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自尊心たっぷりの提督殿は大仰にうなずいて、概要書をアンドリュー艦長に手渡した。
「後の事は任せる」
この提督の事だ、内容を半分も理解していないかもしれない。まあそれでもいい。
ようは事が上手く行けさえすればいい。私は私の首が泣き別れる事も、生きたまま燻製にされるのも好まない。せっかくブラック企業からおさらばできたのだ。ここで精いっぱい生き残り続けて見せる。
「了解」
指示書を受け取ったアンドリュー艦長は敬礼して、提督室を退室した。私もそれに続いた。
そんな事があり、私たち船上傭兵の掘っ立て小屋には無駄に大仰な執務机と大量の資料が置かれる事となった。
「まさか傭兵からここまで出世するとはなぁ……」
しかし紙の山なんてものは、前世ではまず見なかった。腐ってもIT企業だったから、パソコンで作成しスマホで確認。クラウドで共有化というのが基本だった。
手書きで資料作成なんて、学生以来だが、この世界にはパソコンはおろかワープロだってない。むしろ印刷技術だってまだないようだし。書類仕事は手書きで行うしかない。
紙山の半分はもう終わった。残りは補給する物資の資料だ。さすがに一等戦列艦を有する大艦隊。2つに分けたとしても、その補給物資の量は膨大だ。今まで携わってきたガレオン級の商船とは桁が違う補給品の数。
その手配だけでも、途方もない今までは副長と数名の担当官がいたが、それも二手に分かれてしまう為、こうしてまさかの”魔女”の手も借りて準備を進めている。
数字の修正を加えつつ、艦長から預かっている印を押していく。
「ねーねー。もうおわんの? そろそろ出発?」
目の前のハンモックでぶらぶら揺れている目ざわりな旅娘は、暇を持て余しているようだ。
こいつに手伝わしてやろうと思ったが、いかんせんなぁ。信用ならないし。
「忙しいんだ。お前に構ってる時間はない」
「えー。いいじゃん。そんなのほっといてさぁ」
「この書類纏まらないと、お前、飢え死にするぞ」
「じゃあしこたま載せよう。ありったけ!」
「載せすぎると今度は腐る。適正量ってもんがあんだよ」
なんでそんな事もわからない。
といってもこの世界の就学率は驚くほど低い。というか学校らしい学校なんてまだないのだ。
その為識字率もくそもない。字が書けるというだけで役職が与えられるというのも当然で、この連合王国所属の第3艦隊の乗組員ですら提督と、各艦長と副長、戦術長ずつと暁の女王号の若干名だけしかまともに読み書きができない。乗組員の総数の1割にも満たない。
この世界の課題は山積みのようだ。
「じゃあちゃっちゃと終わらせてさー、ちょっとでも楽しいことしよーぜー」
っていきなり背後に回り込んでくるなよ。こいつたまに信じられない身軽さを見せるな。
旅娘は私の背後に回り込んで、私の肩に顎を載せて来た。ウザい。
「ちょっかい出すなよ。忙しいんだ」
「出さないよー。それにしてもさぁ、なんだってねーさん、こんな頭いいの?」
私が修正を終えた書類を奪い去った旅娘は、内容を見ても何を書いてあるのか分かっていないようだ。
「こんな紙切れ1枚で、あたしらのご飯が決まるのが全然わかんない」
ぺらぺらと紙で扇ぐのを、私がまた奪い返して処理積みの山に置いた。
「邪魔するなって」
「つまーんなーい」
やつの手がそろそろと私の腰に纏わりついてきた。
「おい変態」
「ちょっとだけ。ちょーっとだけ」
「触るなバカ!」
手を払いのけようとしたが、こいつ妙にまとわりついてくる。
帽子をかぶっていないから、にやにやと笑う顔が目に付く。
おどけてバカっぽい仕草が多いやつだが、むかつくほどに整っている顔立ちだ。
適度に焼けた肌と、よどんではいるがそこそこ綺麗な瞳。髪は乾燥した風のせいでどうしてもごわごわしているが、なんだろうか、花の匂い? がする。
「いい子だから……」
少しトーンを落とした声色が、そっと耳朶を打った。
バカバカやめろバカ。今一瞬だけぞくっと背筋こそばゆくなった自分が恥ずかしい。
奴の手が腰から徐々に上へと昇ってくる。まずい。抵抗しないとまたいらん事をされる。私はべつにそっちの気があるわけでもないし、まして欲望に任せて誰彼構わずなんていう野獣ではない。
奴の鼻先が、私の首筋に押し付けられる。吐息が産毛をくすぐってきた。ひとつずつの所作がいやらしいやつだ。
「変態……。放せ」
「ならもっと抵抗してもいいんだぜー? ほーら」
やつの右手が私の胸部にぶら下がる肉塊を押し上げた。
「いいもんだなぁ。これは、南大平野の宝だ」
「だまっとけ……」
「いやーけしからんなぁ。けしからんから、あたしが食べてしまおう」
むんずと鷲掴みにされる。こねくる手つきは卑猥そのものだ。
「やめ……んッ!」
そこで戸がノックされ、こちらの返答も待たずに戸が開かれた。
「魔女殿。ちょっといいか」
資料をいくつか持ったアンドリュー艦長は、こちらを見てバツが悪そうに顔を顰めた。
「ダメだね。ちょーダメ。ねーさんはこれからあたしに美味しく頂かれるから」
「……そうなのか?」
「私に聞くな!」
ぶーと音を立ててブーイングをする旅娘は、事もあろうことかアンドリュー艦長に向け親指を下に向けて見せた。なんたる無礼か。
「その、なんだ。取り急ぎ確認してくれ……。オレは執務室にいるから持ってきてくれ」
そして戸を閉じようとするアンドリュー艦長を、私は慌てて呼び止めた。
「とりあえず、この変態をどうにかしてもらえませんかね?」
「いんや、あたしはわるくない。目の前でこんな立派なもんぶるんぶるんされたらそりゃ欲情くらいしますわ」
たしかにこっちに来てから、体に巻いていたサラシは解いていた。熱いし蒸れるし、船乗りとの接点がなかったからというのもある。
「なら自分のでも揉みしだいてろよ!」
「残念。あたしのはこんな立派じゃない。むしろ極貧層ですわー。あーかなしー」
そうつぶやいて、奴の手は私のシャツの中に忍び込んできた。
そんなのを見せつけられて、アンドリュー艦長はあーと呻いて顔を背ける。純情かよ!