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31話 翔太、新たな友人を得る。

「レッツッ! パァァァティィィッ!!」


 いきなり、パティがはっちゃけた。

 お腹から声を振り絞り、握った拳を高々と突き上げて。ちょっと巻き舌な感じで、雄叫びを上げた。


 やっぱり翔太の家の自動車よりは遅かったけど。それでも、とっても速くて乗り心地のいい、立派な馬車にガタゴト揺られて。温泉街の奥まった場所にある、これまた立派なお屋敷に到着して。

 照り照りと輝くお肉やら、見るからにふわふわとした白いパンやら、正体が良くわからないけどとりあえず美味しいんだろうなという何かやら。大皿に盛り付けられたそれらが、ずらりと並んだ席に案内されて。

 そして、パティがやらかした。


「それ、こっちの人には通じないと思うよ、パティ」


 何事かと、しんと静まりかえる一同の中。突然の奇行に動ずることなく、慣れた様子で軽くあしらう翔太である。モーリが隣で、パティと同じポーズで「ひあうぃーごーっ!」とか言ってるけど、それも無視。というか、聞こえてないし。

 あ、どうでもいい話だけど、パティの持ちキャラは隻眼のドラゴンです。ぱーりー。


「えっと、今日は僕の誕生日のお祝いに集まってくれて、ありがとうございます」


 様式美とばかりにカタカタ震えるセリムを筆頭として、まだちょっと動揺している面々。彼らに向かってお行儀良く、翔太からのお礼の言葉。

 拳をツンと伸ばして突き上げたまま、固まってしまったパティは放置の方向で。大丈夫、そのうち戻ってくるから。ちょっと内心、真っ赤になっているだけだから。実際に顔も真っ赤なのも是非、見逃してあげて欲しい。生暖かい目で見守ってあげて欲しい。

 ここまでの馬車での移動とか、見るからに立派なお屋敷とか、並んだご馳走とかに、つい気持ちが盛り上がってしまっただけなのです。翔太のお祝いの席を盛り上げなければという使命感から、ついやってしまった出来心なのです、刑事さん。


 まあ、そんなこんなで。

 出だしからちょっと躓いたけれど、翔太のお誕生会が始まったのだった。




 この世界では独特の景観をした、家主自慢の庭園の片隅。先日、辺境伯とラニが差し向かいでお茶をしていた、その四阿。ここが伯の用意した、お祝いの席の会場だ。

 もちろん、家の中に場所を用意することもできるけど。でも今日は、雲一つない空が広がるぽかぽか陽気なのだし、閉じこもってしまうのはもったいない。お日様の下で食べるご飯というのは、何だか特別な物なのだ。


 四阿に据えられた長方形のテーブルの、わかりやすくお誕生席に翔太が座って。彼から見て右手側にパティとセリム、左手側にラニと辺境伯がそれぞれ席につく。

 モーリの椅子は用意されていない。仮に用意されたとしても、どうせ大人しく座ってたりなんてしないだろうし。それで特には問題ないだろう。


 この邸宅の所有者であるどころか、この土地自体の主が末席になってしまっているけれど、それは気にしなくても大丈夫。この席順を意図したのは、伯自身なのだから。身分という観点からすると明らかに間違いだけれど、今日の会はそういったことに配慮しなくてはならない場でもないのだし。

 主役の少年が一番楽しめるよう、ホスト役として考慮した結果、こうなった。初めて会ったばかりの者よりも、慣れ親しんだ者が近くで祝ってくれた方が嬉しいだろう。そんな、伯のちょっとした心配りである。


 そういうわけなので、伯としてはこれで全く問題ない。問題があるとするなら、それは貴き人の真向かいに座る羽目になってしまった者の、その胃の壁だろう。

 セリムは気がついてしっまったのだ。ジョージだと、そう簡単な自己紹介をされただけだけれど。この老人が誰であるのか、その正体に勘づいてしまっていたのだ。というか、あの馬車を見た時から既に、嫌な予感がひしひしとしていたのだが。そしてこの邸宅を見た時には、それが確信に変わっていたのだが。

 気づきたくなんてなかったのに。気づかなければ、もう少しくらいは気楽にいけたのに。現実とは、残酷なものである。パティよ、お前の交友関係はどうなっているのだと。改めて問いたい、問いただしたい。


「翔太君、だったね。お誕生日おめでとう」


 きりきりと痛む胃を押さえるセリムを尻目に、その館の主人が口火を切ってきた。目元を優しげに細めて、ただでさえ皺だらけの顔をより一層しわくちゃにした、まさに好々爺といった顔。その言葉に、ありがとうございますと、翔太も笑顔で返してみる。

 でも、その内心ではちょっとだけ、疑問が渦巻いてもいた。このお爺さん、一体どんな人なんだろう?


 名前はジョージさん。さっき聞いた。ラニさんの知り合いで、珍しい物を食べるのが好きな人。日本の料理を食べてみたいから、代わりにこの場所を用意してくれたらしい。そして多分、すごいお金持ち。

 髪が真っ白だけど、これは白髪なのかな。それとも、元からこういう色なのかな。魔法なんかがある異世界とはいえ、アニメみたいに青とかピンクの髪の人とかは流石にいないと思うけど。でも、白くらいならいるのかもしれない。

 僕のお爺ちゃんと、どっちが年上かな。頭の中で顔を並べてみるけれど、今ひとつよくわからない。翔太のような子供にとっては、ある年齢以上の人は皆まとめて、お爺さんとお婆さん。お年寄りというカテゴリーでひとくくりにされてしまうのだ。

 でもとりあえず、この場の中では一番年上なのは間違いないよね。あ、でもラニさんはエルフだったっけ。じゃあ、実はもっと年上だったりするのかな。翔太のその考えは紛れもない事実。けれど、実はモーリがそのラニすら遙かにぶっちぎって、首位を独走していたりする。


 と、そこまで思考を巡らせたところで、翔太が難しいことを考えるのをやめた。まあ、別に誰でもかまわないかな。お祝いしてくれるんなら嬉しいし、それでいいや。そう思い、自然と顔がニコニコになっていく。

 相変わらず、割と大雑把といおうか、細かいことにはこだわらない性格である。そういうところが、モーリに好かれる要因の一つなのだろう。


「これ、母さんが作ってくれた、僕の国のお料理です。食べてみてください」


 そう言うと、抱えていた大荷物から三段重ねの重箱を取り出して、机の空いたスペースへ並べていく。高価な漆器とかではないけれど、実用性という面では中々のもの。きっちりと密閉することができて、中身が零れたりしない優れものである。母のお気に入りの一品だ。


「あっ! おっきい荷物だと思ってたら、このお弁当箱だったんだ」


 いつの間にか復活していたパティが、目をきらきらさせて覗きこんできた。

 この重箱は、パティも一緒に行ったお出かけの時にも、大活躍してくれた。動物園や遊園地。楽しい思い出と共に、あのときに食べたお弁当の味も思い出して、思わず涎がじゅるり。


「うん、パティもいっぱい食べてね。あっ、でもこっちのお料理の方がいいのかな?」


 んーっと、首を傾ける翔太。

 翔太の母さんの作った日本の料理が、パティは大好きだ。それは翔太も良く知っている。いつも、本当に美味しそうに食べている。けど、母さんの料理ならこれからも、何度も食べる機会があるだろう。それよりも、滅多に食べれないこの世界のご馳走の方が、今日は食べたいんじゃないのかな。

 そう考えた翔太だけれど。大丈夫、心配はご無用というものだ。


「どっちも食べるっ!」


 ほら、パティならこう言うに決まってるんだから。

 実際、パティはよく食べる。その小さな体の何処に入っていくのか、不思議に思うほどよく食べる。それでも太ったりしないのは、摂取した栄養が全て成長へと費やされているからだろう。育ち盛りなのである。それに加えて新陳代謝の高い、アスリートのように引き締まった体を持つが故だろう。村の労働で鍛え上げられたたまものである。

 まあ、その代償としてか、一年経った今でも胸の膨らみは全くもって慎ましいままなのだが。でもきっと未来はあるさ、パティ。


 それにしても。既に並んでいる大皿の数々に加えて、中身がぎっしりと詰まった重箱が参戦したのだ。料理の量が、ものすごいことになっている。

 6人がかりとはいえ、いくらパティが健啖家とはいえ、食べきれるのかどうか心配になってくる程。でも、そちらの心配もまた、ご無用。


「私もいただいても構わないか、ショウタ?」


 ラニ、参戦。

 いつものように、表情はあまり動いてはいないけど。でも、じっと睨みつけるかのような強い視線が、重箱の中身を捕らえて放さない。馴染みの薄い者には怒っているようにも見える表情だが、彼女をよく知っている者なら分かる。これは、期待に胸を膨らませている時の顔。


 実は、ラニは結構な食いしん坊だったりするのだ。

 うっかりと、食事をとるのを忘れてしまうことも多々あるけれど。その反動なのか、食べる時にはかなりの量をもしゃもしゃと、胃袋に一杯まで詰め込んでいく。その細い体の中で変な生き物でも飼っているんじゃないかと、錯覚するほどよく食べる。もしかしたら、食い溜めしようとしているのかもしれない。


「うん、もちろん。お腹いっぱい食べてね」


 きらりと輝く、ラニの瞳。

 確か、いただきます、だったな。そう小さく呟いて、誰よりも速く右手のフォークを振りかざし、そして振り下ろそうとしたところで。ぴたりと、その動きが止まった。

 そして眉をへの字に曲げて、じっと翔太のことを見つめてくる。彼女をよく知らない者でも、これは分かる。明らかに、困った時の顔だ。


「……すまない。これは、どうやって食べるのだ?」


 翔太が持ってきた重箱の中身。どれも見知らぬ料理ばかりではあるとはいえ、見た目からどのような物か想像のつく品も多い。例えば、何かの肉を揚げたであろう物。例えば、魚の切り身を焼いたであろう物。妙に黒っぽい煮汁が不安を煽る、いろいろな野菜と肉を煮込んだであろう物。これらは、食べ方で悩むということはない。

 けれど今、ラニのフォークが狙いを定めていた品は、正体が全くの不明であった。


 ラニの拳より少し大きいくらいの、真っ黒で、三角形の何か。

 肉とも魚とも、野菜ともつかぬ。さりとてパンとも思えない。何とも面妖な。フォークで突き刺すには大きいが、取り分けた後に手元でナイフを使うのだろうか。そもそもこの色、本当に食べても良い物なのか?

 手近なところで狙いを定めたはいいが、最初から躓いてしまった。


「それはね、おにぎりっていうの。僕たちの方では、パンじゃなくてお米っていうのが主食なんだけどね、それを、こう……」


 ラニの疑問に答える翔太を見て、パティがにやりと笑った。妖精のような、悪い笑顔を浮かべた。

 これってもしかして、チャンスなんじゃない? ラニに翔太の良いとこ見せつける、絶好のチャンスなんじゃない?

 協力するわよ、翔太。二人っきりって訳にはいかないけど、こっちは私が引き受けるっ!


「叔父さんとお爺さんには、私が説明してあげるねっ!」


 むふーっと鼻息荒く宣言し、男性陣に向き直るパティ。翔太に質問しちゃ駄目よ。2人の邪魔はさせないわ。

 そこっ! モーリ、うるさいっ! 今、翔太にちょっかいかけたら具材にするからね、覚悟なさいっ!


「ああ、ならよろしく頼むよ」

「任せてっ!」


 目を細めて嬉しそうにする好々爺とは対照的に、セリムの顔色は真っ青だ。

 待って、パティ。お爺さんって、お願い待って。そりゃ確かにお爺さんだけど、もうちょっと言葉に気をつけてっ! って、やっぱりこの人が誰だか分かってないのか、パティっ!

 館の主に気にした様子は見えないけれど、ここは姪っ子を注意するべきか。でも、敢えて身分を名乗ってないっていうことは、変に騒ぎ立てないほうが正解か?

 思考はぐるぐる、視界もぐるぐる。英断か保身か、混乱の極み。そんなセリムを置き去りに、パティの快進撃は続く。


「これはね、おにぎり。フォークとか使わないで、直接手で持ってがぶりって食べるのよっ!」


 実演してみせるパティ。言葉通りにおにぎりをつかみ取り、大きいお口でばくりと齧り付く。美味しいーと、口の端が弧を描く。中身はおかかだーと、満面の笑みになる。頬に燦然と輝くご飯粒がまぶしい。

 その様子を見たセリムは、考えるのをやめた。もうどうにでもなーれ。


「こう、かね」


 パティの指導の下、伯がおにぎりを手に取った。どこかぎこちなく、口元へと運ぶ。その手が、微かに震えていた。

 白いおにぎりを覆う黒い海苔を噛みちぎり、三角形の頂点を口に納める。ゆっくりと、一噛み。そして、もう一噛み。まぶたを閉じ、舌に全ての神経を集中させる。口の中でほつれる米からの甘み、海苔から漂う磯の香り。加えられた塩味と共に、全てが調和する。

 ゆっくりと、ゆっくりと。大切に大切に味わう、故郷の味。


「……ああ……美味い、な」


 名残惜しさと共に口の中の物を飲み込んで、しばし。ようやく開かれた伯の口からの、意図せずに漏れてしまった、そんな呟き。

 まぶたを開くことは、出来なかった。


「美味しいでしょっ!」

「ああ、美味い。本当に、美味い」


 とても美味しそうに食べてくれる様子に、パティもとっても嬉しそう。翔太の母さん、お料理上手なんだからと、自分のことのように得意気だ。

 でもまだまだ、こんなもんじゃないんだからねっ!


「じゃあね、次っ! これはね、煮物。醤油っていう名前のソースの中にお肉やお野菜を入れて、煮込んだのよっ!」


 違うぞ、パティ。そんなことしたら、しょっぱくて食べれたもんじゃなくなるぞ。

 パティの言葉を訂正してくれる人はいなかったけれど。でもいたとしても、もう関係なかったろう。伯にはもう、パティの言葉など耳に届いていなかったのだから。

 おにぎりを一口食べた伯は、それまでの噛みしめるように味わっていたのを一転。我慢できないとばかりに猛然と、次々に重箱の中身をつつきだしたのだ。


 まずは煮物。ねっとりとした食感の里芋に、甘くて土の香りの漂う人参。しゃきしゃきと歯ごたえのある牛蒡に、ほろほろとほぐれる鶏肉。そして味付けは醤油。そう、醤油だ。恋い焦がれ続けた、あの醤油なのだ。これで止まれる訳がない。ひょいぱくひょいぱくと、次から次へと口の中へ。

 唐揚げ。醤油をベースとして、効かせたニンニクとショウガがたまらない。美味しくない訳がない。煮た鶏肉もたまらなく美味いが、やはり鶏は揚げるのが正義だ。

 おっと、忘れていた訳じゃない。身はふっくらで皮は香ばしい塩鮭、君も最高だ。全てたいらげてあげよう。

 それぞれのおかずの合間には、おにぎり。おにぎり、おかず。おにぎり、おかず。永久機関の完成だ。

 わかってる。ひっそりとした脇役でいながら強烈な個性を主張する、たくあん。君がいてこそ、場が引きしまる。

 ああ、素晴らしい。桃源郷は、ここに存在した……。




 ふと。伯が我に返った時、場はしーんと静まりかえっていた。

 ぽかんとした翔太。びっくりしたようなパティ。目元を細めるラニ。相変わらず笑っているモーリ。青ざめたセリム。それぞれに浮かんだ表情は違うけれど、視線の導く先は同じ。伯のことを、見つめていた。


 ああ、しまったな。つい、我を忘れてしまった。

 この子の誕生祝いの席なのに、主役を差し置いて暴走してしまうとは。それは、皆も呆れるというものだ。もういい年だというのに、我ながら情けない。

 そう、反省する伯だったが。


「お爺さん、泣いてるの?」


 不思議そうに尋ねる翔太の言葉に、思い違いを悟った。呆れているのではなく、ぎょっとしていたのか。料理を食べて突然泣き出した自分に、驚いていたのだったか。

 そうか、泣いてしまっていたか。涙を堪えることが出来なかった、のか。貴族として長く生き、もう人前で素の感情など、見せることはなかったというのに。

 伯は恥じるように、それでもどこか満足気に息をつく。そして眦から零れた雫がつうっと流れ落ち、テーブルに染みを作った。


「驚かせてすまないな。あんまりにも美味しくて、感動してしまったよ」

「そうだったんだ。口に合わなくて泣いちゃったのかって、びっくりしたよ」


 ごまかす伯の言葉に、翔太が素直に頷いて、安心したと笑みを作る。けど翔太よ。素直なのは良いのだが、不味いと感じたのだとしたら、あれだけ勢い良く食い散らかしたりはしないだろうに。

 そんな、どこかずれてる翔太とは違い、パティには涙の理由がわかってしまった。彼女は、初めてラニとであった時に聞かせてもらった昔話を思い出していた。遠い遠いところから、妖精に迷わされて連れてこられてしまった少年の話を、思い出していた。

 そっか。この人が、そうなんだ。


「……ねえ、翔太」

「何?」

「今度また、お母さんにお願いしてさ、お弁当作ってもらおうよ」

「そうだね。ラニさんも、食べられなかったしね」


 見れば重箱の中身は、すっかりと空に。あれだけの量をほぼ1人で食べ尽くした、伯の胃袋も侮りがたし。

 かつての少年に故郷の味を堪能してもらうことが出来て、それを喜ばしく思いつつ。けれどご相伴にあずかることの出来なかったラニが言う。少し口を尖らせて、珍しくわかりやすく拗ねたように、言う。


「その時は、もう少し手加減してくれたまえ、ジョウジ」

「……善処しよう」


 眉根を寄せて、真剣に告げる伯の姿に、誰かがぷふっと吹き出した。

 パティ、ではない。ラニでもない。翔太も違う。モーリも笑っているけど、彼の声はパティとラニにしか聞こえない。

 残りは、セリム。犯人はセリム。意外なことにセリム。青ざめてほっとして、気持ちの揺れ幅が大きすぎて。ようやく一息ついたところでの、伯の一言。善処するだけって、譲る気持ちは更々ないって事ですかと、それが妙にツボに入ってしまった様子。

 安心したはずだったのに、また一気に奈落の底へ。いやそのと口ごもり、両手をばたばたと振り回してどうにか弁解しようと、あたふたとするセリム。


「ぷっ」


 そんな叔父の姿に、今度はパティが吹き出した。

 一応、一生懸命に堪えてはいるのだけれど。でも、両手をお腹に当てて、体をくの字に折って、我慢するあまりに涙まで流し始めたその姿では、意味がない。

 こうなると、もう駄目だ。パティが笑えば、翔太も笑う。楽しそうなパティの姿に、翔太だって笑い転げる。

 ラニだって笑う。口元に手を当てて、顔を背けてクスクス笑う。伯だってもちろん。まいったなという苦笑からだんだんと、やがては声を上げてはっはっはと笑う。モーリはいつも大体、笑ってる。

 そして、いつしかセリムも大笑い。堪えて吹き出すのではなく、もう駄目だとばかりに涙を流して大笑い。突如として沸き起こった笑いの渦は、辺境伯別邸の枯山水の庭にしばしの間、あははあははと響き渡っていた。






「礼をせねばならぬな」


 どうにかこうにか、皆を襲った笑いの発作も落ち着いて。改めて、誕生会の仕切り直し。翔太君、お誕生日おめでとう。

 と、そこまでやったところで。伯がそう、翔太へ向かって切り出した。


「お礼?」

「ああ。あんなにも美味い物を食わせてもらった以上、何もせぬという訳にもいくまい。全て一人で平らげてしまった詫びもある」

「別に、気にしなくても大丈夫だよ。美味しいって喜んでくれたって言えば、母さんだって喜ぶと思うし」

「ならば、祝いの品ならどうかね? 誕生日の、お祝いだ。何か欲しいものはないか?」


 って、言われてもなあ。腕を組み、首を傾げて考えてみる翔太。何か、欲しいものってあるかな?

 新発売のゲーム機……は、無理だよね。あっ、マウンテンバイク。だから、無理だってば。うーん、欲しいものならあるけれど、この人がいくらお金持ちでも手に入る訳がないよね。この世界にあるもので、欲しいもの、かあ。


「別に、ないかなあ?」


 実際、ないから困る。

 自分にはなくても、パティの村でいるものをお願いしてみようかなと、そう思ってもみたけれど。でも、僕からセリムさんへのお礼のときだって、必要な物とか特にないからってさんざん悩んだくらいだし。


「物でなくても、やってみたいこととかならば、どうだ? 大概のことなら手助けできると思うのだが」


 やってみたいこと。やって、みたいこと。……うーん。

 あっ、そうだ。


「あの、妖精が見てみたいです。僕でも見えるようになる方法とか、知りませんか?」


 後で、ラニさんに聞いてみようと思っていたこと。僕が妖精を見れるようになる方法。いつも一緒に遊んでいるはずの、モーリとおしゃべりする方法が、知りたい。

 モーリと、ちゃんと友だちになりたいんだ。パティと出会えたのだって、モーリのおかげのはずなんだし。まあ、最初はただの悪戯だったみたいだけど。


 欲しいものなど特にないと、頭を悩ませていた様子から一転。期待に胸を膨らませ、きらきらとした目で尋ねる翔太。

 対して伯は、しばし悩んだ様子を見せて。決断するように一つ頷くと首筋に両手を当て、服の下にペンダントとしてつけていた、銀の鎖の通された古ぼけた指輪を取り出した。


「ならば、これをあげよう。妖精の姿が見えるようになる魔法の指輪だ」


 伯のような身分のある人間には似つかわしくない品。飾り気のない、木製の簡素な指輪。

 それを見たラニの瞳が一瞬だけ、複雑な色を見せて揺れ動いた。まだ、持っていたのか。ずっと、つけていてくれたのか、と。


「私がまだ若い頃の話だ。旅から旅への暮らしをしていた時に、妖精につきまとわれたことがあってね。その時に、これが役立った」


 それはかつて、ラニから少年へと贈られたもの。

 妖精そのものは防げなくても、せめて悪戯から自衛くらいは出来るようにと。森の大木の枝から削り出し、ラニの魔力を込めた指輪。


「お爺さんも、妖精に好かれる人なんだ」

「好かれていた、だな。今はもう、これをつけていてすら、見えなくなってしまったよ。思い出の品というだけの物だ」

「思い出の品って。だったら、大事な物なんじゃないの?」

「……構わん。君がこれを必要としていて、そして私と出会った。ならばこれも、妖精の導きという奴なのだろう」


 翔太の手が、指輪を受け取ろうとして、戸惑って。手を伸ばそうとして、引っ込めて。

 迷う翔太に、伯は微笑みを浮かべて。翔太の手を優しく掴んで、そっと手の平に指輪を乗せて。自分の手で小さな手を覆うようにして、思い出の品を握らせたのだ。

 本当に、いいのかなと。視線で問いかける翔太に、頷きで答えを返す。


「……絶対に、大切にします」


 翔太は握った手を胸に当て、目を閉じる。このお爺さんの、これまで生きてきた思い出。それを自分が引き継ぐのだと。そんな、厳粛な気持ちになった。

 そして決意を込めて目を開けて、ペンダントを首から下げた。


 頭の奥の方で、何かが繋がった。そんな気がした。


 翔太は、周囲をぐるりと、見渡してみる。

 力が溢れてきたりとか、目の周りに何かエネルギーが集まったりとか。そんな風なことは全くなかったけど。今まで見えていたものが違った風に見えるとか、そういうのもなかったけど。


 でも、見つけた。まだ沢山の料理が並んだテーブルの、その真ん中。そこに座り込むようにして、彼がいた。

 人間にとっては一口の大きさに切られたステーキに、でも彼にとっては両手で抱えるサイズの巨大な肉の塊に、大きく口を開けて齧り付いていた。

 小人のような小さい体に、木の葉で出来た服を着て。背中からは、大きな蝶の羽。


「……ねえ。君が、モーリ?」


 んあっ?

 そんな擬音が聞こえてきそうな、面倒くさそうな顔をして、翔太の声に振り返ったモーリ。

 彼の視線がまっすぐ自分をとらえているのを確認すると、ふうっと大きく、溜め息一つ。


「あーあ。とーとー、お前にも見つかっちまったかー」


 見つからないように悪戯するのが、俺様の美学だっていうのによ。不貞腐れたように、そう呟く。

 そんな、しょっぱい対応だったけど。それで止まるようなら、翔太じゃない。


「はじめましてで、いいのかな?」

「おめーのほうは、そうじゃねーの?」

「うん。じゃあ、はじめまして、モーリ」


 肉汁にまみれた、神秘性とか何処かに忘れてきた様子の妖精に、右手をずいっと差し出してみる。

 そして翔太は、にっこにこの笑顔で、こう言ったのだ。


「モーリと話せるようになったら、言おうと思ってたんだけど」

「あんだよ?」

「僕ね、モーリのこと、大好きだよ」


 照れとか、そんな気配はかけらもなく。ど真ん中直球の言葉を、言ってのけた。

 正真正銘、心の底からの、素直な気持ち。それをぶつけられたモーリは、どうにもこうにも歯がゆくて。右手で頭を、がしがしと強く掻いて。脂まみれでテカテカになっちゃったけど、それでもがしがしと掻き続けて。あーとか、うーとか、苛立ち紛れの唸り声を上げて。

 やがて、ひとしきり悶え苦しんだ後。どこか諦めた様子で、こう、返した。


「……しゃーねーなー。もうしばらくは、お前と一緒にいてやんよ」


 モーリの小さな手が、ぶっきらぼうに伸ばされる。

 そして、翔太の差し出した指先を、そっと掴んだのだった。


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