新米ぼっちは理解する4
獣飼 麻里亜は恐怖していた。
目の前の男を。
人が恐れるものは何だろうか。
それは簡単に言えば未知のもの、遠く理解の及ばないものだ。幽霊、祟り、呪い、死。
人間はいつだって理解の及ばない未知を恐怖して遠ざけてきた。
麻里亜は常にだれかと一緒にいた。友達がいた。仲間がいた。家族がいた。
小さなころから活発で元気な娘で、すぐに誰かと仲良くなって周りにはいつも友達がいた。それが当たり前だった。友達のいない生活。そんなもの考えられなかったし、考えもしなかった。
だが目の前の男――黒瀬はいつも一人だった。
別に麻里亜が黒瀬を見続けていたわけではない。麻里亜の視界にたまに入る瞬間、そのすべてで黒瀬は一人だった。
莉佐は麻里亜にとってまだ理解できる範疇だった。
彼女は一人ではあったが常に周りに怯えていた、そして羨望の眼差しを周りに向けていたから。
だけど黒野は理解できなかった。
一人でいる。莉佐とそこは同じ。そのはずなのに堂々としている。
一人でいるとき、つまりずっと、黒瀬は『オーラ』を放っていた。なんだか近寄ることをためらってしまうような、触れるだけで傷ついてしまう鋭い刃の様なオーラ。
周りを見る眼差しも莉佐の羨望とは全く異なったものだった。何も映していない。そこに感情はなく、あるのは『無』のみ。
麻里亜は認めたくなかった。
そんなのはおかしかった。一人は恥ずべきことのはずなのに。一人でいることはダメなはずなのに。
静寂。
恐怖は静寂が支配する麻里亜たちの空間をただ一人不遜に闊歩した。
机の上に乗るゴミの入ったビニール袋を見ても黒瀬は顔色一つ変えなかった。少なくとも麻里亜にはそう見えた。
私が投げてしまったゴミを片付けてから席に着いた彼は怖かった。なんで怒らないのか。なぜ投げた私を責めないのか。
何も言わない黒瀬が麻里亜にとっては逆に怖かった。
麻里亜にとっての恐怖が明確に近づいていた。
「……なんなの? ……気持ち悪い」
これは怯えから出た言葉だった。考えもせず、ただ恐怖した本能が出した反射のようなもの。意味のない言葉。
あっ、思わずとはいえ言い過ぎたか。
麻里亜がそう思ったその時、ふっ、と黒瀬が麻里亜を鼻で笑った。
「――ッッッ!」
嘲笑った。
馬鹿にされた。
一人でいる友達のいない黒瀬に馬鹿にされた。
この私が……!
その事実が一瞬、麻里亜の恐怖を抑え、怒りがリミッターを凌駕した。それはまさしく怒りの奔流。
元々、莉佐との口論で苛立っていたのが原因だろう。
普段なら、気にならないであろう事が今の彼女を憤怒させた。今回の件は普段の彼女なら「何笑ってんの? キモッ! 死ねっ! バーカッ! マジ死ねッ!」ぐらいで済んだであろう。だが今の彼女はそうはいかない。
麻里亜にとって友達は言わば力である。
友達が多ければ多いほどそれは強さの表れ。もちろんそれは友達を物のように思っているという意味ではない。友達が多ければ多いほど人生は楽しめる、そう言った意味での力。言わば人生を楽しむ活力。
自分は友達が多いと、仲間が多いと、力があると自負していた麻里亜。
故に友達のいない、力のない黒瀬に馬鹿にされるのは麻里亜の恐怖を抑えるのに十分な材料だった。
麻里亜の罵倒なんかなかったかのようにイヤホンをつけ音楽を聴き始めている黒瀬。
自分よりも下のはずの、力がないはずの人間に自分が無視されていることが許せなかった。それは麻里亜のプライドだった。
後ろで莉佐が麻里亜に話しかけていたがそんなことは麻里亜にとってもうどうでもよかった。黒瀬の意識をこちらに向けさせる、今はそれさえできれば他はどうでもよかった。
奔流に身を任せ、イヤホンめがけ手をふるう。
パシッとイヤホンに手が当たり黒瀬の耳から外れ、そのまま麻里亜は黒瀬のイヤホンを奪い取った。
その時偶然、本当に偶然、麻里亜の握った手はイヤホンについた音量調節のプラスのスイッチを押していた。