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「えー、あたし? あたしはルタ・リア・ラリーナって、言ったでしょ?」
「聞いたけど、それ北部の少数民族の言葉で若い・娘・旅人って単語つなぎ合わせてるだけだからな。偽名にしてももう少し上手く作れっていったろ」
「あいや、そうだっけ?」
けたけたと笑うのも、前回と同じ。飄々とした掴み所がない不審人物。
ちょっと脅かしてやろうかな。正体不明を正体不明としておくのも、あまり精神衛生上よろしくない。まあ最悪夜の側舷に落としてやればいいわけだし。人間としては失格だが、船の上の事故はよくある事だし。
私は掘っ立て小屋に戻るとすぐハンモックに横になる。昔は風車のブレードが空を切る音が耳障りで眠れなかったものだが、今はもう気にもならない所か指摘されないと気づかない事もあるんだから人間の慣れってすごい。
しばらくすると戸が開いて旅娘が入ってきた。
「あー、埃っぽいなー。それに退屈だなー」
あーあーと嘆く旅娘。さて、と。
私は私の体から特定のモノを盗み出し、ポケットにしまい込んだ。
音も立てず、気配もなく、一瞬で私は旅娘の背後に回り込んだ。
「あひ?」
間抜けな声を漏らす娘。私は振り返ろうとする彼女の手首を捻り上げ壁に押し付けた。顔を背後から鷲掴みにして頭を後ろにそらせる。
「そろそろ正直に話してくれないか?」
「いててて、いたいってねーさん」
あははと苦笑を浮かべる旅娘。帽子が落ちて、くすんだ金髪がはらはらと垂れ下がった。
横目でこちらを窺う緑色に縁どられた金瞳は、感情が読み取れない。ひとつだけ言えるのは、旅娘は恐怖をひとかけらも感じていないという事。
「今あんたにできるのは、ありのままを私に話すか、甲板から投げ捨てられて足に踏み潰されるか、どっちかだけど」
ぐいと捻り上げた腕をさらに絞める。あたたとそれでも笑みを浮かべている彼女の顔は、黙っていれば端正な造りをしている事がわかる。残念だよ全く。
かすかに涙が浮かんだ目元が、妙になまめかしい。というか美少女然としていて、細い顎から流れる首筋など、大変ケシカラン眺めだ。
「あたた。だーかーらー、しがない旅の小娘だってーヴぁッ!」
「嘘くさいし、信用できない。名前も知らない。それなのに旅に同行するという。疑心暗鬼はいつか火種になる。お判りいただけただろうか? それにこの前の船。どうやって”約束を守らせた”?」
先の教会との一戦。おそらくドルテ達は私を見捨てるつもりだったはずだ。それなのに、私を迎えに来た。教会以上に恐ろしい何かに突き動かされているようだった。
間違いなくこの娘は、只者じゃない。故に真実を突き止める必要がある。
「はいはい分かったわかった。お判りいただけました!」
「そう。じゃあ話してもらおうか?」
「ってもねぇ。なんも」
「とぼけて済む状況かね?」
「あはは、でもあたし痛いのはわりかし慣れてるしなぁ。脅されてもなんも」
「痛みと死は平気。ならそれ以外といくかい? それとも素直に話すか」
「ねーさんもがんこだねぇ」
やれやれと肩をすくめる旅娘。
「このまま人様に言えない事して、籠絡させて吐かせるのもありだけど」
ちなみにだが、船の上というのはどうしても閉鎖的になる。故に色事は非常にルーズになる。異性の方が少ないから溜まった欲望を同性に吐き出すなんてよくある話である。
私は前世でよく食べた甘食を思い出す双丘の片割れへ、そっと手を伸ばした。
「いや、あたし欲しがり屋さんだから、ねーさん先に根を上げると思うゼ」
にやりと笑みを浮かべた旅娘は、上気した顔で私を見据えてきた。こいつ、乗り気だ。
油断した瞬間、彼女の少しかさついた唇が、そっと触れて来た。この……ッ。
そして挑戦的な笑みをにやりと浮かべて、旅娘は自分の唇をぺろりと舌先でなぞる。
私は白けたふりをして、パッと手を放してハンモックに戻って寝ころんだ。変態に顔を見られないようにターバンで隠す。
「えー! すけべぇな事してくれないのーッ!?」
私のハンモックを揺らす旅娘。何その気になってんだよ。
「私利益にならん事やらん主義。揺らすのやめい」
「えー! やろーぜー、なー」
げへへと急に下品な笑みを浮かべ始めた旅娘。面倒くさいので娘の頭を叩いた。
「ひまなんだよー。あそぼーぜー」
「変態! そんなに遊びたいなら船夫とやってこい」
あっちなら年がら年中女日照りで欲求不満だろう。服を脱いでそこらへんほっつき歩いてればいい。それだけで足腰立たなくなるまで遊んでもらえるはずだ。
「がさつなのはやだねー」
「そうかい。なら黙ってろ」
ため息を吐いて、私は今度こそ奴を拒絶するように上着をかぶった。
「ちぇー、ちぇー」
面白くないと何度もぼやきながら、旅娘も自分のハンモックに寝ころんだ。
砲声はないまでも、木と鉄で組まれた足が歩を進める稼働音は、船に乗る限り常に聞こえる。平野に出ている船は歩き続ける。怪物やほかの賊に襲われない為に。
艦隊の中において傭兵とは、まさに無用の人手。必要ないのである。