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男が席に着くと、店主は注文を聞かずに酒を注いで軽食を置いていった。常連さんってやつだな。この手の店の一番奥の席というのは、大体常連が決まった席になっている。だからわざわざ奥に陣取った。
「なあ、ダンナ。ちょいっと聞いていいかい?」
くいっとグラスを一息にあおった男は、聞かないそぶりを見せる。店主がグラスに次を注ぎに来た。それを私が手で制し、ボトルを奪い取って男のグラスに中身を注いだ。
「うちの旦那様からだ」
そういうと、男はにっと上機嫌になる。こういうのは流儀みたいなもので、こういう小芝居が重要なのだ。演技臭くて首がムズムズするが仕方ない。
「そうさな。最近妙に身なりのいい旅客が増えたなぁ」
「旅客ね」
それは非常にまずい。とってもまずい。
「定期的に、かい?」
「だなぁ。表の飲み屋にちょくちょく。あとあっちこっちにうろうろ」
あー、なんてこった。荷物纏めてとんずらしたい。
私は額に手を当て天を仰いだ。まあ、大丈夫か。第3艦隊来てるし。
「今日は、そっくり見てない」
「あー、それはよかった。どこか金持ち、いないかね?」
「強かな若者だ」
「こんな商売してればそうもなるさ」
運ばれてきた料理に手を付けながら、酒を飲む。常連の男は中々饒舌で助かった。
「そういえば、ダンナ。幽霊船って、聞いた事あるかい?」
ボトルが一本空く頃、一応最後の質問。
「幽霊船? そりゃ、『黄昏の乙女』の事かい?」
幽霊船と言えば、霧の夜の亡霊船『黄昏の乙女号』か、大賊王・黒ひげの『復讐の女王号』のどちらかだと100年前から変わらない相場である。そして復讐の女王はこのあたりでは見かける事はない。あれはもっと西の果ての平原を縄張りにしていた賊の亡霊だからだそうだ。
「そいつはずいぶん聞かないなぁ。最近はめっきりない」
「それはよかった。幽霊船なんていたら、商売になりゃしない」
こっちは収穫なしか。
それから現地時間で十分の八刻ほど飲んだ食ったを続け、代金を払って店を出た。
旅娘は好き勝手食って飲んでいたから代金は自分で払わせようと思ったが、アンドリュー艦長が快く全額払ってくれた。いい上司だ。是非直接雇用してもらいたいところだが、軍艦に傭兵の需要はないから無理だろうな。
店を出て変わらず賑わい続ける見抜き通りに戻ってから、私はアンドリュー艦長にだけ聞こえるようにそっとつぶやく。
「まあ、そこそこの収穫か」
「あたしにはまったく何言ってるかさっぱりでしたわ」
「そうだな。幽霊船はいないってことは分かったが」
旅娘とアンドリュー艦長の呟き。さっぱりわかっていないのに、この御仁は適度に話を合わせ、かつ寡黙でしゃべり下手な傭兵の頭を演じきった。素晴らしい機転だ。
「賊ですよ。今晩か明日の夜か、それくらいに襲撃があります。最低でも二級のでかい船団規模の」
3隻以上10隻未満のかなり大規模な賊の船団だ。それの襲撃がある。