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「まあ、2体1体で首揃えてるなら、あたしなら直前に面舵一杯だね」
突然背後からの声。久しぶりに聞いた。
振り向くと旅娘が酒瓶片手にけたけた笑っている。この切羽詰まった事態に良いご身分だ。
「船は後ろ向きに走れない。ひとつはすぐに追いつこうとするだろうけど、味方の船が邪魔で撃てやしない」
にやにや笑う彼女に呆れながら、私はハッとなる。
そうだ。それだ。
南南東の2隻はそろって北を向いている。北東の1隻は南を向いている。つまり敵の砲撃が始まる直前でこちらが思いっきり右に進路を変えれば2隻は追撃しようにもまず反転しなければいけない。北東の1隻は進路そのままだが、味方の船を撃つわけにいかないので、僚船が安全域まで移動するまでは撃てない。
「獣油を船倉から出してきて! 服でも何でもいいから浸して火矢の準備!」
「そんなの用意しても距離が!」
「速度そのまま。合図で面舵一杯!」
「敵に突っ込みますよ!?」
「傭兵殿!?」
「安心してください。何とかして見せます」
「……アイアイ!」
船夫の了承。ドルテはまだ言いたそうだが、ここで何か言う事は無意味である事をわからない男じゃない。
「舵きりの瞬間、同時斉射。どちらも左舷へ!」
船夫たちは砲を固定するロープを外して移動させると、また手早く固定する。
「おまえ……」
「ん?」
「なんでもない」
旅人である以上、修羅場も多く潜ってきたからだろう。こんな状況も慣れているのかもしれない。酒瓶を煽る旅娘はいったん放置して、私は機会を謀る。
敵船は確実に近づき、先ほどまで格納されていた砲門がすべて開いて大砲の口がのぞいている。数えてみたらやはり片側だけで20門ある。あれに斉射されればまず助からないな。
こちらの船の上は緊張感が高まり、誰も言葉を発しない。
私はじっとこらえて舵を切るタイミングを計る。
ピッタリでは手遅れだ。舵を切った瞬間に進路を変えられるほど、この船は俊敏じゃない。しかし余裕をもって動くと悟られる。ギリギリのギリギリを狙わないとならない。
一秒が長い。喉が干上がり、粘膜が張り付くような気がする。
風を受けて回る風車の音。
風力を伝達されて動く足が、黄色い大地を蹴り進む音。
刻々と迫るその時。
視界の端でにやにや笑う旅娘の顔が、私の神経を逆なでる。
そして、来た。
「面舵いっぱぁあああい!」
「面舵いっぱぁあああああいッ!」
私の叫びと、それに応答する艦橋から怒号。そして船が傾く。かなり無茶な機動だ。船体のあちらこちらから軋みを声が上がる・
その瞬間、目前の敵船が一斉に砲を放った。
津波のように押せ寄せる、炎に包まれた砲弾の壁。
私は間違えていなかった。
正確に照準された三隻から放たれた砲弾は、正確に直進していた場合にいた場所に飛来した。
「取舵切って! 前進! 敵右翼船の背後を通過! 火矢を準備して!」
矢継ぎ早な私の指示だったが、それでも船夫たちは迅速に対応した。
そして私たちの船は狙い通り敵船の背後を通過する。
「火矢撃て! 大砲は敵の右足を狙ってできたら即撃って!」
石弓が次々と火矢を敵船の背面に撃ち込む。乾燥しきったこの世界で火は大敵だ。
さらに驚くことに、この船の乗組員は機転も利くようだ。火炎瓶を作っていたらしい何人かがそれを敵船へ投げ込んでいた。獣油はよく燃えるし消えにくい。粘性も強いからこびり付くとそうそう落ちない。故に火炎瓶は対船武器として非常に有効だ。
両の臼砲も用意ができたらしい。轟音と共に吐き出された重く大きな砲弾は、敵船の右後ろ脚に命中し、火炎をまき散らせた。
「これは、僥倖!」
艦橋側の放った砲弾が、後ろ脚の固定軸に直撃したらしい。
怪物の断末魔のような音を上げて船が傾いていく。
それに合わせ、唯一こちら側を向いてた左翼の一隻のマストが、傾く右翼船のマストに絡まり破片をまき散らしながら折れた。
私たちが右に進路を変えた事に気付いてすぐに動き出したのだろう。優秀だが、大慌てで動いたことあだになった。僚船との距離が近いままだったので、こうして二次被害に遭うのだ。
そこへ船夫たちは火矢を撃ち込み続ける。恨みでもあるのか、一切躊躇なく徹底的だ。
遠ざかる敵の船は、メキメキボキボキと音を立てて燃え崩れる。船から飛び降りる教会の僧兵たち。きっと口々に神の加護をとぼやいて縋っているのだろうが、そんなものは、ない。きっと全員助からない。飛び降りて死んだ死体の上に落ちればその瞬間は助かるだろうが、そのあとに続いて落ちてきた誰かに当たって死ぬ。そうならなかったとしても燃え落ちる船の残骸に当たって死ぬ。大砲の火薬に引火して、船が爆発し巻き込まれて死ぬ。もしそこまで奇跡的に生き延びたとしても、黄色い大地には無数の掃除屋がいる。死の臭いをかぎ続けてすでに集まっているはずだ。あとは後続の船に拾ってもらえる事を祈るばかりだ。
「最大船速! ここから一刻も早く離脱する!」
私は背後で燃え崩れる三隻の船を見た。もうかなり離れているが、悲鳴が真っ青な空を割って聞こえてくる。