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下の階層に下りると、そこも同じ状態だった。奥歯を割りそうな勢いで歯ぎしりするアンドリュー艦長は、鬼も泣いて逃げそうな顔をしている。
そして船外に出た私たちは、霧がなくなっている事に気が付いた。
「霧が晴れた」
広がるのは、死屍累々とした地獄の入り口然とした惨状。賊と兵隊の死体が無数に広がっている。
「生きている者を探せ! 負傷者に手当を!」
アンドリュー艦長が指示を出す。副長が復唱するように号令を出して、彼の部下たちがせわしなく走り始めた。
私は周囲をもう一度見渡した。幽霊船の痕跡は、死体以外はない。
まあ、幽霊船があるという事がわかった。それだけで十分な成果か。
しかし被害は甚大を通り越して、壊滅的だ。
ほかの船の状況がどうなっているかはわからないが、最悪なのは変わらないだろう。
これでは追跡隊の派遣にどれだけ手間取るか。再編成と、船が変わる事での転換訓練。負傷兵への本国への帰還手続き。
いや、私にはまるで関係ない事だけど、トラブル起きた時の尻ぬぐいって本当に頭痛いよなと前世からの経験で艦長への同情が禁じ得ない。
ため息を吐いて肩をすくめると、ふとなにか見えた。
「うは、これはひどい!」
死体野原をひょこひょこと歩くやつ。つば広の旅人帽の下で苦笑を浮かべる旅娘の顔が見えた。コートの裾が汚れないようになのか、裾をつまんで歩く姿は、喜劇じみて阿保らしい。
地平線の彼方がわずかに明るくなってきている。夜は明けようとしている。
「お前、今まで何してた?」
私が尋ねると、彼女は両手を広げてやれやれと肩をすくめて見せた。
「奇術師どのや、最強艦隊とちがって、あたしはタダの一般人だからね。逃げるに決まってるでよ」
なにを当然な事を聞いているのだと言わんばかりの態度だが、私は見た。
この娘が凶暴な笑みを浮かべて、1等戦列艦の甲板から飛び降りていく姿。明らかに一般人というには異質だ。
まあ、この小娘が異様なのは今に始まった事じゃない。すでに出会って数カ月以上が経過しているのに名すらつかめない。
いいか。もう追及するのも疲れた。こいつは正体不明の何某で十分だ。
「そうかい」
嘆息する私の元へひょいひょいとした足取りで近付いてきた。
「そだ、さっきの続き……」
「黙れバカ!」