な
何度も繰り返し同じ遊園地の夢を見る。
夕闇に包まれたこの場所にはそぐわない軽快な音楽。次々に色を変え影の出来たアスファルトを明るく染めるメリーゴーランド。
夕日を背にこの楽園に巨大な影を落とす観覧車。其処彼処から聞こえる子供たちのざわめき。
普段公園で遊ぶ子供達ならお腹が空き、そろそろ帰る時間だ。誰かがもう帰る、と言い出し自分も、と次第に騒がしかった公園は静けさに包まれる。
誰だって自分だけ取り残されるのは嫌。誰が決めたというわけではなく、子供達の中で段々と出来上がっていくルールがある。
でも、この楽園ではそんなルールを気にせず思いっきり楽しめる。
何処からか、遠き山に日は落ちてが流れてきた。何度も耳にした歌。次第にざわめきは収まっていく。
そして、辺りが静寂に包まれ閉じた瞼を開けた時、すっかり夜の闇に覆われたその場所に、僕は一人で立っていた。
いつもそこで目を覚ます。
意識が覚醒した瞬間感覚として現れたのは痛みだった。
頭が痛い、いや頭だけじゃない全身が痛い。痛いを通り越して熱い。
特に頭は内側からカナヅチか何かでガンガンと叩かれているように激しく痛む。
目を覚ましたばかりなのにもかかわらずくらっと目眩が襲いまた意識が飛びそうになった。
やまない頭痛と目眩を堪え、意識を他へと向ける。泥だらけのコート、痣だらけの体、そして人通りの少ない小汚い路地裏。
次第に先程まで何があったのかを思い出す。
殴られた。大人数で。何回も何回も。
最初の肘で頬を打たれた。がきっと嫌な音が響き口内に鉄の味が広がった。次に鳩尾を殴られた。何も食べてない胃からは黄色い胃液がびしゃびしゃと戻された。
その後、腕を無理やり反対に捻じ曲げられた。ぼきりと音がして激痛が走った。その後も容赦ない暴力が僕を襲った。
僕がこうして気絶したのを見て、彼等は満足して去っていったんだろう。
不意に真夜中の路地裏に寒風が突き抜け、僕はぶるりと身を震わせる。ボロボロに擦り切れたコートは水たまりの水を吸って使い物にはならない。
仕方なくコートを脱ぎ、震える手で胸ポケットを探り煙草とライターを取り出した。
しかし、ライターはつけようとしてもかじかんだ手ではなかなかつかず苛立ちが募り舌打ちをつく。
何度か試した後ようやく火がつき、くしゃりと折れ曲がった煙草に火をつけた。
澄み切った雲一つない冬の夜空に白い煙が一筋立ち上っていく。
がらにもなく、その様子を綺麗だと思った自分がいた。
何故僕がこうして大勢に袋叩きにされ、路地裏に投げ捨てられているかというとそれは僕の裏切りが原因だ。
その裏切りの内容については追々話すことになるのかもしれないが、とにかく僕は彼等の怒りを買ってしまった。
脱いだコートのポケットを探る。……ない。
思った通りだったが、財布をとられたようだ。
僕自身後ろ暗い理由があるため、警察に暴力を受けたと通報することもできない。
かと言ってこれで彼等が復讐を諦めたとは考えないし、また後日同じ目に遭うのは確実だ。
煙草が燃え尽きる。吸殻を水たまりに投げ込み立ち上がった。脱いだコートを羽織る。
刹那、足に耐えがたい激痛が走り思わずその場にしゃがみ込む。足も手酷くやられたらしい。
しばらくうずくまった後もう一度立ち上がる。痛いが歩けない程ではない。
息を吐く度、煙草の煙と同じく白い靄がかかり空へと上っていく。
この靄がそのまま天に繋がり、そのまま空へと昇れたらいいのに。ずぶ濡れのコートを羽織りながらふと感傷的にそんな事を思った。
とりあえずあてはないが、路地裏から引き返すことにした。
僕が気絶してから大分時間が経ったらしい。路地裏から抜けた商店街はどの店も閉まり閑散としていた。
その方が都合がよかった。今のこの姿を見られて好奇の目に晒されるのは間違いない。
痛む足を引きずりながら、夜の街をひたすら歩いていく。頭痛は一層酷くなっていた。
そういえば先程気絶していた時に見た夢。あれは何なのだろうか。
この頃よく遊園地の夢を見る。それも昼間じゃない、決まって夕方だ。
僕は周りの人のように遊ぶわけでもなくひたすらそれを見ているだけ。ただの傍観者だ。
夕暮れの遊園地というのは何というのか、少しいつもより感傷的な気持ちになる。理由はよく分からないが。
それは観覧車の作る影のせいかもしれないし、夕闇にそぐわない明るい音楽のせいかもしれない。
いずれにしても夕暮れの遊園地を見ると僕は懐かしさのような物悲しさのような郷愁を覚える。
幼い頃、僕もあの場所に行ったことがあったのだろうか。よく思い出せない。
絶えない頭痛を紛らわすように頭の片隅でそんな事を考えていた。
そのとき、僕のコートにふわりとした何かが舞い降りてきた。
白くて軽いそれはコートに触れるなりすぐに原型を失い一雫の水滴へと化す。
見上げれば、藍の絵の具を垂れ流したような空に無数の白い雪が舞っていた。
また雪だ。ますます辺りは冷え込み僕はまたしもぶるりと震えた。
ーーもうすぐこの街は永遠に降り積もる雪で埋め尽くされる。
そんな御伽噺のような出来事を真面目に語るニュースキャスターをテレビで見たのはいつのことか。
この街はここ数年の異常気象により雪が止むことはなくなり、やがて大地は雪に覆われる。
近隣の住民はもうすぐここを非難して別の土地に非難しなければならない。
突飛な話だったが、嫌いだったこの街が消える、というのは僕にとって少し気分が楽になることだった。
歩く足を速め、コートのフードを深く被り直す。
最近夜寝付けないとき、ふと死にたくなることがある。
僕の今まで生きてきた二十年間の人生はまったくと言っていいほど、幸せなものが存在しなかった。
いつもろくでもない連中とつるみ、下品に笑い転げる毎日。思えばそれは一人いることの虚しさを紛らわせるためだったのかもしれない。
こんな毎日糞食らえだ。滅びるくらいが丁度良い。
しかし、いくら悪ふざけをしても火遊びをしても虚しさが埋められることはなかった。楽しんでいるのではなく楽しんでいる演技をしていただけだった。
そして、その日僕はもう後戻りはできない裏切りをした。もう彼等と笑い合う日は戻ってこないだろう。
いつもいつもいつも考える。何故こんなにも現実は上手くいかないのだろうか。
あの夢はきっと死にたくなる現実から逃げるための夢なんだ。
いっそ死んでしまえば楽になる?誰かが言った、死ぬ勇気があるならそれを生きるために使え、と。
そう言われたとき僕はきっとこう答えるんだ。生きるための勇気がないから死ぬしかないんだ、と。
僕の歩く足は自然に速くなっていた。あてもなく歩くことから、どこか目的地に向かうように。
僕はきっと死に場所を探していたのかもしれない。
商店街を突っ切る。灯りの消えた寝静まった住宅街を抜ける。引き寄せられるように。焦るように、
やがて目的地が見えてきた。空の藍よりもっと暗い色を塗りたくったような海。
堤防に呑み込まれそうな闇に覆われた波が打ち付ける。
僕を絡め取るように。引き摺り込むように。
幼い頃は昼間見たあの綺麗な海にこんな裏の顔があるなんて知らなかった。
堤防に登る。下を見下ろす。すうと潮風を吸い込む。底の見えない恐ろしさに身を震わせる。
息を吐き空へと消える白い靄を見届けた後、僕は一歩水の中へと踏み込んだ。
瞬間痺れるような痛いくらいの冷たさが足から全身に伝わる。
思わず声を上げてしまいそうになるのを堪え、そのままもう一歩水へ浸かる。
最初よりは慣れたのか冷たいが、声を上げずには済んだ。
そのまま一歩一歩奥へ奥へ死へと近づいていく。
恐怖はなかった。それよりもろくでもない毎日からのしからみから解放されることに安堵さえしていた。
先程の連中でもそうだが、荒れた高校。寂れたこの街。僕の知る世界の全てが嫌いだった。
大分進んだのか僕の体は腰まで海水に浸かっていた。水を吸い動きにくいため、コートを投げ捨てる。
寒い。かちかちと歯が鳴り震えが止まらない。
そのとき、視界の端に異質な何かを捉えた気がした。嫌な予感がしてもう一度同じ場所を見据える。
女の子がいた。
最初は寒さによる幻覚か幽霊かと思った。こんな場所に僕より年下の少女がいるなんてどう考えても異常だろう?
思考が止まった。少女は真冬だというのにノースリーブの白いワンピースを纏い腰の辺りまで海水に浸かっている。
いよいよ僕は自分の頭を疑った。絹糸のような艶のある長い黒髪が潮風にさらさらと靡く。
もし夢じゃないならこの少女は何者だ?なんでこんな所に?こんな所にいるなんて幽霊か僕と同じ自殺志願者しか考えられない。
でもいずれ死ぬつもりの僕には彼女が幽霊だろうとどっちでもよかった。彼女が何をしようと僕には関係ない。
そう思ったはずなのに。
いつの間にか沖へ沖へと進む少女を追いかけていた。
無理に走ろうとしたせいかばしゃばしゃと水飛沫が飛び散り何度も岩に足をとられ、転びそうになる。
そして彼女の白く細い腕を掴んだ。少女が驚いたように振り向く。瞳に怯えの色が浮か
そして困った。この少女を捕まえて何をしようというのか。例えば自殺志願者なら僕に止める資格なんてある訳ない。
その時何を思って死へと突き進む彼女を引き止めたのかは分からない。
でも、ただ一つ理由を上げるとするならば。
死んでしまうには惜しいと思ってしまうぐらい彼女が美しかったからかもしれない。
近くで見ると改めてその美しさが分かった。透き通るような白い肌、黒目がちな丸い瞳、形の良い鼻、そして漆を塗ったような黒髪。
綺麗なものを愛でる趣味なんてなかった僕が生まれてはじめて美しいと思った。死ぬことでその美貌を損なわせたくなかった。
これが恋かと問われれば僕はきっと違うと答えるだろう。恋のような低俗な下心ではない。
彼女には触れるのを躊躇うような神々しさがあった。当てはまる言葉に近いものなら崇拝か尊敬か。
とにかく僕のそんなエゴによって少女は死に場所を失った。
寒さか怯えのせいか掴んだ腕が震えている。かちかちと歯を打ち鳴らし彼女はきっと僕を睨め付けた。
「邪魔……しないでください……」
か細い弱々しい声だったが、そこにははっきりとした拒絶が含まれていた。
「あなた何なんですか?いきなり現れて。止める気ですか?迷惑なんですそういうの。赤の他人に何も知らないで止められたくない。
迷惑なんですよ、分かったらこの場から消えてください」
一息でそこまで言った後、少女は乱暴に僕の手を振り解こうとする。でも僕はその手を離さない。
少女が整った眉を顰めた。
「どういうつもりですか?離してください」
「嫌だ」
喋ったせいか口の中が切れて鉄の味が広がる。喉から血の塊がせり上がってきて僕は慌ててそれを飲み込んだ。
「離したら君はまた海に飛び込むつもりだろ?」
「だから何ですか?あなたに何が関係あるんですか?私の何を知ってるんですか?」
「何も知らない。でも死んじゃ駄目だ。君はこんな所で死んでいいような人じゃない」
彼女がかっと目を見開いた。
「私の何がわかるんですか⁈私が何を思って死のうとしてるかなんて、知らないくせに!でたらめな言葉で止めようとしないでください!」
顔が真っ赤に上気し、少女は肩を怒らせて呼吸をする。その時はらりと神が肩から落ち白い頸が露わになった。
そこにある痛々しい痣。
はっと息を呑んだ。
赤黒い痣と白い肌のコントラストは痣を一層引き立てているように見えた。
遠目では分からなかったが、肩の辺りや腕の付け根にもいくつも痣があった。いずれも服で見えない位置につけられている。
彼女が死のうと思った理由が漠然とだが分かった気がした。
「でも君にはここで死んでほしくない。生きててほしいんだ」
僕が彼女の死に口出しする理由はない。これは完全に僕の自分勝手な考えだ。
「……何でそんなに引き止めようとするんですか。もう嫌なんです、こんな世界。アイツらもろくでもない毎日も全部全部。
毎日毎日こんな生活を繰り返すぐらいなら死んだ方がマシだって思えるんです」
彼女は抵抗するのをやめ、だらりと腕の力を抜いた。そして俯き華奢な肩を震わせ嗚咽を漏らした。
しばらく沈黙に包まれ、真夜中の海に彼女の啜り泣く声だけが聞こえる。雪が激しくなった。
「……僕が君に死んでほしくないと思うのは」
その沈黙を最初に破ったのは僕だった。そこまで言って一呼吸置く。
まずい。そろそろ寒さも限界だ。それもそうだが、今冬の真夜中海に腰まで浸かっているんだから。
それを考えると僕たちの置かれた状況がいかに異常なものかがよく分かった。
話を切り出したにもかかわらず、今更この言葉を言うべきなのか迷ってしまった。
でも一度息を吸い直し、繰り返す。
「僕が君に死んでほしくないのは……君があまりにも綺麗だったからだ」
そこまで言うのと同時に俯いていた少女がはっとした様子で顔を上げた。
僕を見つめる瞳は驚きと信じられないという感情が複雑に絡み合っていた。
「あなた……馬鹿じゃないんですか?何を言い出すかと思えば……そんな間抜けなこと……」
そう言うが、彼女の口調には動揺の色が隠しきれていない。
「確かに僕は馬鹿なんだと思う。しかもこんな場所にずっといるんだから頭がおかしくなってるのかもしれない。
だから出会って数分の君にこんなことが言えるのかもしれない。だが君を見て綺麗だと思った。胸が震えた。誰かを見てこんなにも胸が熱くなったのは初めてなんだ。
でもこれは恋じゃない。信じられないと思うけど今の僕にまったく君に対しての下心というものがないんだ。嘘じゃない本当だ。
これは僕の自分勝手な考えなんだと思う、エゴだと思う。でも君には死んでほしくない。君は死なすには惜しくなるくらい美しいんだ」
生まれてきてこんなにも饒舌に話せるなんて初めてだ。しかも後から思い出して恥ずかしくなるくらいの言葉を並べ立てるなんて。
「ほんとに……頭、おかしいんじゃないん……ですか」
彼女は途切れ途切れにそう呟いた。その時僕は彼女の異変に気付く。
彼女はきっと僕が来るよりも前にこの場所にいたんだろう。しかもノースリーブのワンピースという季節外れの格好で。更に雪まで降っている。
とっくに寒さに限界が来てたとしてもおかしくない。
そのとき、ばしゃんと派手な水飛沫を上げて彼女の体が崩折れる。その上半身が水に当たる前に慌ててその身体を支えた。
急いで戻らなければ。かと言って僕もそろそろ限界で彼女を支えて浜に戻る気力がない。
助けを求めようにもこんな真夜中来てくれる人がいるかは疑問だ。
自分で何とかするしかない。身体が限界を迎える前に早く戻らなければ。
彼女は薄っすら目を開けていて僕に向かって何か言おうと唇を動かした。しかし、声が漏れることはなく何と言ったのかは聞き取れない。
優しく触れなければ壊れてしまいそうな細身の身体を抱き上げる。彼女の身体は驚くほど軽くこれなら無理なく持ち上げられそうだった。
それと同時に彼女の身体は芯まで冷え切っていた。人間は熱を作り出すために震えるというが今や震えは止まっていた。
それは身体に熱を作り出す力も残っていないということだ。大分衰弱している。
人一人抱えて海の中を歩くのは体力を削られたが、彼女を死なせないために必死だった。
先程まで死に場所を探していた人間が死のうとした少女を助けている。傍から見ると滑稽な話だった。
大分奥まで来ていたように思えたが、案外浜との距離は離れておらずすぐに海から上がることができた。
とりあえずぐったりした彼女を堤防の上にそっと降ろす。意識はあるのか顔色は真っ青だったが目を開いて僕を見つめていた。
彼女は今死に場所を奪った僕に怒っているんだろうか。
コートは捨ててしまってないため、濡れていない上半身のシャツを脱ぎ肩を出している少女に着せる。
シャツは細身の少女にとってはぶかぶかで袖が余っていた。
下着だけになってしまった自分に突き刺すような寒さが襲って来たが、目の前の美しい少女の寒さが和らぐならそれでいいと思えた。
少しでも寒さを和らげるため腕をさすりながらこれからどうしたものか、と思案する。
一番いいのは少女を家に帰すことだ。しかし一度は自殺しようとしていた彼女を放っておくとまた同じことをするだろう。
警察に届けるか。それは僕にとって困る。今の僕はできるだけ警察と関わることを避けたかった。
そのとき少女がむくりと起き上がり、堤防に腰掛けた。着せられたシャツをぎゅっと握りしめ俯く。
「……寒い」
かちかちと歯を震わせて青紫色になってしまった唇からただ一言そう漏らした。
「私、死ねなかったんですね……」
そう呟いた声には落胆と絶望の両方の感情が入り混じっていた。
そして僕の方を見ると、きっと強く睨みつける。
「あなたは……私が死のうとしている所を邪魔しました。それだけでなく、ようやくこの世から消えることに諦めがついて死ぬ恐怖に対する覚悟もできていたのに……
あなたが邪魔したせいで今は死ぬことに対する恐怖が止まりません。どうしてくれるんですか?」
「それに関しては本当にすまないことをしたと思ってる」
僕のエゴで彼女の運命を変えてしまった。謝って済むことではない。
「謝らないでください。許さないので。
……こんな世界生きてたって何にもいいことなんてない。状況は何も変わってないのに……」
そこまで言って彼女は身体をぎゅっと丸め顔を膝で隠した。
本当に今更だが、彼女に対しての罪悪感が芽生える。何かできることはないかと思った。
「僕が言えたことじゃないけど、何か償えることはないかな」
だが、これも僕の罪悪感を埋めるための自分勝手な押し付けだ。そんな僕に彼女は言い放った。
「責任、とってくださいよ。死ぬことに対する恐怖を私に教えてしまったこと」
「僕にできることだったら、なんでもする」
僕がそう言うと彼女は顔を上げて僕を見た。長い睫毛に縁取られた瞳が僕を映す。
「それなら……」
そのとき、強い風が吹き彼女の黒髪を激しく靡かせた。形の良い唇が動く。
「私に生きていてよかったと思わせるような幸福な人生をください」
そう言う少女の瞳はからっぽだ。絶望や悲しみと言った感情すらもない空洞。
そして、それは硝子細工のように壊れそうで綺麗だった。
「そしてその幸せが覚めない内に幸福の絶頂のときに……」
少女は願うようにそっと目を閉じる。
「私を、殺してください」
紡がれた言葉は彼女の唯一にして最大の願いが込められていた。その言葉に僕は目を見開く。
そして再び目を開いた彼女は……穏やかに、慈しむように笑っていた。
からっぽだったはずのその瞳に微かな希望の片鱗が顔を覗かせている。そのときの彼女は例えようがないくらい儚く脆くーー美しかった。
どうかこれが夢なら醒めませんように。
居もしないはずの神にがらにもなくそうねがう。
それが死ぬことを願った少女と死ぬことを願った僕の出会いだった。