新米ぼっちは信じない3
翌年、莉佐は順当に二年生へと進級した。
緊張して早く来すぎたせいで誰もいない廊下を踵で音を立てながら歩く。
結局変わらなかった。やっぱり嘘じゃないか。あんな噂。元々信じてなどいなかったけど。
そう自身を惨めに嘲笑いながら教室のドアを開けたその時だった。
「んっ――」
眩しい朝日が莉佐に降り注ぎ、一陣の風が頬を撫で耳元を通り抜けた。
莉佐は光の元へと視線を向けた。
そこには進級初日のため、早めにきたというには速すぎる莉佐よりも先に席に着き窓を開け、頬杖をつきながらただ空を眺めている青年がいた。彼は莉佐が来たことなど気にもとめず、ただ空を見つめていた。
そんな幻想的な光景に僅かばかり見惚れてしまったが、莉佐は気をとりなおし自分の席と思われる場所になるべく音を立てないように着いた。
僕の席はここで合ってるよね、と昇降口で見た自分の出席番号と椅子に書いてある出席番号を見比べる。
よかった、合ってる。確認した後、机に乗っている進級に関するうんちゃらかんちゃらという紙に目を通すために紙を持ち上げた。
その紙を持ち上げたその時、ハラリと進級うんちゃらの紙にくっついていた紙が落ちる。莉佐はそれを拾い上げた。
その紙は莉佐の担任になるであろう先生が作成したプリント、学級便りのようなもの。
左半分には担任の名前に趣味、自分の担当する教科なんかが書いてあって、右半分にはこのクラスになるであろう生徒の名前が出席番号順に記載されてあった。
ふと先程の光景が蘇る。
光が差し、風が舞い、綺麗だと素直に思ったあの光景。……男の子。さっきの、というか今も変わらず空を眺め続けている男の子。名前はなんていうんだろう。
別に調べたところで何かあるわけでもない、だが気になった莉佐は首を僅かに傾かせ横目に彼を見て彼の座る席から出席番号を導き出す。
この学園の出席番号は男女混合名前順で、窓側の一番前から並べられる。
窓側から二列目で後ろから四番目だから。九番、九番っと。紙を上から指でなぞり、九番の男の子の名前を探す。
……えっ? えっ!? 嘘でしょ!? あの男の子が!?
九番を見つけ出し、書いてある名前を見た莉佐は驚愕と困惑に包まれる。
黒瀬影莉。
その名前は――黒瀬影莉は。
莉佐が前に聞いた噂の彼の名前だ。ありえない眉唾な噂。その噂の男の子。
前に聞いた噂を自分の中で改めて反芻した。
導いてくれる存在。この学園は彼の物。生徒会長も手中に収めた。
その反芻した内容と合わせるように彼を見た。未だ彼はまだ太陽が顔を出したばかりの蒼い空を見続けている。その瞳は無気力で、髪は寝癖が少し残っていて、特別な何かがあるわけでもない。至って普通の高校生。
やっぱりありえない。あんな普通の男の子がありえない。
嘘だった。
嘘だったんだ。
やっぱり嘘だったんだ。
元から信じてなどいなかった。信じてはいなかった。
なのに、そのはずなのに、なぜこの胸は痛むのだろう。どうしてこのBカップぐらいのこの胸は痛むのだろう。
希望なんて持ったから、どんなに表面上で否定しても心では希望を、オアシスを渇望してしまったから、まるで蜃気楼みたく絶望は重く心にのしかかる。
莉佐は他の生徒が入ってくるまでギュッ、と胸を強く押さえ続けた。
莉佐はそんな事もあったなぁーと授業中にもかかわらず物思いにふけった。
あれから少しして莉佐は厄介な人たちに目をつけられてしまったが、彼は導きなどしなかった。そもそも導くって全然意味がわからないし。
ただ初めて見た時以上に彼に対する興味と初めは存在していなかった一種の尊敬のような気持ちが莉佐の中には明確に存在していた。
友達のいたことのある莉佐だからこそ分かった事がある。
一人でいるのは辛いし怖いものだ。
勉強で分からないことがあっても聞く人はいないし、困ったことがあっても助けなどなく、何より会話しないことがこんなにも辛く、怖いことだなんて一人になるまで莉佐は知らなかった。
だから彼は、黒瀬くんは凄い。莉佐はそう思った。
一人でいる。そこは自分と一緒のはずなのに何かが違う。莉佐はそれが気になった。だから自然と目が彼を追いかける。
辛いと思ったことなど一度もないんじゃないかと思うほどにその生き様はある意味で不遜。誰かと喋っているところを一度として見たことがない。僕ですらたまに喋るのに。
莉佐は彼を密かに尊敬していた。
噂通りに導いてくれなかったからといって別に黒瀬君を恨んでなどいない。黒瀬君は有る事無い事を勝手に噂として流されてしまった被害者なんだろうから。それで恨むなんてのは筋違いだから。
――それに黒瀬君を恨んだところで、やっぱり一人の日常は変わらないだろうから。
僕は結局一人だ。一人なんだ。
一人、光のない暗い闇の中を歩いてる。
莉佐はその場で静かに目を閉じた。
だから―――
だから僕は、噂なんて信じない。