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蒸気機関は水を沸騰させて出た蒸気を動力に変換する装置だ。
つまりは水さえなければ、ただの空焚きしているやかんだ。何の意味もない。
私はけん銃の弾を貫通力重視の徹甲弾へ入れ換え、ミイラが泳ぐ水槽を撃ち抜いた。
なんで釜自体を撃たないのかって? そんなことしたら、漏れ出した火炎でこの船が一瞬で燃えてしまう。最終的にはそれでいいのだが、今すぐには困る。
鋼鉄ではないが鉄製の巨大な水槽は、音速の2倍の速さで撃ち込まれた徹甲弾により、次々と穴を開けていく。
巨大な貯水槽に溜めていた水は一気に漏れ出した。
金属の床は瞬く間に水浸しとなっていく。水が捌けるような構造になっていないらしく、水かさは増していった。
「おぉおおォオオオオオッ! まぁああああああァアアアアア! ええええエエエエェ!!!!」
怒号。船を揺らすような低い響き。そして憤怒の勢いは、世界すら滅ぼしそうだ。
振り向くと、右半身が失った男がいた。
ぎょっとした私は、反射的に飛び去り彼我の間を開ける。
「ごめん、ねーさん! 離れて!!」
その後から飛び込んできた旅娘。珍しく血相を変えているのが面白いのだが、それに感心している場合ではない。
男は頭から腰に掛けてほぼ真っ二つにされている。おそらく左半身を捨ててここに向かってきたのだろう。
その執念たるや、さすがにミイラの親玉だ。
そして男は残りの右半身で渾身の力を込めて、巨大ククリを振るってきた。
男の体にはメアリ・アン・リードリの呪いがかけられている。とても強力で、私のチートはその呪
いを超えられない。故に彼が生み出した物理法則は、私には奪えない。
つまりだ、彼の剣撃に当たると私は死ぬ。
即座に摩擦と質量をしまい、加速度を乗算してほぼ音速でボイラーまで跳び退る。
鼻先を切っ先が通り過ぎる。あぶない。
「おい! お前さっさと倒して来いよ! なんでこいつがここにいる!?」
私が思わず叫ぶと、旅娘はひらひらと手を振った。
「悪い。油断した!」
「ぶっコロす!」
こっちは仕事をほぼ完遂している。それなのに、なんて様だ。
男は憤怒の形相のまま、身体をむしばむ虫をまき散らしながら剣を振るってくる。一撃でも当たれば致命傷になる事は間違いない。
そんな攻撃を私は凡人に毛が生えた程度の動体視力でなんとか見切って躱す。死にたくないから大盤振る舞いで慣性や重力場などポケットの中身をひっくり返して、壁を走り、飛んで逃げ回る。
それをおおーと歓声を交えながら観戦する旅娘。本当にのんきな雌郎だ……。
「なかなかしぶとくてね。我ながら不死の呪いがここまで強力なんて思いもよらなかった」
「ふざけんな。ポンコツ魔女!」
「ぽ……ッ!?」
この世界でも伝わる手信号、親指を地面に向けて突き立てて睨みを利かせた。
さすがにそこまで言われた事は今までないのだろう。衝撃を受けた顔で固まった旅娘。
さて、それは置いておくとしよう。
私は今目の前の怒り狂う亡霊船の船長(偽)の相手で精一杯だ。
何度も言うが、私は超人的な身体能力なんてない。こんな事なら、カミサマにそこらへんもひと揃えいただいておくべきだった。
しかし後悔するのは17年ばかり遅かった。いや、前々から後悔していたさ。こんな世界ならチート能力だけじゃなくて、身体能力も底上げしておくべきだったなんて。
あらゆる自然法則はポケットにしまったり出したりしているから、身体的な負担はそれほどない。ただ脳が軽く混乱し始めている。乗り物酔いにも似た吐き気が喉の奥で何度もこんにちわだ。
なによりまずいのは、私ではこの男に勝てない事。
逃げるだけで全力を費やしてしまい、反撃の余裕までない。このまま逃げ切るというのもありかもしれないが、よくよく見ると男の切断面から徐々に肉芽のようなものがせりあがってきている。きっとしばらくすると元通りだ。
そうなれば今は向かって右側に避ければ、相手の死角に入れるからなんとなかる。だからよけられているのだが。
それができないとなると、死だ。
攻撃だって片手より両手だろう。やはり死しか見えない。
やはり旅娘に戦ってもらわないと困る。
ちらりと横目で先ほどまで旅娘がいた位置を見る。
「まだ棒立ち……」
彼女の影がゆらりと掠れて消えた。
何事かと思ったら、
「調子に乗りすぎ」
男の腕が、肩口からばっさり切り落とされた。剣撃の威力はそのまま飛び、釜の堅牢な外殻に巨大ククリが半ばまで突き刺さった。嘘だろ。
「き、さ」
「一旦黙っておけ」




