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「承知しました」
君が頼りだからなと言い残して、ドルテは艦橋へ戻って行く。私も緊急以外では甲板へ出ないという船上傭兵の鉄則に従い船首部分へ戻った。
前甲板には先ほどまでと変わらない、視線は進行方向へ変わっている、旅娘がいた。
私はその隣へ行くと、先ほどと同じように手すりに肘をついて地平線を眺めた。
この船の積み荷は、どこの組織の手にも渡らせるわけにいかず、かといって船を沈める訳にもいかない。最悪の最悪はこの船を荷ごと完全爆破することもある。それほどに機密性と保守性を求められている。一体何を積んでいるのだろうか。
聞かず、見ず、語らずが傭兵の鉄則だ。この船にどれだけのモノが積まれていようが、私の関することではない。
甲板から行く先を視れば、たしかにもうメディッテ盆地は目と鼻の先だ。
岸壁は門のように高くそびえ立ちジラルタン野狭を作る。ここを潜ればメディッテ盆地だ。
ジラルタン野狭の両岸は約20キロメートルほど離れている。この野狭を巡って絶え間ない争いの火種が生まれて、何度となくこの20キロメートルの台地に切れ目をまたいで戦争が起きている。
今は聖痕教会がこの一帯を聖教区として治安を守っているのでそういった大きな戦はないようだが、民族間の小さな小競り合いは今でもあるようだ。
それ以上に聖痕教会が幅を利かせすぎて、この土地にうま味がないから争わないというのが本音だ。
とはいえ、今回のようなとにかく速さが重要視されるような旅路ではこの地を通らないとならないので面倒だ。
ドルテの船は北側を通っている。わたしの左手には赤い岸壁がそびえているのが見える。まるで大地を一刀両断したような鋭利な岸壁だ。
「その昔、カミ様とやらが戦争して、その時振るった太刀のせいで台地が裂けてジラルタン野狭ができ、刀身が叩きつけられて陥没してメディッテ盆地ができたらしいよ」
突然の旅娘の雑学。
「ずいぶんとバカらしいほどの怪力の神様がいたものだ」
「世界を亡ぼすかどうかってのを賽子を振って決めるような愚神だったらしいからねー」
「最低の神だ」
野狭を潜ろうとする船は、ドルテの船以外はない。他の船は南の台地を廻る航路を行く。3倍から5倍ほども航行距離が増えるのだが、それでも聖痕教会やメディッテ盆地の怪物とは遭遇したくないのだ。
我ながら、まったく難儀な仕事を引き受けてしまったものだ。
「あんた、ここに来た事は?」
黄色い大地を走る風は、野狭にぶつかり速度を増す。船もそれと共に速度をあげ、旅娘はつば広の帽子が飛ばないように手で押さえた。コンドルの羽がふわふわと揺れている。
「ずいぶん昔にね。あの時も、まあ、結構難儀したかな」
帽子の下の眼が、少しだけ細められた。昔っていっても、この娘それほど歳を行っているようには見えないが、子供の時にでも来たのだろうか。まあ、旅人の親はきっと行商か傭兵だ。旅の勘という物がなければ、この若さで世界を彷徨うなんてできないだろう。
「そうかい。昔からここは火薬庫ってことか」
実を言うと、私はメディッテ盆地に来るのは今回が初めてなのだ。
魔女狩り、異端審問の聖痕教会のお膝元。総本山の眼と鼻の先である。誰が好き好んで近付くというのだ。
ゆえに、聞いた話でしかこの平野の事を知らない。少しでも多く情報は仕入れておきたい。
この娘がかつて来た事があるというなら、地理について聞き出しておきたい。
「この盆地で、一番注意する事はある? 教会以外で」
私の問いに、行く先を眺めていた目がこちらを見た。
「教会以外で、気にする事なんてないさー」
にやりと笑う彼女。これは何かしら隠してる。
「いや、それ以外を聞いてるんだ」
にやにやと怪しい笑みを浮かべた彼女はずいと、大きく一歩私に近付いてくる。
「でもなぁ。ねーさん、さっきあたしにしたひどい仕打ちしたからなぁ」
ひどい仕打ち? 一体なんの事だ。
「酒、捨てた。あれがないと、あたしはどうしても寡黙になっちゃうんだよなぁ」
ああ。根に持ってるのか。こいつは少しくらい寡黙な方が良さそうだがな。
捨てたのは早計だったか。いや、こちらにも仕事に対しての誇りがある。決めている事もある。それを反故にしてしまえば、私という船上傭兵の品質が下がる。それは避けるべきだ。
「悪いとは思っているが、謝罪はしない。私にも考えがあるからそうしたまでだ」
毅然とした態度で言い放つが、にやけた彼女の顔は変わらず。そして彼女の視線は先程から私の胸元を行ったり来たりしている。不快感を催す視線だ。
「まあ、それ以外でも、口が滑らかになる方法はあるけど?」
その瞬間。彼女はすいと私の懐に飛び込み、私の腰に手を回して体を密着させてきた。
船は女は女、男は男で集まる事が多い。
男女混合でひとつの船に押し込めると、非常によろしくない為だ。この世界の人口については非常に厳しい。なにせ人の住める世界が狭いため、無計画に人口を増やせば即座に食糧難へと陥り滅亡するのだ。その為稼ぎや職業の状態と子供の数による課税額は密接な関係を持っている街が多い。考えた役人は中々賢かったようだ。
話を戻そう。
乗組員は数日から長いとひと月以上を限られた場所で生活を共にする。そうすると、どうだろう。性の対象は”船にいない異性”から”一緒にいる目の前の相手”に変わって行くのだ。
私は怖気に背筋を粟立たせ、どんと旅娘を突き飛ばした。
「お、なんだぁ、かあいい反応しちゃって」
帽子のつばをくいと押し上げ、下ネタを連発する中年男性のような下品な笑みが見えた。
せっかくのこぎれいな顔が台無しだと思いつつ、私は彼我の距離を取った。
「お前がソッチ系だって事はよくわかった。次やったらさっきの酒瓶と同じ末路だって覚えとけ!」
私は下手な雑魚のような捨て台詞を残して小屋の中に戻ると、ハンモックに飛び込んだ。
こっちの世界に来て、恋だとか愛だとか、性だとかはただの商品のひとつ程度の考えになっていたから、少し驚いただけだ。
粟立った肌が落ち着くと、耳が熱くなっていた。