3話 不審人物は外人さん。
トンネルを抜けた先には、驚くべき景色が広がっていた。
「おおおお~~~~っ」
ゴロゴロと木の滑り台を転がり落ちて、謎生物の上に放り出される。なんてことは、残念ながらなかったけど。それでも、この結果は予想外で、予想以上で。
ドキドキ、ワクワク。確かに、きっと楽しいことがあると期待はしていた。けれどそれでも、せいぜい林の中に出るくらいだと。7歳ながらに培ってきた常識が、そう語っていた。
それがどうだろう。この、冒険心をくすぐりまくる光景は。
目の前に広がるのは、一面の草っ原。
あの林の奥、謎の施設の敷地がこんなにも、広大なものだったとは。いくら田舎寄りの土地だとは言っても、これはちょっとすごい。すごすぎる。
一体、どれくらい広いんだろう。目を凝らしてみるも、反対側の端が全く見えない。
端は見えないけど、目に入ったものはある。
少し離れたところに、お花畑。そしてそのもう少し先には、家が何軒か建っている。翔太がこれまでに見たことのない造りの家だ。
外国風の家なのかな? なんとなくボロっちい気がするな。けど、もしかしたら、それが味ってやつなのかもしれない。
どうしようかな、行ってみよかな。
怒られるかな、戻ったほうがいいかな。
自分の背後、逃走経路を確認する。
外側から見たときは、そんなに木が密集しているようには思えなかったけど。こっちから見たら結構、奥深く鬱蒼と感じる林。その一部に背の高い下草が生い茂る所があって、そこの草をかき分けて覗いてみれば、現れるのはトンネルの出口。今さっき、翔太が這い出してきた通路だ。
ここを通れば、すぐに元の場所に戻れる。わからなくなっちゃわないよう、ちゃんと場所を覚えておかないと。
大丈夫。警備の人とかに追いかけられたとしても、すぐに逃げれる、問題ない。もし捕まっちゃたら、全力でごめんなさいをしよう。
ようし、決めた。
あの家まで、行ってみよう。
行ってみて、誰かいたらここがどういう場所なのか聞いてみよう。怒られそうだったら、ダッシュで逃げる。うん、完璧な作戦だ。
そして翔太は、一歩を踏み出す。いざ、冒険の旅へ。
どうして子供という生き物は、心の奥底では駄目だとわかっている一線を越え、ついつい突き進んでしまうのか。
これが分別を弁えた大人だったら、きっと引き返していたことだろう。不法侵入とか、そういう単語が脳裏にちらついてしまえば、自然と保身を考えてしまうのが当然なのだ。そもそも、緑のトンネルを潜ろうとすら思わなかったか。
しかし、子供は違う。奴らは、突っ走る。そうしてしばしば、トラブルを呼び込む。例えば、迷子とか。その結果、大人たちは散々に苦労する羽目に陥るのだ。
だがまあ、この場においてはきっと。翔太のこの選択は、最良のものであったのだろう。ここで彼が帰ってしまっていたのなら。彼と彼女の出会いは、失われてしまったはずなのだから。
なので、この先で待つ少女。パティにとっては、きっと。翔太のこの選択こそが、運命ってやつだったのだろう。
意気揚々と歩き始めた翔太だったが。数歩も進まぬうちに、最初の試練が訪れる。
先程から見えていた、花畑。そこに、不審人物がいたのだ。
咲き乱れる花びらは白。花の真ん中は、雄しべ雌しべの黄色。2つの色の中に、白っぽい服を着た、黄色い髪の女の子。
しゃがみ込んでじっとしていたのだろう、保護色になっていて、遠目ではぜんぜん気が付かなかった。
ところがだ。翔太が花畑の横まで来た時、その子は急に立ち上がると。何故だか突然、地面の上を転げ回り始めたのだ。
……何、してるんだろう?
花畑の中で寝転がるというと、何だかとてもメルヘンチックな感じがするのに。何だろう、この残念感。
可愛らしくコロコロじゃなくて、花を轢き潰すようにゴロゴロ。ロードローラーか。
口から漏れ出してるのは、笑い声ならぬ、うめき声。
しかも、全然いい匂いじゃない、この花。去年の夏におじいちゃんの家で嗅いだ蚊取り線香の匂いみたいだ。
変わった遊びだな。全然、楽しそうに見えないんだけど。
女の子はどうやら、僕と同い年ぐらい。それに気づいたときは、この町で最初の友だちになれるかなと思ったんだけど、どうしよう。一緒に転がろうとか誘われちゃったら、ちょっと困るかな。
うーん、でも、折角だから声をかけてみようかな。他の遊びだったら、一緒にやりたくなるものもあるかもしれないし。
この子も、どうせだったらもっと楽しそうに遊べばいいのに。そんな辛そうな顔をしてないで。そんな、涙なんて流していないで。
……って、苦しんでるんだ!
あんまり勢い良く転がっているものだから、右へ左へキビキビと、切れの良いターンをしているものだから、てっきり楽しんでいるのかと思ってしまった。
「大丈夫? どこか痛いの?」
とりあえず、近づいて声をかける。
すると女の子は、ビクリと身を震わせ、ゼンマイが切れたかのように急に動きを止めた。慌てた様子でこっちを見ようとするけれど、しかし目はまだ開かない。
周囲には、潰された草の匂いがモワッと立ち込めている。そりゃあ、涙も出てくるよ。すごく目に染みるもん、これ。
とりあえず、怪我とか病気ではなさそうで一安心。
「ほら、こっちに来なよ」
まずはここから離れないと。花畑の外まで案内してあげよう。翔太は女の子の手を取ろうとする。ところがびくりと、すごい勢いで手を引かれてしまった。
「ごめんね、怖かった? 大丈夫、別に意地悪なんてしないよ」
翔太が優しくそう言うも、女の子は余計に身を強張らせてしまう始末。
うーん、どう言えば安心してもらえるかな?
……って、もしかしてっ!
「外人さんだっ!」
今更ながら気がついた。黄色い髪の色、これは日本人のものじゃない。肌だって僕よりずっと白い。転がっていたせいか、ちょっと泥だらけだけど。何より、ドレスを着たお人形さんみたいな可愛い顔をしているじゃないか。
どうしよう、困ったな。言葉が通じないんだ。……そうだ。
翔太はポケットから取り出したハンカチを、肩から下げた水筒の中身でたっぷりと濡らす。中身はただの水。引っ越ししたばかりで他に飲めるものがなかったからだけど、ちょうど良かった。
そして、それを女の子の手に握らせる。
視界が奪われた中、急に渡された濡れた謎の物体。最初はそれが何だかわからず、とっさに投げ捨てそうになった。が、すんでのところで、その正体に思い至った様子。
女の子は、ゴシゴシと音が出そうな勢いで、濡れハンカチで目の周りをこすり始めた。
「そんなに強くこすったら、赤くなっちゃうよー」
言葉は通じないのだけれども、ついそんなことを言ってしまう。
やがてハンカチが草の汁と、あと顔についた泥で真っ黒になり。ようやく、女の子の目がはっきりと開かれる。
透き通るような、青い瞳。
「キレイな目の色だねー。ねえ、君の名前は何ていうのかな?」
だから、通じないんだってば。
そんなツッコミを入れてくれる人もおらず、強引なまでに会話を続ける翔太。物怖じしないところは翔太の美点であり、欠点でもある。
「僕はね、栗栖翔太」
自分のことを指差しながら、自己紹介。
「ね、言ってみて。く・り・す。しょ・う・た」
発音がよく分かるよう大きく口を開け、一文字づつゆっくりと繰り返す。
「しょ・う・た。ほら」
「……しょーたー?」
「うん、そうだよ! くりす、しょうた!」
「……クリス・ショーター?」
翔太はニッコリと笑い、大きく頷く。
大丈夫。言葉なんて通じなくても、友達にはなれるんだ。
「うん、僕は栗栖翔太。ねえ、君の名前は?」
自分のことを差していた指を、くるりと方向転換。女の子を指し示す。
また自分を指して、翔太と自己紹介。そして翻って女の子を指差す。それを何度か繰り返し。
やがて、翔太の意図に気がついたようだ。どこか恐る恐ると言った空気ながら、女の子は名前を教えてくれた。
「……パティ」
「パティ? 君の名前はパティっていうの?」
ほら、ね。
これでもう、僕たちは友達だ。
自分を指して、翔太。向こうを指して、パティ。
「翔太、パティ。パティ、翔太」
「ショーター、パティ。パティ、ショーター」
名前を呼んでいるだけなのに、何だかとても楽しい。
気がつけば二人とも、顔にはお日様のような笑顔が浮かんでいた。
でもとりあえず、早くここから離れよう。
何だか、僕まで目がしみて辛くなってきたから。