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22話 パティ、魔獣と遭遇する。

 その獣は、獲物を引き裂く爪を持たない。

 肉を噛みちぎる牙を持たない。

 それはただ巨大なだけであり、ただ力が強いだけであり。

 そして、それが故に――強い。


 群がる肉食獣の群れを薙ぎ払い、踏みつぶし、たやすく蹴散らすその風格はまさに、王者。

 力こそが最大の、そして最強の武器であると。そう、その存在を持って証明する姿こそは、暴君。


 そして、その獣は膂力の他に、もう一つの武器を持つ。それは、顔の前から生えた5本目の足。

 その異形の足は、時に手となり武器を振るう。時にそれそのものが武器となり、鞭のごとく敵を打ち据える。


 その魔獣の名は――


「――ゾウ」

「違うのに、だいたい合ってるのが何か悔しいよ」


 深い堀の向こう側で、巨大な生物がゆっくりと歩いている。

 その姿を目をきらきらと輝かせ、柵から身を乗り出すようにしてパティが眺めており。そして、彼女の口から零れる独白めいた台詞を耳にして、翔太が少し呆れた視線を向けていた。


「私もっとね、ゾウって怖い魔獣だと思ってた」


 パティが象という生き物の存在を知ったのは、翔太からもらった日本語勉強用の絵本からだ。

 その本に描かれていた象は、子供向けに可愛らしくデフォルメされた絵ではなく、特徴を良く表したとても写実的なもの。そしてその姿は、パティの持つ常識の中には存在しない、存在してはいけない類いのものだった。


 人よりも、熊よりも遙かに巨大な体。てっきり足だとばかり思っていた、異形としか思えない長すぎる鼻。どこからどうみても、まっとうな生き物とは思えない。パティの世界においては、魔力に汚染されたとされる見た目がおぞましく変化した生き物のことを、通常の獣とは区別して魔獣と呼ぶ。象とは、パティの知らぬ魔獣の一体だとしか思えなかった。

 だと、いうのに。


「でもなんか、のっそりとして可愛いのね」


 ゆったりとした動作で、長い鼻を器用に使って餌を口に運ぶ姿に、目を輝かせる。

 鼻に吸い込んだ水を体にかけて水浴びする様子に、そういう風にも使えるんだと口をあんぐりと開ける。

 大きな体に見合った、これまた大きな糞をしている光景に、ケラケラと笑い声を上げる。


「でも、象って怒るとすごく怖いんだって」

「そうなんだっ! やっぱり、大きいから強いのねっ!!」


 気に入った生き物が強いというのが嬉しくて、パティが歓声を上げた。

 アジア象ならまだしも、アフリカ象とはとても繊細で、それでいて獰猛な生き物だ。長くつきあった飼育員ですら、一瞬の気の緩みが死につながることすらあるという。

 しかし、目の前の光景からはそのような様子は見て取れない。パティの目に写るのは、のんびりゆったりのほほんとした、のどかとしか見えない風景だ。


「……ねえ、翔太。私、一日中ゾウを見ていても飽きないかも」

「僕も象は好きだけど。でもパティ、他にもいっぱい面白い生き物がいるんだよ」

「う-。もっと見ていたいけど、他のも見たいし-」

「この先に、あの本に載ってたキリンもいるって」

「キリンって、あの首が長いやつっ!? 行くわよ、翔太っ!!」


 そしてパティは翔太の手を取ると、足取りも軽く走り出す。そっちじゃないよと笑う翔太の声が、辺りに響いた。

 2人が今いるのは、翔太の住む街から少し離れた場所にある動物園。

 季節は夏の真っ盛り。小学生が一年間の中で一番の楽しみとしている、長い長い夏休みの。その、一幕である。






 栗栖家の今年の夏休みは、家を買ったばかりで予算的に苦しいことと、父さんが長期の休みを取れなかったこととが重なって、泊まりがけの旅行はなしである。代わりに毎週土曜日に日帰りで、何処かへ遊びに連れて行ってくれることになった。

 土日はゆっくりと体を休めたいだろうに。お疲れ様です、お父さん。


 最初の週末は遊園地へと出かけた。パティには、この日は会いに行けないんだごめんねと、事前に話してある。

 会社の福利厚生で手に入れたフリーパスを持ち、家族3人でくたくたになるまで乗り物に乗って、帰りにはレストランでご飯を食べて。とても楽しい一日だった。夏休みの宿題の、思い出絵日記の一つはこれで決定だ。


 翌日の日曜。トンネルをくぐってパティの元へと向かった翔太は、遊園地での出来事を色々と語って聞かせてあげた。

 猛スピードで疾走するジェットコースターに、高い高い観覧車。自分が何人にも写って見える迷路のミラーハウスに、怖い怖いお化け屋敷。大げさな身振り手振りを加えてそれらの話を一つするごとに、パティの口からふわあっという声が漏れ、目からきらきらと輝きが飛び散る。時には聞いているだけなのに怖くなって、翔太の手にしがみついたりする。


 パティの世界では、旅人がもたらす遠い街や異国の話というものは、貴重な娯楽の一つだ。ましてや、翔太が話しているのは日本の、異世界の話。それも、翔太にとっても非日常の出来事。話す側にも力が入るというもの。そりゃあ、パティが興味津々になるのも当然。

 一生懸命に想像してみてもしきれない、機械仕掛けの乗り物たち。それは移動するためではなく、ただ楽しむためだけにぐるぐる回るのだ。それは何という贅沢な遊びなんだろう。何て面白そうなんだろう。異世界って、日本ってすごいっ!

 自分の話に聞き入って、楽しんでくれるパティの姿。それを見て、翔太も満足したものだ。


 けれど、そこで翔太は思ったのだ。

 話を聞いているだけなのに、パティはそれでもとても楽しそうだ。でも、実際に体験したなら、もっともっと楽しいんじゃないかなって。


 だから、お願いしてみた。

 父さんと母さんに、次のお出かけはパティも一緒に行っちゃ駄目かなって。


「もちろん、いいぞ」


 返事は、とてもあっさりとしたもの。パティの同行を快く了承してくれた。

 ただし、向こうの親御さんの了承は得ること。その条件を聞いた翔太は、パティのところに行ってくると言って、家を飛び出していった。その姿を見送る両親の目が温かい。


 出かけて遊ぶにはもちろん、お金がかかる。なら、パティの分の費用はどうするのか。翔太はそこまで深く考えていなかったが、両親は自分たちが支払うつもりでいた。

 翔太の親友であり、両親も気に入ってる可愛らしい女の子。そして、普段は宗教的な理由からとても質素な生活を送っている子供。それを一方的に可哀想だと決めつけることは危険なことだ。それぞれの常識や価値観というものがあるのだから。

 けれど、我が子と遊ぶときくらい。その時くらいは、子供らしい楽しみを与えてあげてもいいじゃないか。それくらいの負担は受け入れてあげよう。それが父と母の考えだった。


 尚、このことからも分かる通り、翔太は両親にパティの住む場所が異世界だという話はしていない。信じてくれるか分からないし、そもそもどういう風に説明したらいいかも分からなかったので。

 それに、もし話したとして。向こうに行っちゃいけませんなんて、そう言われてしまったら翔太は困る。パティに会えなくなるのは嫌だ。なのでしばらくは黙っていよう。いずれ話さなくてはいけないときも来るだろうけど、それまではこのままでいいかなと。

 そして翔太と同様に、パティも家族に異世界について、妖精について話していない。2人で相談して、そうしようと決めたのだ。


 そして、次の土曜日。待ちに待った、パティも一緒のお出かけである。






 いつもの翔太が起きる時間は、朝の7時。休みの日はもう少し遅くなることも、多々あるけれど。

 けれどこの日は自主的に6時過ぎには布団から抜け出し、用意してくれていた朝ご飯を詰め込んで、食べ終えるやいなや家を飛び出そうとして、いくら何でも早すぎでしょと母さんに怒られていた。


「えー、早く出かけようよー」

「まだ動物園は開いてないわよ」


 今日の目的地は動物園。

 翔太としては、パティに話して聞かせた遊園地に連れて行ってあげたかったのだけれど。まあ、2週続けてというのも栗栖一家にとっては面白みが少ないので、パティには我慢して欲しいところ。


 でも、予定を聞いたパティは、それでもとても楽しみにしていた。遊園地と同様、パティの世界に動物園などというものは存在しないのだ。それに近いものといえばせいぜい、大きな街でのお祭りの時に、見世物小屋がやってくるくらい。むろん、セージ村には来たりしないので、パティはそれすらも未体験。

 見たことのない変わった動物がいっぱいいるよと。そう聞かされたパティはとても楽しみで楽しみで、実は既に森の前で翔太を待っていたりする。もしかして、魔獣のたぐいもいたりするのかしらと、わくわくしながらスタンバっていたりする。


「何より、こんなに早く迎えに行ったらパティちゃんのおうちに迷惑でしょ」


 苦笑いしながら母が諭す。

 確かに、日本においてはそうだ。だがパティの家は日が昇る前から既に動き出しているので、そんなことはないのだけれど。母はそれを知らないので、その判断も仕方ない。


「じゃあ、何時に出かけるの?」

「8時半に家を出るから、7時半になったら迎えに行きなさい」


 パティ、あと1時間の待ちぼうけが決定。

 翔太はぶーっと口を尖らせ、早く時間が過ぎろと時計とにらめっこ。ずっと見てたら、余計に時間がたつのが遅く感じるわよと。母が注意しながらも、微笑まし気に息子の様子を見守っている。


「お、翔太。流石に今日は早起きだな」


 普段よりはゆっくりと睡眠をとれた父さんが起きてきて、寝間着姿のままリビングに入ってきた。妻とおはようの軽いキスを交わし、翔太にも声をかける。

 けれど翔太は父におはようと言葉を返すも、視線は時計に固定されたまま。


「……後、55分……」


 おかしい。さっきから5分しか進んでない。そう眉間にしわを寄せる翔太の頭をポンと叩いて、父もまた優しい目を息子へと向けた。

 待っているときの時間って、長いんだよなあ。これが、かの相対性理論。


 それにしても。父より、友だちか。まあ、そんなもんだよなあ。そう呟いた父さんは、母さんが入れてくれたコーヒーを口に運んで、少し苦そうな表情を浮かべていた。

 けどまあ、愛する家族とその友だちのため、今日は頑張りますよっと。


 これから父さんは、割と本気で仕事がある平日よりも疲れる休日を過ごさねばならぬのだ。

 頑張れ、家族サービスのお父さん。



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