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不動のヘスティア  作者: 東雲昴
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第二話 仕組まれた出会い

 仁は物腰が柔らかく、社交的で、生徒達の名前も一度聞いただけで覚えるほど物覚えもよかった。

瞬く間に、仁は明日香達のクラスに溶け込んでいった。


 それは、仁が転入してきてから六日後の土曜日ことだった。

歴史部の課題で、緒凛市の寺社について調べようと、明日香は図書館を訪れていた。

 木を基調とした緒凛市の図書館は、温かみがあり、中に入れば壁や床などに使用された木の独特な匂いが鼻をくすぐる。

蔵書や座席数も多く、ネット環境も整っているため、市外から来ている利用者も多くいた。

 明日香は、緒凛市の歴史や伝承などを扱った本棚へ向かおうと、いくつもの長テーブルと木の椅子が置かれた座席を突っ切ろうとした。

 その時、明日香は、どこかで見たことのある人物が左の隅の席に座っていることに気が付いた。思わず立ち止り、その人物に視線を向ける。その人物とは、仁だった。

白のシャツに黒のジャケットという姿をした彼は、かっちりとした制服とは違う、どこかリラックスした雰囲気を醸し出していた。

右手にはめた腕時計が、図書館の窓から差し込む光で、きらりと小さく光る。

教室で、クラスの中心にいる仁が、静かに本を読んでいる姿が明日香には意外だった。

その目線は本に集中しており、明日香に気付く様子もない。

(どんな本を読んでいるんだろう・・・)

本が好きな明日香には、仁がどんな種類の本を読んでいるのか気になった。だが、クラスメイトとはいえ、それほど親しくない彼に話しかける勇気はなかった。それに、せっかくの休日を邪魔されたくないだろう。

(えっと・・・、『緒凛市史』はどこかな)

仁から視線をはがし、目的である歴史部の課題に必要な本を探そうと、明日香は歩を進めた。


(あっ)

探していた本を見つけ、引用したい文章をノートに書き写し終えた明日香は、図書館の壁にある時計を見て、軽く目を見開いた。

時刻は、十一時五十分。そろそろ昼が近い。

(あとは、家でやれるからお昼にしよう)

小さく頷き、明日香はノートと筆箱をバッグにしまう。昼ごはんは、近くにあるカフェでとろうと決めていた。

 席を立ち、バッグを肩にかけると、図書館を出るため、明日香は出入り口へ歩き出した。


 彼はまだいるのだろうか。

何となく気にかかり、仁が座っていた席を横目に見やる。しかし、そこに仁はおらず、机の上に格子模様のカバーがかかった文庫本がぽつんと置かれているだけだった。

(あれ?)

思わず、明日香は足を止め、その席をまじまじと見てしまう。

(確か、ここにいたよね?)

じっと座席を見つめ、明日香は思い返す。確かに、仁はここ―文庫本が置かれた席―に座っていた。

(あれ、黒川くんのかな?)

席には、訪れた利用者がぽつぽつと座っているが、置かれた文庫本を気にする様子もない。

 そのまま放っておくこともできたが、クラスメイトがそこに座っていた以上、何もしないのは良心がとがめた。

本に名前も何も書かれていなかったら、職員の人に渡そう。

そう思った明日香は、テーブルに近付き、文庫本を手に取った。名が書かれていそうなページの裏を見てみるが、そこには何も書かれていない。

 望みをかけて、表紙をめくれば、下の方に小さくボールペンで殴り書きしたかのような文字があった。それには『黒川仁』と書かれていた。

(やっぱり黒川くんのだ)

持ち主がわかったことに、ほっと息をつきながら、明日香は本を閉じようとした。その時、その本の題名が明日香の目に映った。

『ギリシア神話』

どきりと心臓が跳ねる。

 なぜか、ヘスティアとしての自分を忘れるなと突きつけられたような心地に襲われる。

ただの文字の羅列だというのに。

どきどきと脈打つ自身の鼓動を感じながら、明日香は小さく息を吐いた。

仁は、明日香の前世がヘスティア―ギリシア神話の女神―であったことなど知るよしもない。たまたま読んでいた本が、この本であっただけのことだ。

けれど、わざわざ名前を書いているということは、この本が仁にとってとても大切なものなのだろう。

図書館にまだいるなら渡すことができるのだが。

文庫本をバッグに入れ、明日香は歩き出す。

ひとまず、館内を見て回ろう。

明日香はずり落ちかけたバッグを肩にかけ直し、足を一歩踏み出した。



 図書館の自動ドアが開く。

外に出た明日香は、大きくため息をついた。

さんさんと降り注ぐ太陽の日差しがまぶしい。周囲に生えている緑の木々がさわさわと揺れ、風にのった新緑の匂いが明日香の鼻をくすぐった。

 明日香は、再び息を吐く。それには、若干の疲れが混じっていた。


館内に、仁はいなかった。

 できればここで渡したかったが、仕方がない。学校で渡すしかないだろう。

バッグの中に入った文庫本をちらりと見てから、気持ちを切り替え、明日香は前を向く。

(ご飯、食べに行こう!)

 濃い緑の匂いを胸いっぱいに吸い込み、歩き出そうとした。その時だった。

「あっ!」

黒のジャケットを太陽の光に照らしながら、図書館に向かってくる仁の姿があったのだ。

「黒川くん!」

もしかしたら、本を探しにきたのかもしれない。

そんなことを頭の片隅に想いながら、明日香は仁に向かって駆け出した。


 明日香が近づくと、仁は驚いたように目を見開き、足を止めた。

「・・・かがりさん?」

まさか図書館でクラスメイトに会うとは思わなかったのだろう。それは明日香も同じだったが。どうしてここに、という表情の仁に構わず、明日香はバッグから文庫本を取り出した。

「あの、これ、もしかして探してた?」

仁に差し出せば、あぁと小さく声を上げる。

「バッグを探してもなかったから。ありがとう。助かったよ」

目を細め、ふわりと笑みを浮かべた仁は、明日香から文庫本を受け取る。渡せたことにほっとし、明日香も同じように笑みを浮かべた。

「よかった。黒川くんが見つからなかったら、学校で渡そうかなって思ってたんだけど。うん、よかった」

人の物を預かるというのは、何とも言えない緊張を伴う。すぐに渡せれば、それに越したことはない。

 渡せてよかった。

そう思いながら、明日香は心のなかで頷く。

「見つからなかったら?もしかして、篝さん、俺を探してくれてたの?」

仁は目を瞠り、明日香を見た。

「え、うっ、うん」

何か気に障るようなことをしただろうか。それとも探したのは迷惑だったとか。

頭の中で嫌な考えがぐるぐると回る。

 仁はじっと明日香を見つめると、ややあって口を開いた。

「・・・篝さんって、お昼、もう食べた?」

「え?」

仁の言葉に、明日香は思わずぽかんと口を開ける。すると、仁は申し訳なさそうな表情で、手に持った文庫本を軽く掲げた。

「いや。これのために俺を探してくれたっていうから、何かお礼をしなきゃと思ってさ。昼がまだなら一緒にどうかと思って。もちろん俺の奢りで」

仁の言葉に、明日香は目を丸くした。

「えぇっ!?いいよ、いいよ!大丈夫!そんなたいしたことしてないから!!」

首をぶんぶんと振り、明日香は断った。だが、仁は真剣な眼差しで続ける。

「いや、それじゃ俺の気がすまない。篝さんが見つけてくれなければ、もう一度ここに来る羽目になっていたと思うし。駄目かな?」

首を傾げ、窺うように見る仁は、まるで主人思いの大型犬のようだった。

 男子高校生を犬に例えるのはどうかと思ったが、そう見えてしまったのだから仕方がない。

明日香は唇をぎゅっとつむり、小さく呻く。断らなければ。このまま仁の雰囲気に呑まれてしまいそうだった。

 一階から三階まである図書館内を回るのは確かに大変だったが、結果的に目的は果たせた。終わりよければ全てよし。そこまでしてもらう理由はない。

「気持ちは嬉しいよ。ありがとう。でも、本当に大丈夫だから!気にしないで!それじゃ、私、もう行くね!また、学校で!」

片手を上げ、明日香は仁に言葉を挟む隙を与えず、早口に言い募る。

そして、素早く彼の脇を通り過ぎようとした直後、ぐるるるるぅっという何とも間抜けな音が明日香の腹から聞こえてきた。


(ひゃあぁぁっ!)

どうしてこんな時に。穴があったら入りたい。

 顔から火が出たようにカッと熱くなるのを感じながら、明日香は顔だけをそろりと仁に向けた。

 仁は、一度目を瞬かせると、くすりと微笑ましいものでも見るように小さく笑った。

「この近くに穴場なんだけど、『オケアノス』っていう喫茶店があるんだ。オムライスとかナポリタンもあるし、最近ではふわふわのミニパンケーキっていうのも出してるらしい」

パンケーキ。

仲の良いクラスメイト達と行こうとしていたカフェも、たしかパンケーキを主体にしていた。

本当なら行くはずだったが、結衣の事でそれは流れ、結局、そのまま行けずじまいになっていた。それを知った結衣は平謝りし、来週みんなで行こうということになった。

 パンケーキは魅力的だ。いや、オムライスもナポリタンも魅力的だが。

だが、来週行こうと約束しているのに、自分だけパンケーキを食べるのも。

新しいカフェは、おかず系やデザート系のパンケーキが主だから、明らかに『オケアノス』と種類が違う。だが、パンケーキは同じであって。

いつの間にか、明日香の頭には仁の誘いを断るのではなく、『オケアノス』のパンケーキを食べるか食べないかという二者択一の考えになっていた。

 はっとして、それに気づいた明日香は、肩を下ろして大きく息を吐いた。

自分の優柔不断さが悲しい。だが、やはりパンケーキは食べたい。

「あの・・・」

「ん?」

仁に顔を向ければ、なぜか楽しそうな顔をしながら、小さく返事を返してくれた。

「奢らなくていいので、『オケアノス』って場所のこと教えてくれませんか?」

なぜか敬語になってしまったが、仕方がない。皆を差し置いて、パンケーキを食べるのだ。後ろめたく思わないわけがない。明日香は結衣やクラスメイト達の顔を思い浮かべ、心の中で謝った。

「あぁ、わかった。こっちだ」

礼をすることを第一に考えていた仁だから、これでもごねるかもしれないと明日香は思っていたが、素直に仁は了承した。

 明日香の言葉に考えを変えたのかもしれない。

予想していなかった状況に戸惑いながらも、明日香はこれから向かう『オケアノス』に想いを馳せた。

 どんな雰囲気の店だろう。料理はどんな感じなのかな。

初めて行く場所に、溢れるほどの期待と少しの不安を織り交ぜて、明日香は仁の背を追いかけた。


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