第1話:就職、そして海外駐在
大阪で生まれ育った私は、就職して初めて大阪を出た。そして行った先は静岡やった。紆余曲折はあったけど、なんとか希望してた自動車メーカー担当の営業になれた。
でもな今から14年ぐらい昔の話しやから、自動車メーカーに来る女性なんて全然おらへんかったんや。だから色々と嫌な目にもあったで。
「ここは女の来るとこじゃない」とか
「女の色気で商売とれるから良いね」とか、いろんな厭味とか言われたわ(泣)今の時代じゃ考えられへんかも知らんけど、当時は大企業でもそんな事を言ってたんやで。購買にいた奴なんか、
「女なんかと話をしたくない」
とか言いやがって(怒)後つけてって、殴り掛かったろかとか考えたわ。でも良かった。そんなことせんで。そんな奴のせいで、自分の人生棒に振りたくないからね。
最初の頃はスカート着たりヒールを履いたりしたけど、一ヶ月後にはパンツスーツとローヒールに変わってたわ。だってスカートで営業に行ったら、
「何しに来たの?」とか嫌そうな顔で言われたし。。。
そん時から今まで、スカートのスーツは一度も着てない。
ほんま最初の頃は馴染めんかって、辛かった(泣)よく朝になるとお腹が痛くなって、急に会社休んだりしたな。出社拒否や。ぶっちゃけ自殺なんかも頭をよぎったこともある。「今の状態と死ぬのと、どっちが大変なんやろうって」
あほな考えやけど、当時はそういうことを相談する相手もおらんかったから、こんなことを考えてしまったんやと思うわ。でも負けん気の強さだけは、入社したころからあったで。ウダツのあがらんオヤジどもに腹立って、
「一年前の自分と今の自分と比べて何も変わってないんやったら、生きてる意味ないわ」
とか言ったりもした。ジャックナイフやな(笑)可愛いげの無い女やったんやろなー。だから、彼氏なんか全然できへんかったわ。
でもたまに友達とか誰も知り合いがいないのが寂しくて、泣きたくなったこともあった。夜、山道を泣きながら車を走らせたこともある。友達が居ないのは寂しい。。。気付くとネットが友達になってた。当時は未だネットが流行ってなくて、今みたいな出会い系とかは無くて、ネットなんかしてるのはごく一部のオタクちゃん。でもそこで、初めて友達が出来たんや!楽しかったでー。毎晩、寝る間も惜しんで、ネット(笑)今では考えられんが、ダイヤルアップ(爆)テレホーダイとかしてた。
まぁ家ではそんな調子やったけど、会社では先輩、後輩だれにでも牙を剥いてたよ。ジャックナイフやから(笑)
でも、そんな毎日にも段々飽きてきて。。。会社辞めたくなったんや。でも、どこにも行くとこない。彼氏もおらんから、結婚という逃げ道もない。ダラダラと毎日を過ごしてた。今から思えば、あの頃の私こそ”一年前から進化ない奴”やったんやろな。最低やな。
さてさて話は戻って、そうこうしてる間に月日は経ち。四年が経過。そんな時、なんと海外駐在の打診がきた!
「まさか海外なんて」
と、まさに青天の霹靂やったわけやけど
「いや、待てよ。今の生活に何も目標がないんやから、行ってみるか」
そんな単純な考えで駐在OKした。でも実は、そん時の英会話能力はゼロ。皆無。だって高校時代は赤点とって、大学時代は授業すら出ぇへんかったんやから。
だから今から考えると、駐在するってよく決めたなぁって思う。まぁ、ただの向こう見ずやったんやろな。
でもやっぱり駐在を決めたのはエエけど、英語の能力が無いってことが心配になってきた。でも心配の理由はチト変で、会社に英語が出来へんのがばれたら駐在の話が白紙になるんちゃうかという理由からやった。
じゃ、どうするか。と悩んだ末、先ずNOVAに行ってみることにした。行ってみると、最初に試験を受けさせられてクラスを決められたんやけど、なんと下から二つ目のクラスやった。
「There is an apple on the table」
テーブルの上にリンゴがあります。最初の例題は、なんとこんなレベル!さすがの私もショックやったわ。まさか、まさか。。。
そんな中、会社から駐在前に英語研修があると通達がきた。
「ヤバイ〜。ばれる〜。」
私はどうやったら会社にばれへんかって考えた。考えた。閃いた!
「ばれる前に出てしまえ」
今から考えなおすと、英語が出来へんかっても駐在取り消しなんかなれへんかったやろけど、若かった私は単純やったんやろな。真剣に心配したんや。今でもよく覚えてるわ。私は色々理由をつけて赴任を2000年3月6日にしたんや。理由は英語研修が2000年3月6日から1週間あったからや。
海外駐在。駐在先は
「ハンガリー」やった。
「え!?何処??」
そりゃ中流大学出身の私には判る訳ないやろ。存在すら知ってるような、知らんようなっていうレベルや。
父親にハンガリー駐在の話を言ったら、
「左遷か?共産国ちゃうんか?」と言われた。
おばあちゃんなんてハンガリーやって言ったのに知らん間に兄貴の耳に届く頃には
「おばあちゃんから聞いたで。韓国に駐在やってな。」ってなってた。伝言は恐ろしい。
でも、それを聞いたおばあちゃんは
「ちゃうで。パリやで。」恐ろしいのは、おばあちゃんやったか。。。
さてさて駐在が決まった後、駐在前にハンガリーに出張に行こかということになった。家探しや。それはエエんやけど、なんと一人で行けと言われた!初めての海外出張やのに一人旅。会社の上司が先に行って、ハンガリーの空港で待ち合わせやって。
「なんで待ち合わせがハンガリーやねん!」と、とりあえず突っ込む。そりゃ無茶苦茶不安やったで。英語喋られへんし。さらに悪いことに、ハンガリーには日本からの直行便がないからどっか欧州主要都市で乗り継ぎが必要やという。初めての一人旅で乗り換えかよ!三村マサカズみたいな突っ込みも入れたくなる。いや、ほんま。
そしてとうとう出発当日。会社の人に
「日本〜ドイツ。ドイツ〜ハンガリー。成田で二枚チケット貰うんやで。」
って聞いてたのに、成田空港でJALのチケットカウンターに行ったら、
「ドイツからハンガリーまでのチケットはフランクフルト空港にあるハンガリー航空のカウンターで発行してもらって下さい。スーツケースだけはここでハンガリーまでのお手続きをします。」
ときた。なんでスーツケースだけ?私のチケットもハンガリーまで出してやー!どういうことやー!!と言いたかったが言えず。まぁなんとかなるか。という超ポジティブシンキングでとりあえずヨシとした。
そうして成田から飛行機に乗ったが、会社でエコノミークラスは新幹線より狭いって聞いてたんやけど、聞いてたほど座席は狭くなかった。座席は色んな所がリクライニングするし、シートは大きくてポーチを腰掛けた横に置けたんや。みんな大袈裟やなぁと思いながら約12時間ほどのフライトを満喫!でも後で知ったことやけど、なんでか知らんけどエコノミークラスやったのがビジネスクラスにアップグレードになってたみたいや♪おおきに。
まぁ、そんなこんなで快適な空の旅をビジネスクラスで過ごし、ドイツに到着。
「さぁ、ハンガリー航空のカウンターはどこや??」
とりあえず、外に出る。パスポートコントロールを抜けて、、、って、おい!!!抜けたらアカン。乗り継ぎは外に出ぇへんでエエんや!でもそんなこと知るわけないやん。だって初めてやもん。それに地下街とかも苦手やから、普段からスグ外に出る癖があるんや。だから出てもーた。
まぁいずれにしても、とにかく外に出てもうた。早速、迷子。初めての一人旅で、初めてのドイツで、早速迷子。
さぁどうするかと悩んでた時、上司がハンガリーで待ってるのを思い出した。
「電話や!!」
なかなか良いアイデアが浮かんだもんやと思ったけど、先立つもんが無い。金がないんや。
「じゃ、まず両替でもするか。」
両替はエクスチェンジとユーロだけ言って、日本円を出したら換えてくれた。楽勝やな。。。そして札と少しのじゃり銭ゲット。
「さぁ電話しようかな」
でもどうやって?確か国際電話は番号のあたまに001か、010やったな。と思い、公衆電話からかけてみる。・・・でも、かからへん。何度やってもかからへん。
「なんでや?」
急に不安になってきた。乗り継ぎ時間もそんなに余裕がないし。そうや!サービスカウンターに行ってみよう!って思ってサービスカウンターで聞くことにした。
「How can I call Hungary?」
聞く前によ〜く文章を考えて、何度も復唱してからら聞いてみた。そしたらなんだか、いちよう通じたらしい。でも、その後、
「○△%×○&□」
何言うてるか全然解らん。。。一度は聞き直したけど、二回聞き直す勇気は無かったわ。しゃーないから聞くのは諦めて、自力で再度電話トライ。
でも相変わらずアカン。しかしどこかには繋がってるのか段々小銭が減ってきた。しゃーないからホットドック買って、またまた小銭ゲット。
「今度はテレホンカード買ってみよう」
辺りを見まわすと、公衆電話が並んでる横に販売機発見!
「こりゃ、エエわ」
有り金全部投入。よく解らんけど1番高いやつにしよう!と思い、ボタンを押してみた。すると、
「カシャン。カシャン。カシャン。」
テレフォンカードっぽくない音がして、なんだかいっぱい出てきた!!!ひょえ〜。
「これは切手やないか!?」
電話の横に設置すんなよ。。。
また金を失った。でも切手のお釣りが少しだけあったから、
「今度こそ」と気合いを入れ、再びサービスカウンターへ向かった。さっきは会話しようと思ったからアカンかったんやと反省し、筆談にチェンジ。紙に上司の電話番号を書き指でさしながら、ペンを相手に差し出してHow to call?と聞いみた。そしたら、電話番号の前に 00 とだけ書いた。なんや、001でも010でも無かったんや。そのあとようやく電話が通じて、チケットの貰い方も聞いてハンガリーに行くことが出来た。
もうハンガリー行きの飛行機に乗った頃はヘロヘロで、もうぐったりやったわ。そしたら、そんな私を見た隣座席のクロアチア人と名乗るおっさんが飴ちゃんくれた。おっさんも私も英語は殆ど話せなかったけど、仲良く会話が弾んだ。
「やっぱり会話は言葉やないな。心やな。」そうこうしてる間にハンガリー空港に到着。上司に会う頃には、元気になってたね。
こうして無事、一人珍道中も終わり、2000年3月6日の赴任の日を迎えることになった。