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航行は驚くほど順風満帆だった。
大規模な襲撃はなく、天候の乱れもなかった。
この世界の黄色い大地を進む船は海の上を行く船とは違うので、荒れて座礁という事はないが、砂嵐には拳ほどの石が混じる事があるので、それで船の足や風車が壊されて動けなくなることもある。そうなると厄介だ。
周囲を見渡すと、同じ航路を行く商船や自警団の武装船などがちらほら見えた。賊や怪獣のような巨大生物と出くわした時に対応がしやすいので、できる限り船は纏まって動く事が多いのだが、こういう環境だと私は何もしないで給料がもらえるから最高だ。
とはいえ、まだメディッテ盆地に入っていない。ジラルタン野狭を越えると船はめっきり減っていき、巨大なメディッテ盆地からは商船の往来がなくなる。代わりに聖痕教会の武装巡礼隊などお近づきになりたくない船が増える。
この世界では魔術は禁忌。魔女・魔術師は異端として高級聖職者や修道僧の判断で処断される。疑わしきは修道院で異端審問され処刑される。どちらもごめんだ。
チートを持つ私は当然、『狩られる側』である。ばれないように隠しているが、それでも生き延びるために人目を憚らずに能力を使ってしまった事もしばしば。おかげさまで巷では『奇術師』なんて痛々しい異名が囁かれている。
曰く、貴人にも賊にも化ける船上傭兵。
曰く、平野の怪物をも投げ飛ばす奇術を使う凄腕の傭兵。
曰く、魔女の末裔。
つまりちょっと危険な航路を行かなければならない船主からは、よくご用命頂ける。たまに再会するとまず間違いなく依頼をもらえる。
それと同時に公共の守護者(笑)ともいうべき、聖痕教会の騎士などからは当然のように目を付けられている。遭遇したら正体を偽の身分証でごまかす。バレたら殺される前に殺して大地に還す。大地に死体を置いておけば瞬く間に自然の力でなかった事になるので便利だ。
それ故に地域や国によっては賞金首になっている事もある。その地域というのが、これから入るメディッテ盆地だ。残念ながら私はここでは賞金首で、凡そほとんどの街の自警団に見つかれば逮捕される。
まあ、幸いなことに今回は盆地のど真ん中を突っ切る航路なので、街に寄る事はない。
暗澹とした気持ちのまま、私は船首側に立って、行く先を見つめた。
腰より少し高い位置の手すりに体を預けて、地平線を見つめる。これだけ何もないと、何かあればすぐにわかる。
「へいへい。そこのねーちゃん、今夜ひまかーい?」
へらへらと薄ら笑いを浮かべて、酒瓶片手に私に絡んでくる旅娘。どかっと手すりに背を預けた。
「まだ正午前だぞ。客の眼もある。酒は控えろと言ったはずだが?」
「さてねー。しーらない」
へらへら。
私は彼女の腕を手で払い、酒瓶をくすねた。
「あー! さけー!」
「だまれ」
私は奪った酒瓶を船外へ投げ捨てた。
砂埃を巻き上げる地表へ消えていく瓶。4階建ての建物よりも高い甲板からは、小さな瓶の末路は見えないが、瓶は割れて中身は黄色い大地に飲み干されたのは間違いない。
半泣きで私の事を親の仇だとも言いたげな顔を向けてくる彼女。しかし仕事でこの船に乗ったのだ。そして私と同伴するというのなら、私の規則に従わせるのが道理だろう。
「このぉッ!」
恨みがましく私に手を伸ばしかけてきた時、
「傭兵殿! おられるか?」
掘っ立て小屋の裏手からの声。これは雇い主の声だ。
「おります。いかがなさいました?」
小屋の横を通り抜けて中央甲板へ出ると、雇用主であるドルテがいた。
いかにも行商らしい日除けの長衣とターバンのようなものをかぶった彼は顔色がよくない。いや、出会った時からよくなかったな。
「いよいよメディッテ盆地に入る……。いつでも動けるようにしておいてくれ」