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その後の船旅は順風満帆で終わり、予定より少し早く到着した。
「この度はご利用ありがとうございました。またのご利用をお待ちしてます」
恐怖と嫌悪に染まった行商の奥方から今回の護衛代金をもらって、私はほくほく顔で行商の船を降りた。死んだ同僚の分も含めてもらえたので、これはこれで非常においしい。
しかし喜んでもいられない。あのご婦人が”魔女の報復”を恐れず聖痕教会に私の事をリークすれば、たちまち私は魔女の容疑をかけられ一方通行の裁判行きだ。それは勘弁してもらいたい。死にたくないのだ、私は。”ここでも”死にたくないのだ。
普通に考えれば魔女の怒りを買う様な真似はしない。この世界では聖痕教会の教えは絶対であり、そこで禁忌の生き物、人の形をした人ならざる悪の存在である魔女は忌避すべきもので、その怒りに触れる者は神の救い以外にないとされる。つまるところ触らぬ神に祟りなしという所だ。しかし、愛する者を目の前で殺された者は、総じて何かに縋りたくなるもので、ただ単に運が悪かった、で全てを納得させることは難しい。魔女が乗っていたから、夫を失った。すべて魔女が悪い。そういう論理になるように聖痕教会は教えを流布しているし、人の心理はそうなるようにできている。
なのでこの街に長居は不要だ。もしそうならないとしても、ここに長く留まるメリットもそう多くない。リスクヘッジとして早急に立つのは悪くない判断だ。
この街はそこそこ発展してる。
岸壁は高いし、街並みは堅牢な焼きレンガで作られている。都市開発も一貫性のある構想で統一されていそうだし、中央部へ伸びる主要通りは往来も多く賑わいを見せている。
活気のある街はいい。仕事が多いし、通常であれば隠れやすい。この世界は人口が少ない。まともに人が生きていられる土地が少ないからだ。なので姿を隠そうにも、人口密度度が低いから隠れるのにも苦労をする。人が多い街を活動拠点にするのはとてもいい。
ここまで整地されているからには、さぞ優秀な領主がいるか、連合王国の統治がしっかり行き届いているか。どちらかだが、それでも人が多ければ噂の足が速い。そうなればお上にチクらないでも噂が広まり、結果として追跡の手が伸びる事も考えられる。
早急にこの街を離れたい。もしくは急ぎで仕事を入れてスケジュールを埋めておきたい。そういう時には、港湾局へ行くのが鉄則だ。お勧めである。
港湾局は入出港する船の運航予定が集約されている。元々はそれだけの施設だったのだが、私のように船の護衛をする傭兵が自分の行動予定にあった船がないかを聞くことが多くなり、そっちの斡旋を行うようになったのは、当然といえば当然。
まだ背後にはさっきまで乗っていた船が見えるが、私はこの港の港湾局へ向かう。
「あ、ねーさんもこっちかい?」
軽薄な声。間延びした口調。誰だと振り返ると、意外な顔があった。
くすんでごわごわの金髪の上につば広の帽子を載せ、見るだけで暑苦しい砂色のロングコートを羽織っている。その下にはわりと洒落たドレスシャツにワイドパンツ。虹色のスカラベのブローチでスカーフを留めている。旅をしているという割に荷物はない。さっきまで乗っていた行商の船に乗合いしていた旅人の娘だ。着岸とほぼ同時、渡橋すら掛けられる前に礼を言って颯爽と飛び出していった相手だが、まだこんな所にいたのか。
「この町に用事があったんじゃないの?」
「それが大いに外れた! おっかしいなぁ。間違いないと思ったんだけどなぁ」
つば広の旅人帽に顔が隠れて見えないが、苦笑を浮かべているのは声色からわかった。
やれやれと言う様に両手を広げながら肩をすくめる彼女。さして残念な雰囲気は、私は感じられなかった。
「それで、また次の船を探してると?」
「その通り! それでなんだけどさぁ。ねーさん、腕っぷし立つようだからこれからの旅、あたしと一緒にどうかなって」
あははーと軽薄な笑いを漏らしながら、旅人向けの厚手のロングコートの袖をひらひら振った。余談だがこのコートは北部にある比較的寒冷な地域のある街の特産品で、非常に丈夫な事で有名なコートだ。私も一時使っていたが、赤道付近になると暑苦しくてとてもじゃないが使えないので即売った。この娘北部出身なのかもと思ったが、あの地域の人間はあまり人付き合いが上手い方じゃなくこんな陽気なのは稀だ。稀だから旅をしているのかもしれないが。
「あなたの目的と、私の目的地が一緒とは限らないけど?」
それにお荷物になる可能性がある以上、あまりその提案には乗れない。敵ではないが、”味方”ではない気がする。どうにも油断できない。
私が声を押し殺してドスを利かせてすごんでみたが、彼女にはまるで利いていないようだ。
「でもねーさん、目的なんてないでしょ? 留まると異端審問に捕まって魔女裁判で火炙りだもんね?」
図星だけどさ。言うなよ。人目もあるのに。
私の気兼ねなど歯牙にもかけないという彼女は、けらけら軽薄に笑う。私は思わず舌打ちをして周囲を窺う。怪訝に思っている通行人はいても、顔色を変えた者はない。一安心。
やっぱり油断できない。この世界の常識では魔女は忌むべき存在だ。それと行動を共にしたがる輩はおそらく真っ当な思考回路を持ち合わせていない。
しかし彼女と私とでは切れるカードの強弱に差がついている。なにせ向こうは私を知っていて、私は向こうを知らない。これでは真っ当な取引にならない。最初から後手のブタ確定だ。
「はぁ。めんどくせぇのに捕まっちゃったよ」
私はため息を吐いて背を向けて歩き始める。先ほどから立ち止まっていた私たちに、通行人が邪魔そうにチラチラ見ていたので、早々に立ち去りたい。
「おめでとう。あたし超めんどくせーから! よろっ!」
開き直るようにあっけらかんと言い放つ旅娘は、嬉しそうにひょこひょこと後ろをついてきながら言い放ちやがった。
私は額に手を当て、もう片方の手を振って見せる。勝手にしてという合図。
「おお。助かる助かる!」
変な娘を連れて私は港湾局の戸を開けた。