六畳間の怪異(前編)
我が家には開けてはならない部屋がある。
その部屋は家の北側にある六畳の和室だ。
曽祖父の代から存在しており、一度親の目を盗んで入ろうとしたことがあるが、祖父に見つかり信じられないほどこっ酷く叱られたことがある。それ以来その部屋には近づくことは無かった。
1年前に祖父が亡くなり、遺品の中から一通の手紙が見つかった。
それは大変古いもので、調べてみると大正時代のものであることが分かった。
歴史的価値のあるものなのだろうか? と見てみると、例の和室についての内容だった。
『六畳間に変異あれば東雲先生を尋ねるべし』
その1行で締め括られていた。
東雲先生。初めて聞く名前だ。
私の家は元々地主だったらしく、よく色々な人が尋ねてきたり、祖父が顔が広いことでも有名だった。
だが、東雲という名は1度も聞いたことがない。
父にも聞いてみたが心当たりがないようだった。
東雲先生とは何者なのか。
気になることはまだある。
この家は1度取り壊され曽祖父が生まれた際に新たに建てられている。
今年で100年になると父が年の初めに話していた。
つまりこの家が建てられたのは大正8年ということになり、そんな昔からあの和室は何かあったということになる。
一体あの和室に何があるというのか・・・。
あの和室については祖父の言い付けもあり、誰も口を開こうとはしなかった。代々当主には口伝継承がされているという事だけは聞いていたので、もう真実を語れるのは現当主である父しかいない。
確認するなら今しかない。そう思った。
その日の夜は雨だった。
いつもは気にならない雨音がなんだか騒がしい。
「お父さん、今いい?」
「あぁ。」
食後はお気に入りの椅子でまったり過ごすのがお気に入りの父。少し緊張しながら声を掛けてしまった事で何かを察したらしく、話を聞く体勢になった。
そして私はあの和室について尋ねた。
父は僅かばかりのため息と十分過ぎる間をおいて、申し訳なさそうな顔をしながら話はじめた。
◇◇◇
ソレを見たのは中学1年生の夏休みも終わりが近づいた頃だった。
宿題が終わってない事に焦り始めた俺は友人2人を我が家に招いた。
2人には宿題を手伝ってもらう代わりに家に泊まらせるという条件だったのでその日は広間で眠ることとなった。
「今日は本当に助かった。」
「そう思ってんなら手伝った甲斐はあるよな。」
「まぁな。それに手伝ったお陰で美味い飯と滅多に泊めさせて貰えない屋敷に泊まれたんだ。いい報酬だったさ。」
俺たちはフカフカな客人用の布団の中で暫く話していたが、いつの間にやら眠りについていた。
時刻は丁度午前2時30分。
いきなり広間にある柱時計がボーンボーンと鳴りはじめ俺は驚いて飛び起きた。
今までこんな夜中に時計が鳴ったことがあっただろうか。
壊れたのかもしれない。
そう思い時計に近づくと、隣の部屋から物音がすることに気が付いた。
それは野良猫かネズミがガリガリと引っ掻くような音。
動物でも入り込んだのだろう。
放って置いてもう一度寝直そうとも思ったが、一度耳にしてしまうとどうも気になって仕方がない。
戸を開けて置けばそのうち出ていくだろうと戸を開けるため、隣の部屋へ向かうことにした。
部屋の戸の前に来た時、ようやく俺は気付いた。
この部屋、例の六畳間だ。
普段は親父から入るなと厳しく言いつけられていたので近づくことすらほとんどなかった部屋だ。
恐怖心と好奇心を乗せた心の天秤が大きく揺らぎ、カタンと傾いた。
この部屋の戸は他の部屋とは違い絢爛豪華な装飾がされている襖だ。
ただ、近づくことが許されていないため手入れされておらず、かつて美しかったであろう装飾は薄汚れボロボロである。
俺は薄汚れた襖の引き手にゆっくりと力を入れる。
しばらく開けられていないはずにも関わらず、襖はスルリとあいた。
部屋の中を見たが暗くてよく見えない。
音のする場所はどうやら部屋の奥からするようだった。
こうしている間もガリガリと音は止まない。
さすがに暗闇の中に踏み込む勇気まではなかったため声をかけた。
おい、あけておいたぞ。
すると今までガリガリと鳴っていた音がピタリと止んだ。
薄気味悪い静けさが俺を包んだかと思えば、再び柱時計がひときわ大きな音を立ててボーンと鳴った。
その時俺はソレを見て恐怖した。
暗闇の中にカッと見開いた2つの血走った両目があったのだ。
本能的に危険だと感じ襖を閉じようとしたが、なにかに邪魔されて閉められない。
確認しようと襖を見た瞬間ゾッとした。
部屋から伸びる黒い何かが手首に巻きついていたのだ。
よく見ればソレは長い長い髪の毛であった。
そして今まで暗闇だと思っていたが部屋を埋め尽くす程の長い髪の塊がその部屋に存在していた。
ソレに気づいた時、俺は理解ができないほどの恐怖に襲われている腕に巻きついていたソレはきつく力を込めはじめた。
恐怖に怯えながらその場から逃げようとしたが、ソレは離れてくれない。
離れないどころか、体が動かなかった。今思えばあれは金縛りというものだったのだろう。
目を動かす事や呼吸は出来るが、声を出したり体に力を入れることができない。
更に目の前にはソレが恐ろしい顔で(ソレには目だけしか無かったが、そんなふうに感じたのだ)睨み付けているのだ。
俺は恐怖で頭がどうにかなりそうだった。
今までギリギリと締め続けていたソレが一瞬動きが止まった。
俺はその瞬間逃げだそうと必死で腕を引いた。
すると絡みついていた髪はスルリと解けた。
よし!そう思ったのも束の間。
今度は足首に巻きつこうと部屋の中からソレが伸びてきたのだ。
「来るなああああ‼︎‼︎」
俺が叫ぶと同時に柱時計の鐘が鳴った。
そのまま俺は意識を失った。
目が覚めると俺は布団の中だった。
あれは夢だったのだ。
そう思いたかった。腕のあざを見るまでは。
後日あの日の夜のことを友人2人に聞いてみたが、柱時計の鐘の音やガリガリという物音はしなかったという。
むしろぐっすり眠っていたようで一度も起きなかったそうだ。
あの怪奇が起きた翌日、母と父が俺の腕のあざを見つけると酷くショックを受けていた。
そして父は、あの部屋をみたのか。と真剣に且つ静かに聞いてきた。俺はおずおずと頷いた。
「部屋には入ったのか」
「入りはしなかった。ただ戸を開けただけ。」
そうか。と心底ホッとしていた。
本当に無事でよかった。そう言いながら涙を流したのだ。
その後、父はあの部屋について教えてくれた。
あの部屋は古くから存在しており、怪異はかなり昔からあったそうだ。部屋には目玉だけの化物が住みついており、ソレは部屋に訪れたものを引き込もうとし、一歩でも部屋の中に入ってしまえば、翌日部屋の前に変わり果てた状態で横たわっているのだそうだ。
何度もお祓いを行ってきたが怪異は止むことはなく、取り壊そうともしたが、工事の度不慮の事故やトラブルが起こり取り壊す事もできず現在に至るというのだ。
以前の俺なら単なる御伽話やよくできた怖い話だと思えたが、実際に経験してしまっている今それはできなかった。
取り壊す事も祓う事も出来ない部屋は怪異のことについて伏せ、立ち入ってはならない部屋とし家族を守ることが代々当主の役目となり、代々当主に口伝継承されてきたのだという。
「お前も俺の倅で当主となる人間だ。家族をお前のような体験をさせたくなければこの掟を決して破ってはならんぞ。家族を失いたくなければな。」
そう言うと父はこの話は以来話すことはなかった。
◇◇◇
「これが俺が体験した事と、親父から聞いたあの部屋の真実だ。」
しんと静まり返った夜に私の耳に雨音だけが嫌に響いていた。