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不動のヘスティア  作者: 東雲昴
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第一話 想いを込めて花束を

「明日香――!!」

大声で叫びながら、廊下を疾走し、壊れるかと思うほどの勢いで教室のドアを開けたのは、明日香の友人であり、クラスの学級委員長でもある結衣だった。綺麗に結われたシニョンがところどころほつれかかっている。

 ちょうどその時、明日香は、仲の良いクラスメイトと最近できたカフェに行こうと話をしていたところだった。

すると、回りの子らは、結衣が教室に足を踏み入れた途端、気まずそうに、また心苦しそうに、明日香のそばから離れていった。

それを申し訳なく思いながら、明日香は彼女たちを見送った。

 明日香には分かっていた。結衣が自分の名前を大声で叫ぶ時は、たいてい何かが起こったときだということを。

それは幾度もあり、クラスメイト達は結衣が大きなアクションを起こした時には、巻き込まれないよう、離れるようになっていた。


「結衣ちゃん、どうしたの?今日、部活だったよね?」

結衣の所属する家庭科部は、火曜日と木曜日が集まりの日だ。

ちなみに結衣は副部長で、本来ならここにいていいわけがないのだか。

「休むっていってきたわ!あんなの見せられて、お菓子なんて作ってられないもの!」

結衣は、足音荒く明日香に近付くと、まるでこの世の終わりだと言わんばかりの顔で言い放った。

「聞いて!!ぜんが!!新しい子と一緒にいるの!!」

全とは、結衣の彼氏であり、隣のクラスの男子生徒だ。明るく陽気でさっぱりとした性格をしているが、自他ともに認める女好きでもあった。

恋人は結衣だが、自身も通う聖央せいおう高校や他校にもたくさんの女友達がいる。

放課後になると、全は彼女らを引き連れ、ゲームセンターやカラオケ、遊園地や駅前のショッピングモールに行くのだ。

 全は、「愛しているのは結衣だけだ」と公言して憚らないが、普段、本当に恋人なのかと疑うほど結衣をないがしろにしているので、説得力はない。

 そのため、結衣は、始終胸をもやもやさせ、嫉妬の炎を上げる。

全が女友達といっている以上、あまり強くは出られない。それに、彼に嫌われたくない。

そんな思いが結衣を縛り、明日香と話すことでそのストレスを発散するようになっていた。

「あ、新しい子ってどんな子?」

結衣の剣幕に若干引きながら、明日香が尋ねると、結衣は群青色の上着の胸ポケットから小さい手帳を取り出した。

 そこには、『全の女友達』というシールが貼られている。手帳には、全の女友達の名前、プロフィール、容姿、性格まで事細かく書かれていた。

 その情報は、全から聞いたものもあるが、渡雄矢わたりゆうやという全と同じクラスで、情報通の男子生徒から聞き出したものが圧倒的に多かった。

「雄矢をおど、――頼んで調べてもらったんだけど、二年A組の大友みのりっていう子よ。性格はおしとやかで、趣味はブリザーブドフラワーつくり――」

「も、もういい!もういいよ!!」

すらすらと個人情報を言う結衣に、空恐ろしさを感じた明日香は、両手を広げて遮った。

「それで、その子だけだったの?」

全は、二人きりでいくことはない。だいたい二、三人を連れて出かけていく。

 結衣は手帳をポケットにしまい、首を振った。

「華道部の大地百合恵と、押し花作りが趣味の日野原葵が一緒にいたわ」

「・・・花屋さんにでもいくのかな?」

この三人の共通点は花だ。なんとなく、そう口にすれば、結衣は力強く頷いた。

「さすが明日香ね。その通りよ!」

結衣は、机の上に両手を置くと、明日香の目を真っ直ぐに見た。

「というわけで、行くわよ」

「行くって、花屋さんに?」

「そうよ!場所は『フローラ』。さ、行くわよ!」

結衣は、明日香を立ちあがらせ、その腕を取った。

 毎度のことながら、結衣の行動力には目を瞠るものがある。

だが、かつてヘラであった時から、全―ゼウス―の行動(特に女性絡み)に目を光らせていたのだ。これくらい朝飯前なのだろう。

 結衣に腕を引かれ、廊下に出た明日香は、ある事に気が付いた。

「結衣ちゃん!バッグ、忘れてる!」



 バッグを取りに戻り、校内を出た明日香と結衣は、商店街にある花屋『フローラ』に向かった。

 商店街へ続く歩道を歩いていると、ふと結衣の足が止まった。

「ごめん、ちょっと・・・」

そう言って、バッグの中からスマートフォンを取り出し、操作を始めた。すると、結衣は目を軽く見開き、ついで視線を明日香に向けた。

「雄矢からメールよ。全達は『フローラ』に入ったって。急ぎましょ」

結衣はスマートフォンをしまうと、足早に歩き出した。明日香もそれを追う。

「もしかして、渡くんに尾行させてるの?」

結衣が花屋の名前をためらうことなく言ったことから、何かあるなとは思っていたが。

そう思い聞いてみると、結衣は大きく頷いた。

「そうよ。報酬は『コルキス』のジェラート三日分で手を打ったわ」

「・・・・・」

確か、雄矢はかつてヘルメスであった時も、果物など甘い物に目がなかった。

性格は変わっていても、嗜好は前世の時と変わっていないらしい。

 車の行き交う歩道をしばらく歩き続けていると、結衣は、向かいにある濃い深緑色のシェードが特徴的な店を指さす。

「あれが『フローラ』よ」

店内は一面ガラス張りになっていて、左側のガラスには、英語でフローラと書かれている。その文字は金色で、流れるような筆記体で描かれていた。

 その文字の下には、チューリップやバラ、マーガレット、ランや観賞用の木が置かれているのが見えた。


「雄矢!」

結衣が片手を上げ、名を呼ぶ。

視線を転じれば、ちょうど『フローラ』の向かい側にあるコンビニの前に、一人の男子生徒が立っていた。頭に黄緑色のニット帽を被り、首には黒のヘッドフォンがかかっている。

 男子生徒――雄矢の元へ着くなり、結衣は開口一番に聞いた。

「様子はどう?」

雄矢は首を静かに振った。

「まだだね。姿は見えない」

「そう・・・」

結衣は声を沈ませ、『フローラ』へと顔を向けた。

 奥の方にいるのか、全と三人の女生徒の姿は見えなかった。

「このまま立っててもなんだから、何か飲む?」

明日香はコンビニに隣接した自動販売機を指さした。

「それもそうね」

結衣が同意し、雄矢も頷いた。三人は、それぞれ飲み物を買うことにした。

 買い終えた明日香達は、コンビニの前に立ち、買った物に口をつけながら、『フローラ』から出てくるだろう全達を待った。


「どうして、あんな奴を好きになっちゃったんだろう」

 結衣は、ミルクティーをひとくち口に含むと、はあっと重々しいため息をついた。

「今度こそ、今度こそはと思ってたのに・・・!前世まえみたいな思いはもうたくさん!今度こそ、私を一途に愛してくれる人と出会おうと思ってたのに!!あぁ、雨宿りにしていた時に傘を貸してくれたからなんて、そんなベタな理由で好きになっちゃうなんて・・・!ゼウスだって気づいてたら、ぜったい、好きになんてならなかったのにぃっ!」

天を仰ぎながら、結衣は嘆いた。

「・・・・・」

カフェオレを飲みながら、明日香は何とも言えない表情を浮かべた。

 遠い昔、似たような事を聞きながら、ヘラとお茶をしたことを思い出したからだ。

雄矢の方も見れば、我関せずと言った風に、もくもくとマスカットジュースを飲んでいた。


 飲み終わっても、全達が現れる気配はなかった。

手持無沙汰になり、明日香は車道を横切る車の数をぼんやりと数えていた。

(いーち、にー、さん・・・)

それは、ちょうど赤い軽自動車が『フローラ』の前を通り過ぎた時だった。

「あっ」

『フローラ』の出入り口から、三人の女生徒が一緒に出ていくのが見えたのだ。

 一人は、三つ編みを編んだおしとやかな少女、二人目は、短髪で活発そうな印象を受ける少女、三人目は、耳の辺りで髪を緩く二つに結んだ真面目そうな少女だった。

「結衣。大友みのり、大地百合恵、日野原葵が出てきたけど」

「なんですって!?」

雄矢の言葉に、結衣は大きく反応し、向かい側の歩道を歩く三人をじっと見つめた。

「・・・全がいないわ」

「まだ中かな?」


すると、彼女達が去ってから十分ほど遅れて全が現れた。その手には、大きな花束が握られている。

遠目に見ても、赤や白、紫など種類の違う花をまとめて作られている。かなり豪勢だ。

家族に送る花束かとも考えたが、恋人である結衣に送るものと考える方が自然だろう。

「ねぇ、結衣ちゃん、今日は何かの記念日?」

「えぇ?別に何もない、はずだけど・・・」

全を見つめながら、結衣の語尾がだんだんと小さくなる。

「どこかに移動するみたいだけど、どうするの?行くの?」

結衣の行動を促すような言葉を雄也は言うが、その表情は真逆だった。眉根を寄せ、面倒臭いといった感情を隠そうともしていない。ジェラートで買収されても、クラスメイトの尾行などやりたくないのだろう。

その間にも、全は、フローラを出てどこかへ向けて歩き出している。結衣は、不安げな表情で全の姿を追っていたが、ぐっと表情を引き締め、声を上げた。

「行くわよ!ここまで来て、追いかけないわけにはいかないでしょう!」

結衣は、ずり落ちたバッグを肩にかけ直すと、勢いよく駆け出した。

 雄也は、やれやれと言った風に息を吐き、結衣に続く。明日香もその後に続いた。

 後をつけていくと、全は商店街を抜け、住宅のある脇道へと入っていく。

見失わないよう、また気づかれないよう、三人は注意して全を追った。

 垣根のある日本家屋、赤い切妻屋根の家、檸檬色をした西洋風の家など、様々な家が連なる住宅地を通り過ぎた全は、右へ曲がった。

そこには、緑の穂を茂らせた麦畑があり、住宅をとぎらせるような形でそこにあった。

穂はさわさわと風に揺れ、大きく波打っている。

「・・・どこに行くんだろう。結衣ちゃんはわかる?」

顔だけを塀の脇から出し、全の行先を問い、明日香は結衣の方を振り向いた。

すると、結衣の顔は口を小さく開け、呆然とした表情を浮かべていた。

「・・・結衣ちゃん?」

明日香が再度呼ぶと、はっとしたように結衣は明日香に視線を向けた。

「え、あぁ、そうね。・・・でも、多分・・・、だけど・・・」

反応は返してくれたが、何かを考えているようで要領の得ない言葉がその口から零れる。

本当にどうしたのだろうか。

明日香は口を開こうとして、だが、雄矢が言葉を発したことで、口を閉じることになった

「おい。あの公園みたいだぞ」

顔を正面に向きなおせば、全は、麦畑の隣にある道路を歩き終え、その先にある小さな公園に入っていくところだった。

「・・・行きましょ」

結衣は塀の影から出ると、公園に向けて歩き出した。その表情は、どこか硬い。

勢いよく、全を追っていた先ほどとはまるで違う結衣の態度を不思議に思い、どうしたのかと尋ねたかったが、彼女自身が理由わけを聞くのもためらうような雰囲気を醸し出していたため、何も言えなかった。

明日香にできたことといえば、結衣を気にしながら、その隣を歩くことだけだった。


麦畑を抜け、公園の入り口にさしかかろうとしたその時、結衣の足がピタリと止まった。

 肩に下げていたバッグから、スマートフォンを取り出し、操作をすると、左の耳に当てた。

「・・・えぇ、わかったわ。すぐに行くわね」

表情と同様、硬い声で電話を終えた結衣は、スマートフォンをバッグにしまった。

「電話?誰から?」

そう聞きながら、結衣を見た明日香は、ぎょっとした。

結衣の顔がまるで紙のように白くなっていたからだ。心なしか、肩も震えている。結衣の左側に立つ雄也も驚いたように目を見開いていた。

「どっ、どうしたの!?気分でも悪い!?」

慌てて結衣の背を左手でさすると、結衣が明日香を見た。その目にはうっすらと膜が張っている。

「・・・どうしよう、明日香。私、捨てられるかもしれない」

震える唇で結衣が放った言葉は、明日香を驚愕させた。

「はいっ!?」

どういうことだ、それは。

すっとんきょうな声を上げながら、明日香の頭の中は忙しく回転していた。

捨てられる、捨てられる?なにに、いや、誰に?

「・・・もしかして、電話の相手って鳴神くん?」

全の名を出せば、結衣はこくりと頷いた。

「まさか、別れたいって言われたわけ?」

雄矢の言葉に、結衣は恐る恐る呟いた。

「・・・それは言われてないけど。この公園――かささぎ公園で待ってるって」

結衣はそう言って、目の前にある公園を切なそうに見つめた。

「結衣ちゃん、この公園、知ってるの?」

明日香はここに公園があることすら知らなかった。一度、来たことがあるのだろうか。結衣は、唇を一度噛み締めてから、絞り出すように告げた。

「ここは、全と初めて会った場所なの」

「・・・・・!」

その言葉に驚くと同時に、納得する。だから、結衣は周囲の景色を見て驚いた表情をしていたのだろう。初めて会った公園に、全が向かっていると気付いたから余計に。

「あれ?でも、ちょっと、待って。どうして、それが捨てられるってことになるの?」

花束を持って結衣と初めて会った公園に来た全。その全が結衣にその公園に来るように電話をした。それだけだ。そこに、捨てられる、つまり別れるという話になぜ繋がるのか。

 別れるという言葉を全から聞いていないというのに。

すると、結衣は、キッと眦を上げた。

「だって!!あの花束、きっと他に好きな人ができたのよ!!きっと私より優しくてきれいで、おしとやかで、真面目で、嫉妬深くなくて、料理上手で、素敵な人が!!・・・・うぅ、わかってたけど、実際直面するときつい・・・」

おそらく結衣の理想なのか。ある意味完璧な女性像を口にする。それに自分でショックを受けたのか彼女は涙ぐんだ。

その飛躍した考えに、明日香は口をぽかんと開けることしかできなかった。


結衣は、全に対する強い想いに反して、自己評価が著しく低く、自分の気持ちを押さえてしまう傾向が強い。その反動ゆえか、明日香や友の前では爆発し、涙を流すことも多かった。

 それは、悲しいかな、ヘラであった時と変わっていない。そして、全が絡むと斜め百八十度の想像を展開するところも。

 雄也を見れば、心底呆れたような目で、両手で顔を覆う結衣を見ていた。


「ねぇ、結衣ちゃん。それはないと思うよ。鳴神くんに限って・・・。だって、好きなのは結衣ちゃんだって、みんなに言っているくらいだし。部活で恋愛の話になると、結衣ちゃんのこと、いっぱい言うんだから」

明日香と全は、同じ歴史部の部員だ。部員同士での世間話で、上位に上がる恋愛話では、必ずといっていいほど恋人のいる全に話題が振られる。そのたびに、全は結衣について話しをするのだ。

「その通り。昼休みになると、聞かれてもいないのに惚気るくらいなんだから、相当だよ。いや、前からわかってたけどさ」

明日香が強く断言すると、一応フォローは必要だと思ったのか、雄矢も口を開く。

「ほんと・・・?」

結衣は、口と鼻を両手で覆い、目だけを二人に向けた。

結衣の気持ちを浮上させようと、明日香は両腕を上げ、拳をぎゅっと握り、ガッツポーズをつくった。

「もちろん!だからそんなに落ち込まないで!結衣ちゃんは素敵だよ!だって、鳴神くんのこと大好きなんでしょ?不安で仕方なくても、女友達作るのやめてなんて言ったことないし!逆にその子達のこと、ちゃんと見て、ほんとに友達になってるし!私が男だったら、かっこよくて惚れてるよ!」

少し大げさかもしれないと思いながら、さらに言葉を紡ぐ。

 このまま、ここに立ち往生しているわけにもいかない。全のいるこの公園に入らなければ、事態は動かないのだから。

「もし、鳴神くんが結衣ちゃんと別れる気なら、私が怒ってあげる!それで、こんな素敵な子を振ったことを後悔させてやるの!」

得意顔をし、にこりと笑えば、突然、結衣がガシリと片手を握ってきた。

驚いて結衣を見れば、先ほどの涙目はどこへやら、きらきらと輝く瞳で明日香を見つめていた。

「ありがとう、明日香!さすが私の親友!もし、私が男だったら、あんたと結婚したいわ!」

そして、ぎゅーと息もできないほど明日香を抱きしめたのだった。

「ゆ、結衣ちゃん、苦しい・・・!」

嬉しいような照れくさいような、何とも言えない気持ちを感じながら、明日香は呻く。

「単純・・・」

その様子を冷めた眼差しで見つめながら、雄矢は小さく息を吐いた。



 かささぎ公園は、ブランコと滑り台、シーソー、砂場、そして、木でできた東屋のある小さな公園だった。

 東屋の屋根の上には、飛び立とうとしている鳥の彫刻が置かれている。

その東屋に設置されたテーブルに背を預け、全は花束を持ちながら立っていた。

色素の薄い茶の髪が、東屋から差し込む日差しを浴びて輝いている。

 

「全」

結衣が全の名を呼ぶ。全は結衣の方を向くと、驚いたように一度目を瞬かせた。

無理もない。全は結衣だけを呼んだのだ。まさか明日香と雄也がいると思うわけがない。

 公園に入る前、隠れていようかと結衣に提案したが、二人がいた方が心強いと言われ、結局、明日香と雄也は結衣と共に登場した。

「二人のことは気にしないで。それより、用ってなに?」

緊張した面持ちで結衣が尋ねる。

全は、結衣の言葉に「あ、あぁ」と戸惑いながらも頷くと、顎に空いた手を当て、「まぁ、いいか」と小さく呟いた。

「早くして。私もひまじゃないの」

別れ話なのではないかと結衣自身が感じているためか、それは焦りが混じった声音だった。

そのためか、どこか切り込むような、冷たい印象を与えた。

それに気づいているのか、いないのか、全はふわりと微笑むと、右手に持った花束を結衣に差し出した。

「今日は、僕と君が初めて会った日だ。記念というか、今までの感謝と最大級の愛情を君に。これが僕の気持ちだ」

「・・・・え」

まさか自分宛てとは思っていなかったのだろう。(明日香も、恐らく雄也も花束を渡す相手は、結衣だと思っていたが。)

 大きく目を開け、結衣は花束を凝視していた。

「結衣?」

受け取ろうとしない結衣を不思議に思ったのか、全が首を傾げる。

「え、だって・・・、別れ話・・・」

未だに信じられないのか、結衣は、呆然としたまま、花束と全の顔を交互に見つめる。


「本当だと思うけど」

結衣のその様子に焦れたのかは分からないが、雄矢がぽつりと呟いた。

 浮かぶ表情は、やはり面倒くさいという感情を隠してはいなかった。

「その花束の中央にある三本の赤いバラ。花言葉は本数によって違うけど、それは『愛しています』と言う意味。その周りの白いカーネーションの花言葉は『私の愛は生きています』。カーネーションの隣にある紫の小さい花はスターチス。意味は『変わらぬ心、途絶えぬ記憶』。スターチスの隣にある赤い花はアネモネ。意味は『君を愛す』。外側の、それは分かると思うけど、チューリップ。紫のチューリップの花言葉は『不滅の愛』。全部、結衣にあてたものだと思うけど」

すらすらと迷いなく、雄矢は花の種類や花言葉を説明する。そんな意外な雄也の姿に、明日香は目を点にして聞いていることしかできなかった。結衣を見れば、唖然とした表情を浮かべ、目を見開いている。


「・・・参った。まさか雄矢が知ってたなんて。誤算だった」

すると、全は困り果てたように額に手を置き、息を吐いた。

「え、どういうこと?」

結衣にちらりと視線を向けた全は、次の瞬間、目を逸らし、照れたように頬を染めた。

「君に気付いてもらうために送ったわけじゃないんだ。もちろん、花の種類や花言葉も自分で選んだ。ただ、色彩感覚が僕には微妙に欠けているから、花束を包むセロファンやリボンの色なんかは友達に手伝ってもらったけど」

まるで言い訳をするように全は告げる。

「どうして?私は、意味がわかって、すごく嬉しいけど」

『すごく』に力を込めて強調し、結衣はふわっと幸せそうに微笑んだ。

それを見た全の顔は耳まで赤くなり、「うぅ」と小さく声を上げ、がくりと頭を下げた。

「だって、こんな花言葉満載で、・・・重いだろ?」

もごもごと呟く全に、結衣が耐えきれないといったように抱き着いた。

「ゆ、結衣っ!!」

花束が潰れないためか、抱き着いたことに驚いたのか(多分、両方かもしれない)、全は慌てて腕を掲げた。

「重くなんかないわ!むしろ、ドンと来いよ!そんなあなたが私は大好きだもの!!」

結衣の言葉に、全が動きを止める。

そして、花束を手にしたまま、結衣の背に恐る恐る両腕を回し、力を込めて抱きしめた。

「・・・僕も好きだよ」


すっかり二人の世界になってしまった。東屋の下で抱き合う二人を見ながら、明日香は思わず苦笑してしまう。

だが、この分なら大丈夫だろう。安堵の息を吐きながら、明日香は隣にいる雄也に目をやる。雄也も明日香に視線を向けていた。

「結衣ちゃんは任せて、私達は帰ろうか」

「そうだね。まったく、いちゃつくなら、ボクらがいない時にやってほしいよ。居たたまれない」

囁けば、雄矢も頷く。さらりと苦言を言うのは、巻き込まれたことへの仕返しといったところだろうか。

顔は相変わらず眉根を寄せているが、二人に視線を向けた瞳の色はどこか柔らかかった。


公園に二人を残し、明日香と雄也は家路へと歩き出した。

「そういえば渡くん、よく知ってたね。花の種類とか、花言葉とか」

情報通の雄也が、パソコンやネット関連にくわしいことは知っていたが、花や花言葉についてもそうだとは知らなかった。

「・・・雅人まさとに彼女に花を贈りたいから調べてくれって言われた時に覚えたんだ。注文が多くて投げ出したくなったけど」

雄也は遠い目をする。雅人―アポロン―からの依頼なら、確かに大変かもしれない。

おそらく、これこれこういう感じの花言葉で、彼女に似合う花を探してくれとおおざっぱに言われたのかもしれない。作る歌詞は繊細なのに、日常生活のこととなると適当になるのは、雅人の悪い癖だ。

「そうなんだ。それは、お疲れ様」

思わず労いの言葉をかける。

「うん」

雄也は、素直に小さく頷いた。


「そういえば、少し意外だったな。鳴神くん」

頬を染め、耳まで真っ赤にしていた全の様子を思い出し、明日香はこらえるように小さく笑った。

「なにが意外?」

雄也が片眉を上げる。

「あんなに顔を赤くさせて。結衣ちゃんがいないときは、『愛してるのは結衣だけだ』なんて言ってたのに。やっぱり本人の前だと恥ずかしいのかな?前世まえの時は、照れたことなんかぜんぜんなかったのに」

「・・・まぁ、そうだろうね」

噛み締めるように雄也が言った。

「前世の記憶を持ってたって、今のボク達は高校生で、子供で、今を生きている人間だ。大人で、成熟していた、神じゃない。記憶を持っていたって、全部同じってわけじゃないんだ。結衣だって、あの頃、全・・・ゼウス絡みで愚痴られたことはあっても、巻き込まれたことはなかった。今は盛大に巻き込んでるし、そこは違うでしょ。ついでにかなりのお人よしで世話好き」

雄也の言葉に納得しながら、明日香は笑う。

「ふふっ。確かにそうだね。そっかー。前世まえと今があって、私達の魂は創られてるんだなぁ」

そう思えば壮大だ。そんなことを考えていると、雄矢が思いもかけないことを聞いてきた。

「・・・明日香は好きな人とかいないの?」

「へっ!?」

雄也の口から『好きな奴』という言葉が出るとは思わなかった。

なぜ、そんなことを聞かれるのか分からず戸惑っていると、雄矢は感情の見えない静かな瞳で明日香を見る。

「ヘスティアのときから、ヘラやアテネ達、それから孤児たちの面倒ばかり見てたから。そういう事にも目をむけていいんじゃないの?まぁ、こういうのは強制するもんじゃないけど」

「渡くん・・・」

ヘルメスには、姉のように慕われ、働きづめの自分を諌められることも多かった。それは全てへスティアを思ってのことで。

今度は明日香として言葉をかけてくれる雄也に、ありがたいような申し訳ないような気持ちになる。

「ありがとう。そうだね。・・・私はもう神様じゃない」

ヘスティアでいた頃は、女神としての職務―家庭の炉を守り、孤児達を守ること―をこなすことに充足感を感じていたため、他の神々のように恋をし、恋愛をすることにはあまり関心はなかった。恋や恋愛に憧れがないわけではない。けれど、明日香として生きている今も、それは馴染のない遠いものに感じられた。 

 だが、今は神ではない。神であった時は、できなかったことがこれからはできるのだ。

『人』としての人生を楽しまなければ、損だ。

「・・・今は結衣ちゃんや渡くん達と話しているほうが楽しいから、自分が誰かを好きになるなんて想像がつかないけど。もしそうなったら、おもしろいのかな?」

そう口にすれば、なぜか雄也が目を瞠り、ついで脱力したように肩を下ろした。

「おもしろいって・・。明日香って、そういうところが変わってるよね」

「変、かな?今までしたことのない経験っていう意味で言ったんだけど」

「あ、あぁ、そういうことか。うん、そうだね。そういう意味なら、うん」

明日香の言葉に、雄矢は納得いかないような表情を浮かべながらも頷いた。

「人を好きになるってどんな感じなのかなぁ・・・」

結衣を見て、何となく想像はできるが、実際そうなったときどうなるか、明日香には分からなかった。


 翌日、明日香は、にこにこと満面の笑みを浮かべている結衣に話しかけられた。

「あの花束の花、押し花とかブリザーブドフラワーにしようかと思って、葵とみのりに教えてもらおうと思ってるの!」

聞いたことのある名前が結衣の口から出てきたので、明日香は驚いた。

「え、その二人って、大友みのりさんと日野原葵さんのこと?」

「うん、そうだけど?」

「もう友達になったの!?」

「そうよ。帰りにムーサから出ていくのを見たから」

ムーサは、緒凛おりん市にあるカラオケ店だ。商店街に一つだけある。

結衣が頷くと、明日香は目を丸くしたまま、呟いた。

「す、すごいね・・・」

昨日の今日で、友達になってしまう結衣の行動力というか、適応力が凄まじい。

自分にはできない。

女友達ができるたび、全は結衣に彼女らを紹介する。結衣によれば、最初は複雑らしいが、彼女達と話し、人となりを知れば、いつのまにか友達になってしまうらしい。

「全の女友達」と書いてあるあの手帳の半分は、結衣の友達でもあるのだ。

なかには、結衣の人脈で恋人同士になった生徒もいる。

 結衣は、頼まれると嫌とはいえない性格で、また世話好きなこともあり、恋愛に関して相談されることも多い。

 婚姻の女神・ヘラの魂は、人して転生しても健在なのだと、こういう時、実感する。


感嘆の息を吐く明日香に、「そういえば」と結衣が思い出したように言った。

「今日、うちのクラスに転入生が来るんだって」

「あぁ、何日か前にそんなこといってたね」

担任の富永とみなが――ちなみに彼はハデスだ――から、転入生が一人来るという話があった。

「男の子で、名前は黒川仁くろかわじんっていうんだって。私、学級委員だから、放課後、学校の案内を頼まれてるの」

「そうなんだ・・・」

どういう子だろう。仲よくなれればいいけど。

そんなことをぼんやりと思っていると、教室のドアがガラリと音を立てて開いた。

入ってきたのは、若草色のベストに赤と紺の縞模様のネクタイを締めた男性だった。

「みんな席につけ!ホームルームを始めるぞ!」

明るく大きな声が教室に響く。男性の名は富永衛。このクラスの担任であり、明日香達二学年の体育教師を兼ねていた。

衛がハデスだと知り、大爆笑をしたのはポセイドン――海斗だった。

『お前があのハデス!?さわやかすぎ!!しかも体育教師とか似合わねー!!あんな、根暗でうじうじしてた奴が!!』

腹を抱え、ひいひいと頬をひきつらせて笑う海斗を明日香達は止めようとするが、海斗は止まらなかった。

その時、バキィッという何かが砕け散る音が教室に響き渡った。見れば、衛が自前のシャープペンを真っ二つに折っていた。さわやかな笑みを浮かべていたが、そこに漂うオーラは冥府から吹き上がってくる風のように冷たかった。

『何か文句が?』

低く、ドスの利いたその声に、明日香達はピシリと固まり、海斗は笑みをひっこめた。

それ以来、明日香達の間では、衛は最も怒らせてはいけない人間の一人に数えられている。


衛が入ってきたそのあとに、聖央高校の制服を着た少年が続く。目鼻立ちのくっきりとした短髪の少年で、左目のすぐ下に、泣きぼくろがあった。

 初めて見る彼の姿に、クラス全体がざわめいた。

「静かに!」

壇上に上がった衛が声を上げる。

「この前話したと思うが、今日からここに転入してきた黒川仁くんだ。みんな、仲良くするように」

そう告げた衛は、少年――仁の方へ顔を向けた。

「黒川、自己紹介を」

「はい」

仁は壇上に上がり、チョークを握ると、黒板に『黒川仁』と自分の名を書いた。

「黒川仁です。前の学校では、クロや仁と呼ばれていました。好きなように呼んでくれてかまいません。これから、よろしくお願いします」

にこりと人好きのする笑みを浮かべ、仁は頭を下げた。

 そこに、初めて訪れた場所に対する緊張感など微塵もなかった。


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