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港湾局の中は薄暗く殺風景だ。50人は入れない程度の広さで、入口から見て真向いに事務員が3人座る受付カウンターがあり、その右隣の壁は一面に今週の入出港スケジュールが船の種類別に張り出されている。
余談だが、この世界を覆う黄色い大地から削り出して作られる焼きレンガは非常に断熱性に優れている。カンカン照りの日差しも室内に入ればたちまち冷暗所へ早変わり。しかし窓を大きく作れない為、昼間でも獣油灯の明かりがないと書面仕事は難しい。
室内は雑談や軽い打合せをする為のテーブルが5脚あり、今は8名の人間がいた。カウンターに2人。テーブルに3人と、港湾局の職員が3人で計8名。
カウンターで話しているのは、盗み聞きした感じでは2人とも傭兵の用立てを頼み込んでいるようだ。これは僥倖。
テーブルにたむろしているのは構う事はない。雑魚傭兵だろう。ただのごろつきの様だ。
私はまっすぐに空いているカウンターに向かった。
「仕事を探してるんだ。できれば」
「大平野行きの船の護衛がいい!」
「……あるか?」
私が話していたのに、突然背後から茶々を入れてくる旅娘。同行のはずが、彼女がいきなり目的地を決める事なったようだ。
事務員の中年男性は、至極つまらなそうに、怠惰な雰囲気を隠そうともせず右手の壁を指さした。
要は壁に張り出された物から勝手に見繕えという事らしい。
まあ、誰しもが勤勉で業務に従事しているのが当たり前だと思っているのは、私が過労死王国《日本》の出身だからだろう。
私はハイハイと言いながら壁に向かって歩を進めた。壁の運航表には大量の書き込みと、船の名前と種別が書かれた小さなタグが鋲で張り付けられている。
「で、大平野がいいのか?」
大平野は列強諸国が木材を輸入する最大の諸国連合であるソローン諸島がある。
当然航路は多いが、荒くれ者、というか賊も多い。そして人の行き交いが多ければそれを狙った怪物も多い。
つまりは傭兵の需要は高い。
それに人が多ければ、隠れるのも簡単である。選択肢としては間違いではない。
大平野行きの船の中から、なるべくやりやすそうな船を探す。
中型の商船があれば最高だ。中型船ならひとりでも守り切れるし、乗員も多くない為チートを使う事になっても、何とかできる。先ほどまで乗っていた船と同じだ。
しかし不思議な事に求めるとなく、必要のない時には溢れかえる。という事がある。
運航表には目的地が合致する中型商船はない。
大型船や商船団の仕事ばかりで、個人の傭兵が請負えるものがなかった。
「ね。あったー?」
ひょっこりと横から顔を出してこっちを覗き込む旅娘。暇そうにしやがって。
「お前も探せよ」
「あたし、字読めなーい」
ああ、そうか。この世界の識字率はそこまで高くないのだった。いや、故郷の世界だって世界全体を見れば高くはなかった。というか日本という国が異様に高すぎるのだ。この世界でも字の読み書きができればそれ相応の職位に付ける場合が多い。なので港湾局には案内屋なる者がいるくらいだ。ここにはいないようだが。
「お前、旅人だろ。字も読めないでどうやって今まで生きて来たんだよ」
「字なんて読めなくても、あたしには言葉があるからねー。口が利ければ何とでもなるものさー」
へらへらと笑う調子。私はそうかいと呆れ気味に肩を竦め、運航表を見た。
さて、こうなれば第2、第3の妥協案で行くしかないだろう。
そうそう上手くこちらの要望に合う案件なんてものない。それは故郷で営業をやっていた時にも痛感している。
今ある案件に対して、そこそこで納得するしかないのだ。それがお金か、内容か、全てが合致しているわけではないのなら、一番重要な物以外は捨てるしかない。そして私にとって重要なのは己の保身。この世界では死にたくない。死にたくないので、全力でやるしかない。
「おいねーちゃん」
両隣にそれぞれ1人ずつ。私たちを挟み込むように並んできた男。こいつらはさっきまでテーブルで雑談、というか猥談をしていた集団の者だ。
どちらも装備は安っちい鎖帷子と二束三文の片手剣。いわゆる雑魚傭兵か、もしくはただのごろつき。おおよそ依頼を取ろうとしたが、大口叩き過ぎて相手にされなかったか。いや、もしかしたら字が読めないのかもしれない。おそらく一番最後が当たり。
「なにか?」
横目で見上げると、だらしない顔で私の胸元を見ている。死ねばいい。
「仕事探してんならよ、力、貸してやんよ」
ドヤ顔、下心丸見えの男の顔。私はため息を吐いて肩をすくめた。女日照りすぎてこんな私にも声をかけてくる輩は、意外と多い。眼が腐っているんだろう。
「力ってのは、自分より強い奴から借りるもので、自分より弱い者からは借りられないって知ってる?」
なによりだ、雑魚に興味はない。ビジネスパートナーってのは自分より有力で頼りになる方がいいに決まっている。私は人助けをしたいんじゃない、助けてもらって楽をしたいのだ。
「なんだ? いきなり喧嘩腰か?」
顔を寄せて威嚇してくる男。どこの世界もこの威嚇行為は共通らしい。
でもだ、勘弁してもらいたい。この世界では風呂は一部の富豪が自分の金持ちレベルを誇示するための行う行為であり、一般的でない。ほとんどは週に一回濡れた手ぬぐいで体を拭うだけ。それだって身なりに気を使える者だけがやるだけで、過半数は水がもったいないのでやらない。それと、歯ブラシもない。そこそこ気を遣う者は、黄色い大地を削るさいに出る削り粉を指に付けて歯を擦って磨くのだが、これも少数だ。やはり水がもったいないのでやらない。
つまり何が言いたいかというと、臭いのだ。
私は顔を顰めて、手を鼻を覆った。
「私と仕事したいなら、せめて身なりを整えて来い。少なくとも私はそれなりに腕が立ち身なりも良い事を売りにしてる」
「は! なら商船の野郎ども相手に商売すりゃいい!」
げらげらと笑い声をあげる男たち。絵に描いたようなアホな行為。
「そうだな。お前には関係のない事だから早く失せてくれ。服に臭いが付く」
踵を返して運航表を見直す。