新米ぼっちは信じない2
噂なんて信じない。莉佐は隣に座る彼を横目に見ながらそう思った。
一井莉佐には友達がいない。
莉佐はこの影春学園に高等部から入学した生徒だ。影春学園は中高一貫の学園。だが高等部から入学する生徒も少なくはない。莉佐もその中の一人だった。
中学校の頃の莉佐には友達とは言えなくても知り合いと呼べる程度の人間はいた。だが、この学園に来てから会話をする機会にとことん恵まれず、二年生になった今に至ってはちょっと頭がやばそうな人達に目をつけられる始末。
いくら友達がいないからといっても、こちらにだって友達を選ぶ権利はある。あの人たちはちょっとお断りだ、と莉佐は嘆息した。
進級早々、あんな面倒な人達に目を付けられるなんて我ながら災難だなぁ、と心の中で莉佐は自身をクスッと笑った。
莉佐は、ピアニストの父と専業主婦の母から産まれた至って普通の女の子。現在は父が海外のコンクールのため母と莉佐の二人暮らし。
莉佐は小さな頃から引っ込み思案な所があり、友達があまり多いとは言えなかった。
そんな小さなころの莉佐は父のピアノが好きだった。大好きだった。
毎日おねだりして父にピアノを弾いてもらった。莉佐や莉佐の母にピアノを披露する父の楽しそうな笑顔を莉佐は今でも覚えていた。
そしてそんな父に憧れるのは必然で、父のように自分も弾けるようになりたいと指が疲労で動かなくなって涙目になるほど必死に鍵盤を叩き練習した。
それとは無関係に、そして無慈悲に引っ込み思案な性格は歳を重ねるに連れエスカレートしていった。
中学生になると小学校で仲の良かった子がみんな別の中学に行ってしまい、それが原因で中学では話す事が減り、一人の時間はだんだんと増えていった。
最初は連絡を取り合っていた小学校の同級生も時間が経つと、部活や勉強で忙しくなったのだろう、連絡を交わす事は減っていき自然と交流は消滅した。
同級と会話することが少なくなりいつも一人で過ごしていると、自分という存在の弱さと向き合うこととなり、自ずと臆病な自分を信じることができなくなっていった。父が教えてくれた、莉佐が大好きだったピアノもいつしか弾かなくなっていった。
辛かった。
一人で過ごす日々は辛かった。なまじ、みんなで一緒に過ごす『楽しさ』を、みんなで一緒にいる『楽さ』を知ってしまっているから。
みんなで楽しさを共有すれば、一人よりも何倍も楽しむ事が出来た。つまらないはずの会話も小さなこともみんなで分かち合えば不思議と面白かった。
何か失敗しても友達と笑いあえば誤魔化すことができた。先生に指名された時、間違えてしまって、恥をかいてもそれは話の種になる。みんなで笑えば不思議と辛くなかった。
それが許されない。孤独は無情に無機質に鋭い刃となり胸に突き刺さる。
一日に数度の会話。他はすべて一人だった。
登校も。みんなが集まって笑い合いながら学校に向かっていく中。
休み時間も。あの先生の授業分かりづらすぎ、なんてみんなが会話してる中。
帰り道も。この後どこ行く? みんなが放課後の計画を話し合う中。
莉佐は一人だった。
ただそれでも中学では別にいじめられていたなんて事はなく、一人でいることが増えただけだったのは多分幸運といえるのだろう。
結局、中学生の間に友達と言えるような人物は出来ずに莉佐は中学校を卒業した。
この影春学園に入学しようと思ったのは莉佐の家から近いところにあり自分の学力と釣り合っていたという理由で選んだだけだった。
深く考えていなかったせいで面接で死にかけた。死んだ。なんで面接なんてものがあるのだろうか。
高校に入れば何か変わるかもしれないそんな希望を抱いた時もあった。
だけど。
高校生になっても結局変わらない一人の日常。
変わらない。変わらない。結局、変わらない。
当たり前だ。自分で何も行動を起こしていないのだから。変わるわけがない。
近くに座る子に話しかけようと思ってもその度胸がない。もし無視されたら、嗤われたら、そんな暗い考えが脳裏にこびりついて離れない。何度頭を振っても、何度吐き捨てようとしても、離れない。
部活を始めようとしても。部室のドアを叩く勇気がない。もし嫌な顔をされたら、断られたら、あり得ないかもしれない。だけど僅か0、1%でも可能性がありそれを引き当ててしまったら。
そう考えると足は震え、手はドアを叩くことを拒むように微動だにしなかった。
手を伸ばせばきっと、この手は闇から抜け、光を掴むことができるのに。
臆病な心がそれを許さない。
他人の領域に踏み込めない。踏み込むことが怖い。
踏み込んで嫌われる事が怖い。だから踏み込めない。
負のスパイラルからいつまでも抜け出せない。
仕方ない。仕方ないのだ。僕は変わらない。変われない。だから仕方ない。
莉佐がそう思い込もうとしていたそんな時だった。
彼の噂を耳にしたのは。
独りでいるものに届くという彼の噂。
でもそれは「導いてくれる存在」だとか、「この学園は彼の物」だとか、「生徒会長も手中に収めた」とか。そんなくだらないありえない眉唾な話ばかり。
バカバカしい。くだらない。しょうもない。僕を馬鹿にするな。
噂は所詮噂なんだと思った。もっと現実的なものにしろ。そんな噂信じるわけがなかった。だから彼を見に行く気にはならなかった。でも本当は。
信じられない、だけど――――だけど、それでも信じたかった。導いてくれるなら導いて欲しかった。
自分に自信を持てない僕を。嫌われることを恐れる僕を。孤独を嫌う僕を――――。