でもある、そういう人間を沢山見てきた。
だから、俺は人と関わるのが苦手だ。
考えなければならない事が無限に増えていく。
師匠が何を考えているのか、未だに分からない。
俺がクラリスの事を好きだというのも師匠が何か思考を誘導しようと
わざと言ったのか、俺自身の本心なのかも分からない。
そんな難しい駆け引きを考えられるほど俺の頭はよくない。
だが、クラリスがシンシアと一緒に居る姿を見ていると、
何故か心が落ち着くのは、きっとその時の彼女たちの表情が
とても幸せそうだからなのだろう。
その表情を守ってやるのが
俺がやるべき事なのだと思う。
今は、それだけを考えていればいい。