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その状況の中で、彼女はふんと鼻を鳴らして、嘲笑にも似た笑みを浮かべた。
「あたしが誰かを知りたいなら、そうだね。試しに嘘を吐かない契約をしてみようか?」
どうする? と顎をしゃくって連合王国側に提案をする彼女は、いつもの能天気さなんて微塵もない、まさに憤怒の女王然とした横柄で、暴力的な振る舞いを見せていた。
「貴殿の素性を疑う者はいない。どうか、我れらに助力して欲しい」
「それは、約束を取り交わすつもり?」
魔女が口にした言葉に、その場のほとんどの者が口を閉ざして、身をこわばらせた。たった一人を除いて。
「無論。アイゼン・フィン・ガルベルが貴殿と約束を取り交わそう」
まるで鍛え抜かれた鋼の様だ。
アイゼン艦長は彼女の言葉に臆する事なく、うむと頷いて見せた。
「はン! バカ抜かせ。誰が帝国と”約束”を交わすものか!」
そう言って彼女は白けたと笑った。そしてするりと私の腕から抜け出すと、床に落ちていた指揮杖を拾う。
「そうさな。なんであのあおたん小僧が今になって出て来たかって事だけど」
どうやら彼女の機嫌はかなり好転したようだ。私はほっと胸を撫で下ろす。
「50年前に殺した傷が癒えたんだろう。また殺してやらないと」
不敵に浮かべた笑みは、あまりにも耽美的で、美しい。しかしまるで毒蛇に背筋を舐められたような気分になった。
それはこの場にいた全員が思った事だろう。押し黙った彼ら。私はその空気が居心地悪くてそういえば、と口を開いた。
「ガルベル閣下。貴方は色々事情を深く存じているようだ? 何故くだんの魔女であるとご存知なのか?」
副長が疑問を口にする。彼は最初から旅娘がメアリだと知っているような雰囲気だった。私はおまけだ。
「今回の状況を精査した結果、私は彼女こそが解決の糸口だと判断した。そしてすべての情報網を通じて探す内に、先日ある商船が彼女らに護衛を委託したと聞いて、この近辺を捜索していた」
聖痕教会とやらかした時だ。
ああ、彼女は自分の正体を船員に明かしたのだ。だから彼らは死地であるかもしれない場所に船を向け、私を助けたのだ。なるほどな。
通りで皆恐怖のどん底みたいな顔をしていたわけだ。
「まあ、これがなんであれ、どうであれ、情報はそろいました。全員に有益なのはあの賊を殺す事だと思いますが」
ビビる船乗りたちに代わって、私が口出しする。
なにせ時間がない。筆舌尽くして議論する事は素晴らしいと思うが、今は時間が重要だ。
「これとは、ずいぶんな……」
何か言いたそうな旅娘は放置して、やる事を決めよう。
「今回は、連合王国の艦隊から側面砲撃を行ってもらい、帝国艦隊が正面から攻撃。私とこれで背面奇襲をかけようと思います」
連合王国の船は、正面火力が非常に高い。ゆえに大きく小回りの利かない船が多い。
一方で帝国艦隊は戦争用の大型船ではなく、基本的な警らを行うための船だ。小回りが利くし入り組んだ地形でも入り込めるだろう。
「何故貴様が……」
暁の女王の戦術長が物言いたそうだ。それをアンドリュー艦長が止め、盤上から顔を上げた。
「理には適っている。我が艦隊も、帝国の艦隊にも被害はが少なく済むだろう」
「ええ」
「しかし、それでは我々の立つ瀬がない。結果は”君の援護”という1点になってしまう」
おっと。それは考えてなかった。
「我らは連合王国第3艦隊。王国の誇りと武力の象徴。その我らに、補佐をしろという」
「真実は語らなければ、存在しなかったことになります。両艦隊が尽力したと触れ回ればよろしい」
「これはそういう問題ではない。オレ達の誇りの問題だ」
ああ、面倒くさい。
誇りだとか、意地だとか、そういう物は、犬にでも食わせておけばいい。
『私の意地ですよ』
『任せてください。これでも私、○○社の古参兵ですから』
ああ、でも、私もそうだったっけか……。
客をその気にさせるための口車のつもりが、いつの間にか”私”という虚栄を守っていたのだ。意地や面目の為に、働いていたのは、私も同じだ。
私は嘆息して、肩を竦めた。
「それ、私に言います? 船上傭兵ですよ?」
私は傭兵。愛国心も誇りもなにも持ち合わせていない。
あるのは自分の生存本能と金銭への欲求のみ。
誇りなんて、前世《地球》に置いてきてしまった。
「傭兵は、目的を成すためにいるんです。今回の目的は、亡霊の撃滅。私は傭兵。あなた達は軍人。目的は唯ひとつ」
意地や誇りで目的が達成できるなら、私も喜んで持とう。しかし現実はそんな事はない。
むしろ今回のように、目的の邪魔をする場合が殆どである。
「ご理解、いただけました?」
歯噛みする、誇り高き大平野の艦隊勇士。表情一つ変えないのは、合理的論理が服を着ていると云われる帝国軍人たち。
話しは決まりだ。
「それでは1点、お願いがあります」
「なんだ?」
「以前ホイエ島に渡った時に使った小型艇を1隻お貸しください」
「なんだと?」
思いっきりいぶかしむ連合王国の面々。
「逃げるつもりか?」
中でもこの副艦長は魔女《私》の存在を嫌っている。何かにつけて否定的な事を言ってくる。
「逃げて逃げられますか?」
「いいや、地平線の先まで追いかけて捕まえるさ」
アンドリュー艦長がニッと不敵に笑って言いのけた。なんか他意がありそうだが、今はひとまずいいか。