1日目 クロ
マイトは2人を屋敷に運ぶと、ベッドに寝かせ、回復系魔法をかけた。
傷を治す為の魔法と、病状を治す魔法、疲労回復の為の魔法を一通り。
十代の頃に、ほぼ全ての魔法を習得したマイトに、使えない魔法はない。
けれど、使えない魔法は無くとも、何でも魔法でできるわけではない。
魔法は万能ではない。
魔法でできないことは、まだまだ世の中にはたくさんある。
(どんな魔法が使えたって、俺が一番欲しかったものは、絶対手に入らないんだけどな)
マイトはふと昔の出来事を思い出して、溜息をついた。
2人の看病をする為に、椅子を窓際に運ぶと、そのままもたれかかって目を閉じた。
時刻はまだ夜明け前だった。
■■■
先に目を覚ましたのは、銀髪紅眼の少女の方だった。
朝、鳥が鳴き出したのを聞いて目を覚ました。
起きてすぐ、自分がベッドで寝ていることに驚愕したが、左を見て、自分と同じように寝ている金髪碧眼の少女を見つけると安心した。
きっと、彼女がここまで運んでくれたのだ、そう思った。
そして、右を見て、
―――見知らぬ男、しかも人間がいることに絶望した。
心臓が握りしめられたみたいに痛くなるほど、鼓動が速くなり、嫌な汗が一気に吹き出てきた。
恐怖のあまり、ベッドから転げ落ちてしまうと、男はその音で目を覚ましてしまった。
今までここに居るのは、彼女が助けてくれたからじゃない、この男に捕まったからだ。
そう思った。
男が近づいてくる。
もう逃げ切れないと覚悟をすると、震える両手を広げて、彼女を庇う。
「ワ、ワタシハドウナッテモイイカラ、コノコハタスケテ」
「本当に何でもするんだな?」
「ハ、ハイ。ナンデモヤル!ダカラ!」
「よし、じゃあまず
そこにお湯とタオルを用意してるから、体を拭いて泥を落としなさい。
そうしたら次にこの部屋着に着替えなさい。
君には少し大きいけど、まあ今着てる服の洗濯が済む間、我慢して頂戴。
あと、食事を用意してくるこら、隣の子が起きたら今のこと伝えてあげて」
「ハ、ハイ!ワカリマシ…………エ?」
「何かわからないことあった?説明速かった?」
「ア、イエ、アノ………ヒドイコト、シナイノ?」
「酷いことされたいの?」
全力で首を横に振っていた。
「ならよし!じゃあ今飯作って来るから。
それと………呼び名がわからないと不便だ。
君の名前、教えてよ」
「………エルフハ、家族以外ニ本当ノ名前、オシエナイ。アナタノスキ、ヨベバイイ」
「………うーん、それは困ったなぁ」
マイトは頰をかきながら、少し悩んだ。
「じゃあ君のことは『クロ』。そっちは『シロ』と呼ぶよ。気に入らなかったら、呼ばれたい名前を言ってくれ」
「『クロ』デイイ。ワタシ、クロ」
「了解だクロ。俺のことは『マイト』でいい。
じゃあ食事の用意をしてくるから、あと宜しく!」
マイトは部屋の外に消えていった。
クロは混乱していた。
人間がエルフを助ける?
それともこれは油断させる罠だろうか?
手枷も足枷もつけられて今は逃げるチャンスではないか?
でも、自分だけなら逃げられるが、彼女は
―――いまだ眠り続ける『シロ』を1人見捨てることになる。
それだけはできない。
クロが1人悶々と悩んでいたら、扉をノックする音が聞こえた。
「クロ、今入ってもいいかな?」
「ヒャイ!?」
驚きのあまりに変な声が出た。
「何だ、まだ着替えてなかったのか?
まぁ、じゃあ先に食事にしようか」
昨日の残り物で悪いけど、と断って、クロの前に皿を置いた。
スライスされたパンが2枚、そして具が小さく細かい野菜のシチューだ。
クロはしばらく料理に手をつけず、じっと皿を見つめていた。
今度は、マイトの目をじっと見つめた。
「ニンゲン、ナゼ助ケル?」
人間か………名前を呼んでくれないくらいには警戒されているのか
「君達は助けはいらなかったかい?」
「ニンゲン、家族殺シタ、仲間殺シタ。敵ダカラ」
クロの瞳には、憎悪の色が宿っていた。
マイトはその色に一瞬怯んだが、それでも真っ直ぐ見返した。
「俺は戦争とは無関係だ、というのは言い訳が酷いな。せめてもの罪滅ぼしというのが一番近いかな。俺は人を殺すよりは助ける方が好きだ」
「ワタシ達、兵隊ニワタスト金ニナル」
「生憎、金には困ってない」
「………ニンゲン、アナタ目的ワカラナイ」
「目的はない。単なる暇つぶしだ。」
「ソレデモ、ニンゲン、信用デキナイ」
「信用何かしなくていい」
「エ?」
「人間なんか信用するな。そう言ったんだ。
ましてや君の目の前にいるのは、敵国の人間なんだ。迂闊に信用なんかしちゃいけない。
人間は、嘘をつき、騙し、裏切ることができる。
例え今は裏切るつもりがなくても、時間が経てば心変わりする。それが人間だ。
だから人間なんて信じるな。俺のことなんか信じるな」
クロは困惑した。
「自分のことを信じてくれ」と言う人は沢山いた。勿論、エルフだって変わらない。
「自分のことを信じるな」という人に出会ったのは、生まれて初めてだった。
「ワカラナイ。ドウシタライイ?」
「もし、君がここから逃げるのであれば、まず体力、次に路銀、それから情報、細かく言えば食料も武器も何もかもが必要だろう?
だが、まず体力。体が動かなければ話にならないからな!
体力が戻れば、ここから逃げ出すことも可能だし、俺を殺して金品を奪うこともできるかもしれない。
だから、食事をしっかり取りなさい」
「………捕虜ニ、助言スル看守ナンテハジメテミタ」
「俺としては客人を迎えているつもりなんだけどね」
マイトは肩を竦めた。
クロはもう一度皿に目をやった。
………目の前の男の目的がいまだわからない。
けれど、目の前には料理がある。
今の自分に必要な物がある。
だったら、きっと、このチャンス、利用するのが正解だ。
男の目的はわからない。罠かもしれない。
だけど、すべてを疑って、チャンスまで逃すのは、きっと失敗だ。
向こうが罠用の餌を撒くのなら、餌だけ掠め取って吠えづらかかせばいい。
クロは一度深呼吸すると、スプーンを手に持ち、シチューを掬う。そして、口の中に流し込む。
―――ミルクの風味か鼻を抜け、野菜の甘みが口の中に広がった。野菜はとろけるまで煮込まれていて、ほとんど噛まずに飲み込めた。
すっかり温くなってしまっているうえに、塩胡椒が効きすぎて少ししょっぱい。
お世辞にもそこまで美味しいとは言い難い。
けど、今まで食べたどんな食事よりも美味しく感じた。
クロのスプーンは止まらなかった。
無言でシチューを口の中に流し込み続けた。
自然とクロの目から涙が流れ落ちた。
泣きながら、それでも一心不乱に目の前の食事を食べ続けた。
「食事が済んだら、またゆっくり休むことだ。
とはいえ、汚れたシーツで寝るのは気持ち悪いだろう。
新しいシーツを持ってくるよ
だからその間に、今度は着替えておいてくれよ?」
クロは無言で頷き、今度は言われた通りに従った。
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「シロ、イツオキル?」
クロが心配そうにマイトに聞いた。
「回復魔法は一通りかけてるから、もう目が覚めておかしくはないんだけど………」
マイトも答えに窮した。
確かに疲労回復の魔法は使ったが、あくまで体の疲労を回復する魔法だ。
精神的な疲れまでは除去できないし、彼女が眠り続けているのは精神的な疲労のせいに見える。
「ニンゲン、魔法使エル?」
「ん?ああ、魔法はちょっと得意なんだよ」
クロはさらに困惑した。
寝床や食事だけじゃなく、魔法の治療までした?
これじゃまるで、
本当にただ私達を助けただけじゃない?
「ニンゲン、本当ニワタシ達、助ケタダケ?」
なんで?と尋ねるように、紅い瞳がまっすぐマイトを見つめる。
「そうだなあ………やっぱり見返りを求めよう!やってもらいたい仕事がある」
クロの細い体がビクリと跳ねる。
だけど、最初ほど動揺はない。
覚悟はとっくにできている。
「体の方は大丈夫?もう動ける?」
「問題ナイ」
「じゃあ仕事だ!
………新しいお湯とタオルを持ってくるから、シロの体も拭いてあげてくれ」
「ハイ!………ハイ?」
「シーツも新しいのを用意するから、交換するのを手伝って
やっぱり、起きたとき泥まみれよりはある程度清潔な方がいいだろう」
………それは寧ろ、私が頼みたかったことなんだけど
釈然とはしなかったが、望み通りの展開だったので、クロは文句は言わず従った。