六畳間の怪異(後編)
柱時計のある広間で私はしばらく大人しくしていた。
時刻は深夜2時をまわっている。
あれから時計の鐘は鳴っていない。
カチコチと規則的に時を刻む音だけが響くだけの空間で私は睡魔と戦っていた。
東雲さんは大丈夫だろうか。
というよりも髪長お化けは出てくるのだろうか。
胡散臭そうな人だったが依頼した手前少々心配になり様子を見てこようと腰を上げた。
ボーン ボーン ボーン ボーン
突然鳴り響く鐘の音に驚き腰が抜けた。
「なっ、なんで今鳴るのよ…!」
眠気でぼんやりとしていた思考は一気に恐怖に書き換えられた。
長針は12でも6でもない場所を指している。
どう考えても時計がなる時刻ではない。
恐怖に怯えていると自分が何かを持っていることに気がついた。
それは東雲から貰った御守袋だった。
鐘の音は鳴り続ける。
私は目を閉じて御守袋を祈るようにグッと握り締めた。
するとピタッと鐘の音がやんだ。
「え…?お守りのお陰…とか?案外ちゃんとした御守りだったりして。東雲さんは胡散臭いけど。」
少々失礼なことを考えながらお守りに感謝した。
再び静寂が訪れる。
シンとした空間に私の心臓の音だけが嫌に響く。
ガリガリ … ガリガリ …
その音はあの和室の方から聞こえてきた。
「嘘。だって東雲さんいたはずでしょ…。」
ガリガリ … ガリガリ …
ゆっくりとその音は近づいてくる。
静かだった広間にはその音が妙に大きく響く。
よく聞けばガリガリの音の後に何か音がしている。
「布が床に擦れるような…まるで。」
それはまるで匍匐前進のように床を這っているかのような音だ。
その音はゆっくりと広間へと近づき広間の扉を引っ掻いている。
扉が開かないのかこじ開けようと大きな音を立てて引っ掻き始めた。
(来ないで!来ないで!来ないで!来ないで…!)
助けて…東雲さん!!!
「ったく、せっかくちゃんと成仏させ〈殺し〉てやるって言ってんのに勝手に逃げるなんてひどいねぇ。」
広間の扉の前で東雲の声が聞こえた次の瞬間、一発の銃声が聞こえた。
「『死人なら死人らしく死んどきな』」
今まで引っ掻いていたソレはピタリと止んだ。
そしてスススと広間の戸が開き終わったぞと東雲が顔を出した。
その左手には紛れもなく拳銃が握られている。
「…もしかしてそれで撃ったんですか?」
「あぁ、見りゃわかんだろ。」
「銃刀法違反…」
「うるせぇ。警察が祓えるなら通報でもなんでもしな。その代わり依頼料通常料金の10倍にすんぞ。」
「というか、髪長お化けはどうなったんですか。」
「きけよ。」
あの拳銃で撃ち抜いたらしいが、痕跡も銃弾の後も無い。
「相手はとっくに死んでんだ、遺体なんかあるわけねぇだろ。アンタの父親がみたのはヤツの思念だ。想い、特に怨念は強ければ強いほど現世に干渉してくるからな。」
拳銃については企業秘密らしい。
「にしても、いつまで座り込んでる?腹でも痛いのか?」
「腰が抜けて立てないだけです!」
そうか。と素っ気なく返事をした東雲は柱時計の方へと近づいた。
しばらく時計を見つめて、やはりな。と言った。
「何がやはり、なんですか?」
「これやっぱり壊れてないぞ。」
「え?変な時間に鐘が鳴るのに、ですか?」
「おかしいと思ったんだ。あんだけのバケモンを家に置いておいて、この家の人がなぜ正気でいられるのか。」
「そんなにあのお化けヤバかったんですか?」
「視えないってのはつくづく幸せな事だと思うぜ?血で塗れてる我が家なんてとてもじゃないが住めないだろうからな。」
東雲曰く、髪長いお化けの正体は若い女性だという。
若く綺麗なその女性は当時の五十嵐家当主との妾の子であった。
母親はすぐに亡くなってしまい、孤児院にいた彼女を当主が女中として引き取ったそうだ。
そしてあの六畳間を私室として与えたのである。
当時の五十嵐家は1番裕福な時代を送っており、絢爛豪華な生活をしていた。
その中に突如現れた女中の存在。
妾の子であるというのは家中にすぐ知れ渡った。
財産目当てで押し入ったのだ。
この家を乗っ取るつもりだ。
若君を狙っているだの噂話は絶えなかった。
そんな中でも彼女は賢明に職務を全うした。
誰よりも働き誰よりも当主に従順だった。
彼女は拾ってくれた当主が与えてくれる優しさだけで生きていられた。
彼女がいた孤児院は正当な孤児院ではなかった。
まともな食事にもありつけず、朝起きると隣で寝ていた子が冷たくなっている生活だったのだ。
そんな生活から救ってくれたのが当主だった。
彼女は当主を神格化していた節があった。
彼女にとって、当主が生きる全てだったのだ。
ある日事件は起きた。
当主がいない日、若君たちが友人たちを呼びパーティーを開いていた。
お酒も入り気分が良く羽目を外した彼らは、女中の彼女に手を上げたのだ。
彼女は私室に逃げ込んだが彼らは戸を破り彼女を追い詰めた。
そして鬱憤を晴らすかのように暴行を加えた。
流石にやりすぎたと思った頃には彼女の心臓は鼓動を止めていた。
彼らは事実を隠すため和室の畳を剥がし床下にそのまま埋めた。
痕跡も全て消して何事もなかったかのように過ごした。
暫くして彼女がいないことに気付いた当主は息子に尋ねたが、良い人ができたらしく駆け落ちでもしたのだろうと嘘をつき当主もそれを信じてしまったのだ。
それからである。六畳間からガリガリと引っ掻くような音が聞こえ始めたのは。
おかしな現象に耐えかね祓い屋を雇い、畳を剥がし床下を覗いた。
腐敗してもおかしくなくバレるとおもった若君であったが、腐敗臭もなく埋めた痕跡すらなかった。
若君は恐ろしくなった。確かにこの手で埋めた筈だと。
雇った祓い屋はお手上げ状態でとりあえずのお経を唱えただけであった。
「その後も現象はやまず、ついにはあの和室に姿を表すようになった。あとはアンタたちが知っている通りだ。」
衝撃的な事実に頭がついて行かない。
それに実際に見たかのような話の内容。
「実際に見て来たかのようですね。」
「ははっ。どうだかねぇ」
不気味に笑う東雲。
でも、東雲の話で父があの現象に遭った理由も分かった気がした。
若君。次期当主が狙われたのだ。
だから私も。
「それが事実だとして、この柱時計となんの関係があるんですか?」
「これはその女中の母親のもんだ。」
「初耳ですけど。」
「この時計が鳴る時決まって怪異が起きる直前じゃなかったか?」
言われてみれば。
「この時計には女中の母親の念がこもっている。音で危険をしらせ、娘の過ちをこれ以上重ねないよう警告をしていたようだな。それに結界を張っていた。」
そのおかげでこの部屋には入れなかったようだしな。
東雲の話はどれも辻褄が合う。
胡散臭いが本当にすごい人なのかもしれない。
「じゃあ、これで現象もなくなったってことですか…?」
「そうだろうな。諸悪の根源はこれで撃ち抜いたからな。もう怪異は起きん。」
そう聞いた途端緊張の糸がぷつりと切れたようで、今まで忘れていた睡魔が襲いパタリと倒れ込むように眠りについた。
「……な、なんだ。寝てるだけか。」
いきなり倒れた依頼主に驚き近づけばスヤスヤと寝息を立てていた。
よくみればその目元には隈がある。
東雲は懐から一本の煙草取出し火をつけた。
そして依頼主の家にもかかわらず、ぷかぷかと吸いながら五十嵐家を後にした。
空は少し白んでいる。
帰ったら一眠りするか。そう思っていると、柱時計の鐘の音が聞こえた気がした。
「『またの御利用お待ちしております』」
六畳間の怪異 終
これで六畳間の怪異編は完結となります。
ここまで読んでくださった方、ありがとうございます。