28話 辺境伯は遠い故郷を想う。
王国の帝国との国境に位置するクレイ辺境伯領。かつては敵国に対する砦として、現在は交易の重要な拠点として、王国に存在感を示しているこの地。
その一角にそびえる、とある山の麓。そこには、辺境伯領ひいては王国に更なる富をもたらさんと、只今絶賛建築中の街がある。それがこの、辺境伯領の新名所、温泉街だ。
ちなみに、温泉街という名は既に広く浸透しているけれど、実はこれは単なる通称。では正式な名称は何かと問えば、答えとして返ってくるのは、まだ決まっていないという意外な事実だったりする。
常ならば果断で知られる辺境伯であるが、名付けで迷いに迷ってしまっているのがその原因だ。ハコネ、あるいはクサツ。この二つまでは候補を絞れたのだが、あと一歩を踏み出せない。どちらの名も伯にとっては何やら思い入れの深いものらしく、安易には決められないと、うんうん頭を悩ませている。
そんな、温泉という物に強い執着を持つ伯であるからして当然というべきか。この街には領主別邸という名の立派な建物が存在している。とはいえ、公務に忙しい伯が領都より訪れることなど、めったにないのであるが。
敬愛する主人に奉仕する機会に恵まれないのは、いかにも寂しいものではある。だが、観光地でのんびりと暮らしつつ、好きなだけ湯につかれるこの館の使用人たちはある意味、勝ち組でもある。辺境伯領の家臣団にとって、勤めたい職場人気投票の筆頭候補だ。
そんな普段は静かな邸宅であるが、今日はなにやら違った雰囲気。静かな中にも熱気というか、使用人たちのやる気が空気の中に充ち満ちている。
この館に主人が訪れることは滅多にない。しかし、湧き出る源泉の一つにほど近い、街でも一番奥まった場所に建つこの場所では今、その滅多に無いことが起きていたのだ。
王国における貴族の庭園というものは、綺麗に刈り込まれた低木や花壇が幾何学的に配されたものが多い。けれどこの場所は、そういったものとは随分と趣が異なっていた。
人の手のあまり入っていない無骨な岩や石を、白い砂利を敷き詰めた上に無作為に並べたように見えるその庭は、伯の生まれ故郷の思想と文化を詰め込んだものだという。ここ招かれた客の半数は寂しい庭だと思い、残りの半数は大いなる自然を感じとるという。
その庭の外れにある、一軒の四阿。そこで凝縮された宇宙を眺めながら、老人と若い娘が野外でのお茶を楽しんでいた。
「貴女に会うのも久しぶりだが……本当にいつまでも変わらず、美しいままだな、ラニは」
向かいに座った女性にそう声をかける老人の背は、あまり高くない。姿勢良く椅子に座っていてもすぐにそれとわかるほど、小柄な体型だ。この地に住む一般的な男性と比べると、骨格からして違うのだろう。黒い瞳と、かつては黒かったであろう白髪も、この辺りではあまり見ないもの。無数の皺が刻まれた彫りの深くない顔立ちも相まって、彼が生粋の王国人ではないことを示している。
顔に浮かぶのは、ほのかな微笑。総じて受ける印象は、優しそうで可愛いお爺ちゃんと言ったところか。若かりし頃に築いた数々の剛毅な逸話からすれば意外にも思える姿の彼こそが、この館の、そしてこの領地の主である、ジョージ・クレイ辺境伯その人である。
「そうか? 最後に会ってから、そう時間も経っていないように思うが」
不思議そうに答える女性が、何かに気づいたように口を閉ざす。
そうだったな、君と私では時の流れというものの受け取り方に、随分と差があるのだった。もう慣れたつもりでもいたけれど、それでもとっさには違和感を感じてしまうのはどうしようもないのだろうか。
「1年ぶりだよ。私にとっては長い時間だ。まあ、以前の50年ぶりの再会に比べれば確かに短いがね」
そう、困ったように笑みを浮かべて、伯が女性を見つめる。
銀糸の艶やかな髪に、深い知性を感じさせる紫水晶の瞳。新雪のような白い肌。作り物めいた無表情でありながら人を惹きつけてやまない、ある種の理想を体現したとばかりのその美貌。そしてその少女の耳の先は、少しだけ尖っていた。
「私としては、もっと頻繁に貴女と顔を会わせたいものだ。やはり、森小屋での暮らしをやめる気はないのかね? 領都の館に招く話を、もう一度考えてみて欲しいのだが」
「そう言うな、ジョウジ。君のことを好いてはいるが……やはり私には、森の中の方が過ごしやすい」
そう言葉を返す半妖精族の女性、ラニの顔には。彼女には珍しい、誰が見てもそれと分かる柔らかな微笑みが浮かんでいた。
「精霊力というものだったか」
「ああ。純血の奴らみたいに必須という訳でははないが。それでも、森にいれば気が落ち着く。飢える心配もないしな」
「食事なら、使用人に用意させるが?」
「とはいえ、君の客ともなれば彼らにも遠慮が出るだろう。かつての誰かのように、私の口の中に無理矢理パンを突っ込んでくるような真似をしてくれるだろうか?」
まあ、それは流石に無理だろうな、と。
辺境伯はその時の光景を思い出し、懐かしむように目を細めた。
妖精族が深い森の中に住んでいる理由は、生きるために自然の精霊力が必要だからだ。逆に言えば、それさえあれば生きていける。口から取り入れる食事や酒といったものは、あくまで趣味的な、娯楽としてのものに過ぎない。
人との混血であるラニにも、似たようなことが言える。人が口にする普通の食事も生きる糧になるが、精霊力を取り込める環境にあるならば、何も口にしなくても構わない。
ところで、つい先程ラニも再認識したように、人と妖精族では生活における時間感覚が全く違う。妖精族が少しのんびりと宴会を楽しんでいた時間が、人にとっては数年に相当したとか、ざらな話。これは妖精族の、特定の条件を満たさない限りは終わらぬ寿命と、環境の変化の少ない森の中での暮らしに起因する。人とは似て異なる、彼らの特徴の一つと言えるだろう。
ラニが人の世界に出てきたばかりの頃は、この感覚の違いに随分と苦しめられた。知り合った友人に久々に会いに行ってみれば、既に老衰でこの世を去っていたなどということもあった。
これらのことから、街に出てきた半妖精族という極めて珍しい存在であるラニならではの、決して看過できない、とある危険な可能性が浮き彫りになる。
可能性というか、実際になった。何度も起こった。つまりは、ほんの少しぼうっと考え事をしていたら、飢え死にしそうになったという経験だ。
流石に人の世の時間の流れにも大分慣れてきたラニであるが、未だに油断をするとお腹が空いて動けなくなることがある。けれど、かつて10年ばかりの間ともに旅をした少年と一緒にいた頃は、飢えることなく生活することが出来ていた。
一度、ラニが前触れもなく急に倒れ込むのを目の当たりにした少年は、その光景が半ばトラウマになってしまった。それ以来、彼は食事の時間になると、問答無用でパンをラニの口の中に突っ込んでくるようになったのだ。
最初のうちはこれに抵抗を見せていたラニではあったが、少年の必死の思いやりに次第に慣れていった。そのうち、少年が無言で口元に差し出すパンに、無表情のまま齧り付くという光景が当たり前のものになっていったのだ。なんとも、色気のない「あーん」である。
やがて青年となった元少年と別れる際、彼は絶対に守るようにと、一つの約束をラニに課してきた。いついかなる時であろうと、食料を手元に置いておくように、と。
その約束を、今でもラニはしっかりと守っている。腰のベルトに付けられたポーチには、小さな岩塩の塊と氷砂糖、堅く焼き締められたビスケットなど、長期的な保存の利く携帯食が詰め込まれている。これまでに三度ほどお世話になった。
「初めて会った時は、綺麗で知的で完璧なお姉さんだと思ったものだが。中身は何て残念なんだろうな、ラニは」
「……随分と酷いことを言う。誰にだって、些細な欠点の一つくらいあるものだろう」
「命に関わるような欠点を、些細な事とは言わないと思うが?」
ラニの眉間に皺が寄り、切れ長の目が辺境伯を鋭く見据えた。怒っているように見える。顔が非常に整っているだけに、何とも言えぬ迫力がある。馴染みの薄い者ならば尻込みしてしまいそうな表情だが、彼女をよく知っている者なら分かる。これは、反論できずに不貞腐れている顔だ。
この話をこれ以上続けるのは分が悪い。そう判断したラニが、この場にやってきた目的を切り出した。
「食事の話はいいとして。随分と忙しいというのに君がこの街にやってきたのは、ただ私に会いたかったというだけなのかね?」
「久々の休暇で温泉に入りに来たというのもあるが……ひとつ、気になることがあってな」
「気になること?」
「ああ。……その前に、お茶のおかわりなど、どうかね?」
「いただこうか」
控えていたメイドがすっと進み出て、新しいお茶を用意する。カップを手にしようとしたラニに、辺境伯がそっと砂糖壺を差し出した。先の一杯に使った物とは別の壺だ。
何故、2種類も砂糖が、と。疑問に思うラニだったが、差し出された壺の蓋を開けてみて、全てを悟った。
壺の中身は、純白の砂糖。先日、領都にて歓待した侯爵が持参してきた、極上の砂糖。それを、無理を言って引き取らせてもらったものだ。
辺境伯は砂糖を覆う、透明の袋に書かれた文字に目をやりながら、言葉を続ける。
「これは、この地には存在しないはずの物だ」
この地というのが、何処を指す言葉なのか。それはこの街のことではない。辺境伯領のことではない。王国全体でもなく、大陸全土ですらなかった。
ラニは、この砂糖そのものを見たことはなかった。それでも、伯が何を言いたいのか。それはすぐに察することが出来た。一人の少年の姿が、このところ親しくしている少女の姿が、目に浮かんだ。
「この品の出所を探していてな。手にした者を順に追っているうちに、領都から王都、そして最終的にぐるりと回ってこの温泉街へ。王国中を一周する羽目になったと、部下が嘆いていたよ」
その報告をしてきた部下の様子を思い出し、悪戯気な笑みを浮かべる辺境伯。しかし、表情とは裏腹に、その声には真剣な響きが籠もっていた。
「この温泉街に住んでいるという少年が、これを持っていたところまでは分かった。しかし、その先が分からない。ジパングから来たというその少年が、見つからない」
人づてにとうとうセージ村までやってきた辺境伯の使いの者に、セリムは言ったのだ。カタカタ震えながら、伝えたのだ。温泉街に住むクリス・ショータという名の少年からもらったのだと。
しかし、温泉街にそのような者は滞在していない。ジパングという島国からやって来た商人など、いやしない。そもそも、だ。
「そもそも、ジパングという名の国など、この世界には存在しない。あれは、かつて私の出身が何処かと尋ねてきた者に教えた、半ばでまかせのようなものだからな。どうやら、都市伝説的にそういう名の島国があると伝わってしまっているようだが」
ラニの瞳が、砂糖の袋をじっと見つめる。彼女には、これに見覚えなどない。けれど、誰が持ち込んだ物なのかは、すぐに分かった。
そして、ラニがそれを知っていると、伯が悟ったことも分かった。持ち込んだ者について、伯と故郷を同じくする者について、ラニが知っていると。そして、黙っていたと。それを、彼は知ってしまったと。
ラニの目に、かつて故郷を思って泣いていた少年が思い浮かんだ。帰りたいと、涙を流していた姿が思い浮かんだ。
「……すまなかった。君には伝えるべきではないと、そう判断してしまっていた」
伺うような、ラニの言葉。
「このことを知っても、君が悲しむだけだと。帰れないままその年になってしまった君が今更、このことを知っても。きっと、苦しむだけだと。そう思ってしまった」
俯いて、絞り出すように言葉を紡ぐラニ。
そんな彼女に対し、伯が言う。遠い所にあるものを見るような目をして、ゆっくりと、言う。
「確かに私は、帰りたかった」
「……すまない」
「違うよ、ラニ。帰りたい、じゃない。帰りたかった、だ」
「……過去形か?」
「ああ、過去形だ」
辺境伯の顔に浮かぶのは、微笑み。
諦観とも、達観とも似ていて、それでいてまた違う。そんな寂しそうな、笑み。
「あの時、私は10歳だった。それから10年、君と旅をして。20年、王国に尽くして。そして30年、この地を治めた。……もう、私は70歳になってしまったよ。かつての家族も、友人も、おそらくもういない。いたとしても、私のことなど覚えてはいまい」
そして彼は、笑う。にやりと笑う。
望郷がないとは言うまい。未練がないとも言うまい。けれど自分はこの生に、後悔何てしていない。
「暮井譲治は、もういない。私は、ジョージ・クレイ。クレイ辺境伯ジョージ1世、だ」
「……そうか」
ラニの瞳に映るのは、毅然と胸を張る誇り高き貴族の姿。
その横に10歳の少年と、20歳の青年の姿が浮かんで見えて。そして、伯に重なるように消えていった。
「……立派になったな、君は」
「ラニ、貴女にそう言ってもらえるのが、私は何よりも嬉しい」
母であり、姉であった人からの言葉に、伯は素直な喜びを示して。まるで少年のような、混じり気のない笑みを浮かべていた。
……けれど。
本当に、立派になるのが速すぎて。
君もまた私を追い越して、届かない所へと行ってしまうのだな。
けれど、そう口中で呟いたラニの小さな慟哭は、伯の耳に入ることなく消えていった。
「それで、故郷に帰りたいのでなければ、何故これの持ち主を探していたんだ?」
思わずしんみりとしてしまったが、そういえば話はまだ途中で止まったままだった。どうにも、自分は話すのがあまり得意でない。
見つからないようにそっと眦を指で拭ったラニは、気持ちを切り替えてそう尋ねる。
「かつて、貴女が私にしてくれたことを。どんな人物かはわからないが、もし助けを必要としているようなら。そうであれば、出来る限りのことをしてあげようと思ってね」
かつての自分は、ラニに拾われなければ間違いなくのたれ死んでいた。ならばその恩を、誰か必要としている人に返すのもまた道理。それだけの力が、今の自分にはあるのだから。
決意を込めてそう語る伯であったが、ラニが返した言葉はなんとも、理解の外にあるものだった。というか正直、理解したくなかった。
「いや、その必要はないだろう」
「既に、それなりの生活が出来ているのか?」
「それなりの生活というか。あの子、帰れるからな」
えっ?
「……帰れるというのは?」
「だから、こっちに遊びに来て、あっちの世界の自分の家に帰っていっているんだ」
……えっ?
「……自由に行き来、出来ると言うことか?」
「遺憾ながら」
えっ、ほんとに? 俺、あんなに苦労してきたのに?
いや、うらやましいとかじゃないよ? 良い人生だったって思ってるし、ほんとに。
でもさ、うらやましいんじゃないけどさ、なんていうかさ、そのさ。
「……ずるい」
「いや、気持ちは分かるが、とりあえず落ち着け」
握り拳をぷるぷる震わせ、下を向き、血を吐くような声でずるいと呟くこの地の主、辺境伯。それを、どうどうとなだめるラニ。
少し前までのしんみりとした雰囲気はどこへ行った。しばらく、おまちください。
やがてぷるぷると震えていた伯が、ふううううううっと大きな大きな溜め息一つ。
「……妖精か?」
「他に、何がある?」
自分の時は一方通行で、それでもとんでもないことだったというのに。力のある妖精というのは、そんなことまで出来るのか。
まったく、どこまでも勝手で、我が儘で、はた迷惑で、自由な存在だな、あいつらはっ!
……でも、まあ。
「その子と言うことは、まだ子供なのか?」
「ああ。私は数回会っただけだが、あのときの君と同じくらいだったな」
「……そうか」
まあ、良かった、か。その子が自分のような辛い思いをしていなくて、良かった。ああ、それは間違いない。
そしてジョージ・クレイ辺境伯は、どこか諦めたかのような、何処かほっとしたかのような。そんな自分でも整理しきれない溜め息を、今度は短く、ほっと一息ついていた。
「何だか、すっかり気が抜けてしまったな」
同郷の者の力になりたい。そんな使命感に突き動かされていたけれど、それは単なる空回りだった。安心したのは間違いないが、反動なのかどっと疲れが。
トントンと自分の肩を叩く辺境伯。年相応といおうか、随分と老け込んだその仕草にラニが思わず言う。
「さっき自分でも言っていたが。君も、もういい年だ。そろそろ引退したらどうなんだ?」
「まあ、いい加減に頃合いだろうかと、私も思うよ。まだまだ経験不足とはいえ、子供たちも資質は悪くないしな」
伯には子供が何人かいるが、一番上の子でもまだ30歳に届いていない。すっかり大領地へと変貌を遂げたこの辺境伯領を任せるのには、経験的な意味でいささか不安が残る。
親の年齢が70であることを考えると、子供は随分と若いのだが、これは伯の結婚が遅かったからだ。旅人から成り上がっていった彼には当時、味方もそれなりにはいたが、それ以上に敵が多かった。婚姻によって下手に何処かの家と関係を深めることは、大きな争いの引き金にも成りかねなかったのだ。
彼は、ある理由によって結婚を考えていなかったこともあって、それを良しとしてきたのだが。流石に辺境伯という爵位を叙されるに当たっては、何処とも繋がりのないことがかえって騒乱の種となる。そこで重い腰を上げ、政略結婚に踏み切ったという経緯がある。伯、40歳の時の話である。
ちなみに、お相手は砂糖侯爵の年の離れた妹だった。当時まだ10代半ば。親子ほどに年の離れた相手だったが、なんだかんだで互いが互いを大事に思っていたようである。爆ぜて、辺境伯。
「爵位を譲って、この街に隠居すると言うのも悪くない。……いや、貴女の近くで暮らせるというのなら、むしろ幸せなことだな」
「……君はまだ、初恋を引きずっているのかね。20歳の時に振ってやっただろう」
「男なんて、そんなもんだ。妻が亡くなってもう10年、彼女も許してくれるさ」
年が離れているのにも関わらず意外に仲の良い、貴族には珍しいおしどり夫婦の辺境伯夫妻だったのだけれど。夫人は10年ほど前に些細な事故が原因で亡くなってしまっている。
政敵による暗殺なども疑われたが、正真正銘に、単なる事故だった。この世界に連れてこられたこと以上に、やりきれない思いを伯は抱えて苦しむことになった。
けれど、それから10年。思いが風化した訳ではないし、今でも彼女のことを愛してもいるけれど。次の生を歩んでも良いのではないかと、そう思えるほどには伯の心も落ち着いてきた。問題は、普通なら次などない高齢だと言うことなのだが。
「まったく。もう先もそう長くないだろうに、君は」
困ったようで、それでいて何処か少しだけ嬉しそうなラニの表情。
実際、自分はこの元少年のことを好ましくは思っている。それは確かに自覚している。けれど、共に生きるとなるとまた別の話だ。彼と自分とでは、生きる時間が異なるのだから。
「……君がくたばるまでは、この街にいてやるさ」
だから、これがラニの精一杯。浮かんだ笑みを無理矢理消して。代わりに、しかめっ面を表情に乗せて。
そんなラニだったが、伯の次の言葉に何処か浮ついた気持ちが消え去った。しかめっ面度150%。素で浮かんだしかめっ面の上に、さらに意図的にしかめっ面を乗せたという状態だ。
「妖精族の里に行って、二人で永遠の余生を過ごすというのも悪くはないと思わないか?」
ラニの顔が、歪みすぎて少し面白い位になっている。パティが見たならきっと、吹き出している。
そして発せられる声は、心の底からの嫌そうなもの。モーリが聞いたならきっと、爆笑している。
翔太ならきっと……きっと彼なら、心配してくれるのではないだろうか。良心だし。
「……ジョウジ。君は、妖精族という者たちを分かっていない。あいつらは、本当に、どうしようもないほど、ろくでもない奴らなんだ。関わらないでいられるのなら、その方が良い」
「また、随分な言いようだな。それでも、人間にとって永遠の生というものは魅力的に見えるのだよ。それが好いた者と二人でならば、尚のことね」
ラニは下を向き、肺の中身を全て吐き出すかのような長い長い溜め息をつく。その顔が再び上を向き辺境伯の顔を見定めた時、伯の背筋にぴりりと怖気が走った。
それは、伯の知らない顔だった。
「身内の恥となるが。ひとつ、君の知らないことを教えてやろう。そうだな、君にはその資格がある」
「……どんなことかね?」
「妖精族のことだ。奴らにも、死は存在するのだよ」
妖精が肉の体を得た存在。深い森の中、終わらぬ生を謳歌していると伝えられる妖精族。
その生に終わりが来る時があるなどと、人の世においては知られていない。
「どんな享楽にも、やがて飽きる時が来る。何を楽しもうとしても、心が動かなくなる時がやってくる。……そうなったとき、妖精族は自ら、この世界から立ち去るのさ」
「自殺すると、いうことかね?」
「いや、そんな可愛げのあるものじゃない。あいつらはこの世界に飽きた時に、世界樹の下で眠りについて、夢の世界へと旅立つ。そしてそこで、これまでに旅立った全ての妖精族と共に、同じ夢の世界で遊んでいるんだ」
平坦な、ラニの声。感情がないのではない、激情を押し殺しているからこその、平坦な声。
怒りに近いが、違う。憎しみとも違う。罪悪感、それが近いものかもしれない。
10年、共に旅をした時も。この街で再会してからも。辺境伯は、こんなラニの声を聞いたことはなかった。
「それが、妖精族の死。私にはこれが、おぞましいものと思えて仕方がなかった。里を出たのは悪戯に付き合うのが面倒だったとか、好奇心からとか、いくつか理由があるが……」
そこで一旦、ラニは言葉を句切り。
自分の気持ちを確かめるかのようにゆっくりと、続けた。
「自分も彼らと同類になってしまうのかもしれない。その恐怖も、大きな理由だ」
「……どんな夢を見ているというのかね?」
問いを発した辺境伯の声は、微かに震えていた。自分の知らぬラニの姿に飲まれ、剛毅なはずの心が揺らいでいた。
ラニが答える。彼女にとって紛れもない禁忌であろう、答えを。
「……神と、妖精の、夢を」




