27話 パティ、大いに買い物を楽しむ。
「駅ってあの、おっきい鉄の蛇みたいなのに乗れるところよね?」
「電車だね。パティはまだ乗ったことなかったっけ」
「うん。出かけるときは、いつもお父さんの車だったじゃない」
「今度お出かけするときは電車にしてもらおうか。街の方は車だとかえって不便だって言ってたし」
「本当っ!? うわ、楽しみーっ! ……あ、でも私、車も大好きよ。びゅんって速いしっ!」
そんなとりとめのない会話をしながら、玄関から真っ先に外へ飛び出したパティ。ずんずんと進むその姿に、駅が何処にあるか知らないでしょと、苦笑いの翔太が続く。けれどパティもそれは分かっている。道も知らずに歩き出すような愚は犯さない。ただ、その斜め上を行くだけだ。
パティは躊躇いなくガレージへと歩を進めると、一台の自転車を引っ張り出す。そしてひらりとそれにまたがると、雄々しくも言ったのだ。
「さ、後ろに乗って、翔太。道案内は任せたわよ」
「……それ、僕の自転車」
得意満面の決め顔のパティに呟きかける、翔太の声が弱々しかった。
電車には乗ってみたいし、車も大好きなパティだけれど。目下の所、一番はどれかと尋ねられれば、それは自転車であると元気よく答える彼女がいる。車窓から流れゆく景色を眺めるのも悪くはないが、自分の力で前へ前へと疾走する自転車の楽しさはまた別格なのだ。
翔太にお願いして初めて乗せてもらったその直後は、流石におっかなびっくりだったけれど。そんな殊勝な態度だったのも、ほんの一時間ばかりのこと。桶になみなみと入った水を井戸から運ぶ日々で培った力とバランス感覚を駆使し、パティはあっという間に自転車を乗りこなせるに至った。補助輪から始めた翔太が思わず拗ねてしまうくらいには、それはもうあっさりと。
そしてこの日より、二人が自転車で移動する際には、荷台が翔太の定位置となったのである。
もう一台、パティ用の自転車があれば良かったのだが。残念ながら、母さんのママチャリを借りようにも二人にはまだ少し大きい。父さんのロードバイクに至っては論外だ。サドルが二人の頭くらいの位置にある。それに、こつこつと小遣いを貯めてようやく手に入れた宝物なので、借りていったら父さんが泣く。
なので、翔太の荷物扱いも仕方のないことなのだ。ハンドルを譲る気なんて、パティにはさらさらないし。
尚、自転車の二人乗りは道路交通法により禁止されております。決してやらないように。
「おまわりさんに見つかったら怒られるよー?」
「任せろっ! 見つからないように、気逸らしの魔法をかけてやる」
「ほら、モーリもこう言ってるし」
「聞こえないってばっ!」
狭い空間に押し込められるのではなく、風を受けて走れる自転車はモーリも大のお気に入り。なのでパティに協力的なのだが、その声が聞こえない翔太としては、これもまた面白くない。
モーリがこちらの世界にいるとき、基本的に自分にくっついているというのは、翔太にも分かってる。飲んでいたジュースがいつの間にか空になっていたり、知らない間に髪の毛が三つ編みにされていたり、対戦ゲームを始めると乱入してきたりするから。コントローラーが勝手に動いているのに、最初はびっくりしたものだ。
けれど、自分には彼の姿は見えないし、声だって聞こえない。パティばっかりずるいと思う。姿が見えないのはどうしようもないらしいけど、声くらいは聞こえるようにならないかな。あのエルフのお姉さんがそういうの詳しいらしいけど。
でも、ラニさんに相談するにしても、今はまだ言葉が通じない。パティの通訳だけじゃなく、ちゃんと自分でいろいろ聞いてみたいから、はやく向こうの言葉を覚えないと。そうだ、王国語が使えるようになったら、モーリと筆談で会話できたりしないかな? うわっ、これはいい考えなんじゃない? セリムさんには悪いけど、もっといっぱい教えてもらおう。
と、ここで物思いにふけっていた翔太、当初の目的を思い出す。そうだ、セリムさんにプレゼントだ。買い物に行かないとだ。
そして、はやくしなさいよと荷台をぽんぽんと叩くパティにじっとりとした視線を送り。色々と諦めて、大人しく荷台にまたがるのだった。
パティが「風になるっ!」とか爆走して。
モーリが「世界を縮めろっ!」とか煽って。
翔太が「ちょっとっ! 速いっ! 速すぎるって、パティっ!!」とか悲鳴を上げて。
そんなこんなで、一行は駅前へと到着した。ちなみに、タイムは新記録である。速さは足りたようだ。
セリムへの贈り物だが、結局の所、食料品から選ぶことになった。パティの熱い希望が通った形だ。まあ、他に候補が思いつかなかったのが一番の理由であるのだが。それでそれを何処で買おうかと考えると、候補は何店舗か存在する。安さが売りだけど狭くて品揃えも今ひとつの所とか、ちょっと高めだけど珍しい物を色々と扱っているところとか。その中で選ばれたのは、全国展開していて誰もが知っている某店舗。品揃えはまずまず、安さはそこそこ。決め手には欠けるけれど、ここにくれば大抵の用事は足りる。そんな感じのお店だ。
だがしかし、そういう印象でこの店をとらえているのはあくまでも、こっちの世界の人間の話。物に溢れる生活に慣れきった、現代人の発想。
「何ここっ!」
では、お店なんて一件もないような場所に住んでいる者がここ見ると、どう感じるのか。
「何ここっ! 何ここっ!!」
買い物なんて生まれてこの方したこともないような少女が見たなら、どうなるか。
「こんなにいっぱいっ! 今日はお祭りなのっ!? そうなの、翔太っ!!」
このように、お目々をきらっきらさせながら、店の中を駆け回るパティが出来上がることになる。
「パティ、走っちゃ駄目だって。危ないし、お店の人が困ってるよ」
「でもっ! 思ってたよりずっと大きいお店でっ! 思ってたよりずっといろんな物を売っててっ! 私っ、びっくりしちゃってっ! ああもうっ! 行くわよ、翔太っ!!」
絶賛、舞い上がり中のパティである。
まず、店そのものの大きさがパティの予想外だった。翔太の家が丸ごといくつもいくつも入るような、巨大な建物。あれ全部、一つのお店だよと言われたパティの目が見開かれ、まん丸になった。
その建物の大きなガラス張りの、ひとりでに開け閉めしてくれる不思議な扉をくぐって店の中に入る。遊園地とかにもこの扉はあったけど、相変わらず仕組みがさっぱり分からない。魔法じゃないって翔太は言うけど、それ以外の方法でどうやって動いているんだろう。
その先は、これまたひとりでに動いている階段だ。しばし握った両拳と顔を上下に振ってタイミングを計って、えいっと飛び乗れば地下一階食料品売り場へとご案内。そして、そこは夢の国だった。まさにスーパーなマーケットだった。
まず、野菜売り場が目に飛び込んできた。
パティの知っている野菜もあれば、知らない野菜も並んでいる。それも、沢山。山ほど。一体これ、何人分の野菜なの? 私の村の人、全員で食べたとしても、痛むまでに絶対に食べきれない。つまり、それよりもっともっと沢山の人が買いに来るってことよね。この町、何人くらいの人が住んでるんだろう。
それと、種類や量も驚くほどだけど、それ以上に不思議なことがある。今の季節にはとれないような野菜も、普通に並んでいたりするのだ。きっと、季節に関係なく野菜が作れる、何か特別な育て方とかあるのよね。魔法以外の。
野菜売り場を抜けた先には、パティにはあまり馴染みのない、けれども翔太の家でご馳走してもらったことがあるので美味しいとは知っている、そんな品々が並んでいた。鮮魚売り場だ。
銀色の、黒いの、赤いの。丸いの、長いの、とげとげなの。いろんな色や形をした魚たちが並んでいる。翔太が言うには、これらは全部、海の魚らしい。道理で、近くの川では見たことがないと思った。この辺って、海が近いのね。知らなかった。ふんふんと感心するパティだが、実際には海はそれなりに遠い。日本人の、新鮮な魚を食卓へと届けることに傾ける過剰な情熱など、それこそパティに知る由はない。
とどまることの知らないきらきらお目々のままに魚を眺めていたパティの動きが、ふと止まる。視線の先は、既に包丁が入ってパック詰めされた切り身のコーナーだ。訝しげに手を伸ばし、人差し指と親指を使って大まかに切り身の長さを計るパティ。そしてその手を、先程の魚たちと比較したとき、パティの顔に驚愕の表情が浮かんだ。
「翔太っ! この魚っ!」
つばを飲み込み、この世の神秘を垣間見た驚愕に震えるパティ。だって、この切ってある魚、ここが背中でここがお腹なんでしょ? だとすると、さっきの丸ごとの魚の長さと幅から想像するなら……ゴクリ。
「これ、元は私と同じくらい大きいんじゃない?」
「えっと……ブリだから、パティよりは少し小さいくらいじゃないかな」
パティの身長は、130㎝にちょっと届かないくらい。向こうの世界の同じ年齢の女の子の中では、平均くらいの背の高さだ。ブリは大型の物だと1mを超えてくるので、翔太の言うことはだいたい合っている。ちなみに、翔太はパティよりも拳一つ分くらい背が低い。きっと、時間が解決してくれる。彼はそう信じている。
「……海の魚って、大きいのねえ」
「もっと大きい魚もいるよ。テレビでマグロ釣ってるのみたことあるけど、3mくらいだったかな」
パティの目が点になる。3mの魚なんて想像も出来ない。パティ二人と半分くらい。2.5パティだ。
「食べれる魚じゃないけど、一番大きい魚はジンベイザメって言って、最大18mもあるんだって」
15パティ……だとっ!?
雑学を披露できて得意気な翔太と対照的に、パティの顔には恐怖すら浮かんでいる。18mって、それもう、ドラゴンとかそういう生き物なんじゃないの?
翔太は妖精や魔法が存在する私たちの世界が不思議だって言うけれど、こっちの世界だって十分に不思議でいっぱいじゃない。ゾウとか、キリンとか、ジンベイザメとか。あと、自動ドアとか。向こうで話したって、きっと信じてもらえないわよ。
この世界の神秘に思いを馳せるパティであるが、それはそれとして、思うことがある。
ジンベイザメは駄目みたいだけど、3mのマグロは食べられるのよね。……どんな味がするのかしら?
十分に数々の魚を堪能した後も、パティははしゃぎまくった。
お待ちかねのお肉売り場では、まるまる一頭では売られていないのに少しがっかりしたけれど。それでも美味しそうな牛や豚に鶏、厚切り薄切りミンチにブロック、大量の魅惑のお肉たちを前にして、涎が垂れそうになるのを堪えるのに随分と苦労したものだ。
他にもずらりと並んだお菓子の群れや、思わず手が出そうになるパンコーナー。更には目の毒としか思えないお総菜コーナーなど。どこもかしこもパティの食欲中枢をこれでもかと刺激してくる。
ああ、きっと天国ってこういう所なのね。あっ、でも、お金が無いので見ているだけで買えないから、もしかすると地獄なのかもしれない。こっちの世界のお金を稼ぐ方法って、どうにか無いものかしら?
……あ。お金で思い出した。今日、ここに来た理由を、すっかり忘れてた。
「ねえ、翔太。200円で買えるもので、何か良いのってあった?」
「……そうだったっ! セリムさんへのプレゼント買いに来たんだったっ!」
どうやら、翔太もすっかり忘れていたようだ。
だって、仕方ないじゃ無い。あんまりにも、パティが楽しそうにはしゃいでいたのだから。そんなパティの様子を眺めたり、お話したりするのが、翔太としても楽しすぎてしまったのだから。何だか、いつも通りの一緒に遊んでいるときの空気。いつも通りの、自分の横で笑っているパティ。そんなここのところの、当たり前の、幸せ。
でも、ここは気を引き締めて。遊んでいるだけじゃ無くて、きちんと今日の目的を果たさないと。そのためには。
「じゃあ、こうしよう、パティ」
「翔太?」
「……プレゼントを探して、お店をもう一周っ!」
翔太の言葉に、にかっと笑って、パティが駆け出す。
だから走っちゃ駄目だってばと、そんな彼女を追いかける翔太だった。
紆余曲折はあったものの、どうにかこうにか翔太はプレゼントの品を選ぶことが出来た。
食品関係で、200円で買えて、セリムやパティたちが喜ぶ物。中々に難しい注文に思えたのだが、とある品を見つけたパティの、これにしようという鶴の一声で決められることとなった。
それは、パティの常識の中においては、とてもとても高価な物。開拓村で使うなんて普通は無理で、それでいてあるならとても幸せになれるはずの物。それがこんなに安い値段で売られていることに、パティは目を見開いて驚いた。
砂糖である。
1㎏の、ビニールでパックされた、翔太にとっては見慣れた品。けれど向こうの世界では、砂糖というものは金貨で取引されるのが当たり前の物らしい。まして、こんなに真っ白で上質な砂糖など、例え貴族であろうとも容易に手に入る物では無い。
それが、子供のお小遣いで簡単に買えてしまうなんて。やっぱり、こっちの世界だって十分に不思議で満ちているじゃ無い。つくづく、パティはそう思ったものだ。
そしてそんな品をポンと手渡されたセリムといえば、予想通りにカタカタ震えることになった。携帯のバイブレーション機能のように。
子供に読み書きをちょっと教えただけで、こんなにも高価な物を受け取る訳にはいかない。そう言って固辞しようとしたセリムであるが、僕のお小遣いで買った物なので気にしないでくださいと言われ、小遣いっていくらなんだよと、その財力に更に震えることとなった。カタカタ、カタカタ。
そんな押し問答もあったものの、かたくなに断り続けるのもそれはそれで失礼に当たる。最終的に、砂糖1㎏はセリムの手に受け取られることとなった。怯えながらだったけれども。
気軽に使えるような品では決して無いが、死蔵してしまうのも正直に言えばもったいない。腐るような物では無いので、大切に大切に使っていこう。病気になったときの栄養補給や、特別な日の料理やお茶などに、大事に大事に使っていこう。
そうして一財産を手にしたセリムだが、さらなる衝撃が彼を襲うことになる。翌月、彼の元へと届けられたのだ。新たなる砂糖1㎏が。
正直、勘弁してください。頭を抱えるセリムであったが、使い切れないようなら誰かに譲っても良いですよと言われ、悩みに悩んだ末に受け取ることにした。そしてそれを、暴利をむさぼることも無く村に様々な品を届けてくれる馴染みの善良な行商人に、普段の礼だからと格安で譲ったのだった。
ちなみに、砂糖はもう勘弁してと言ったところ、翌月には胡椒の小瓶が届けられることとなり、セリムは小一時間ばかり気を失うこととなる。
その更に翌月は、冬で野菜があまり食べられないという話を聞いた翔太の発案により、増えるワカメが贈られた。珍しい物ではあったが、こちらの世界では海藻など海辺に住む人たちが自分たちで食べる分だけを採るくらいであり、特に流通はしていない。値段のつけようが無いものなので、割合と気楽に口にすることも出来、パティ一家の冬の食卓を彩ることとなった。最初は食べたことの無い食感に戸惑ったが、スープに入れたりすると中々に美味しい。特に母が気に入って、それからしばらくの間は翔太からの贈り物の定番となった。
さて。セリムから極上の砂糖を譲ってもらった行商人であるが、彼も金銭感覚は庶民派であった。自分のために気軽に砂糖を使う気にはなれない。かといって、格安で譲ってもらった物を高値で売りさばくのも気が引ける。結局、砂糖は温泉街で行商人に品を卸している馴染みの商人に譲られることとなる。
更にその商人から取引先の大商人への心付けとして利用され、その大商人からはとある貴族に譲られて。人から人へと旅を続けた砂糖1kgは、ついには王都にてこの国でも有数の権力を持つ侯爵の手にするところとなった。
ある日、この侯爵に王より命が下る。帝国にてちょっとした催し物が行われることとなったため、王の名代として出向いて欲しいという物だ。
かつての両国が争っていた時代であるなら、これは命がけの任務となったであろう。けれど時代は変わった。侯爵はちょっとした観光気分でこれを引き受け、王国を旅立つことになる。手土産の一つとして、極上の砂糖1㎏を携えて。
王国から帝国へと向かうと、道中で辺境領を通ることになる。その際の宿泊先として、辺境伯が賓客として侯爵を迎え入れることとなった。貴族の中でも有数の家柄を誇る侯爵に見合った宿などそうそう無いし、辺境伯としても知らぬ仲では無かったために旧友と顔を合わすようなもの。
再会した二人は互いの息災を喜び合い、茶の席、酒の席を催すこととなる。そしてその茶の席において、事件は起こった。
「そういえば、珍しい砂糖を手に入れたんだ」
本来であれば高価な磁器の砂糖壺などに移し替えられるものであろうが、この砂糖の外袋はビニール製。水を通さないビニールは、あたりまえだがこの世界では非常に珍しく、代えの利く品がない程に高性能な物である。そのため、大きめの壺に外袋ごと入れられていたそれ。
そこに、辺境伯の目が釘付けになっていた。……いや、そこに書かれていた文字こそに、視線を奪われていた。
「どうかしたかね?」
「……いや、変わった文字だなと、思ってな」
「ああ、その文字か。何人かに見せたのだが、誰も読めん。そもそも、この品の出所自体が判然としない。毒など無いのは確認済みだが、ここまでの品で無ければ口にしようとは思わなかっただろうな」
……読めんか。そうであろうな、と。
そう口中で呟くこの地の主の言葉には。クレイ辺境伯ジョージ1世の声には、かすかな震えが混じっていた。




