15話 素敵な出会いにありがとうを言います。
「妖精?」
唐突な女性の言葉に、きょとんとした顔のパティ。妖精って、小さくて悪戯好きで不思議な生き物だっていう?
あれ? 生き物とはまた違うのかな? どうなんだろう。
お話の中にはよく出てくるけど、実際に見たことなんて無いし、見たことがあるっていう人も知らない。けどもしかして、あの声は妖精の声だったのかな。
妖精族っていうくらいなんだから、妖精の仲間なのかな。妖精が見えるのかな。人間には見えないってだけなのかな。
妖精という言葉から、色々と考え始める。迷子になっている真っ最中だというのに、パティの知りたい熱がぐんぐんと急上昇。
何より、翔太が好かれているっていうのはどういう意味なのか、それが気になる。
聞いてみてもいいかな、いいのかな。駄目かな、いきなり尋ねたら失礼かな。
段々と、その瞳が輝き始めるパティ。
対して女性は冷静に、表情の変わらないまま言葉を続ける。
「ああ、すまない。いきなりこんなことを言われても訳がわからないな。忘れてくれ」
女性はゆっくりと片膝を地面について、2人と視線を合わせた。
安心感を与えたいのだろう、それはわかる。けれども優しそうな声とは裏腹に、変わらない無表情さが少し怖い。
銀色の長いサラサラとした髪も。積もりたての雪のように真っ白な肌も。少女のような外見に見合わぬ、深い知性を感じさせる紫色の瞳も。どれもが怖いくらいに綺麗でいて、そして何だかどこか作り物めいても見える。
「さて。私はこの温泉街で警備のようなことをしている者だ。君たちはここの客かね。ならば宿まで案内するが」
「温泉街? ここって、温泉街なんですか?」
パティが訝しげな顔をする。だって自分たちは、温泉街から森を抜けてここにやってきたのだ。ぐるっと戻ってきたのでもなければ、別のところに出ているはず。
それに何より、見える景色が明らかに違う。
見上げるような高い建物がない。あの高さなら、ここからだって見えるはずなのに。
道を作っているのが見えるけど、敷いているのは石畳。あの、繋ぎ目の無い一枚岩の道路はどこ?
いっぱいに積まれた荷車を牽いているのは、馬や牛だ。どうして車で運ばないの?
どう考えても、さっきまで過ごしていた街とは違いすぎる。ここが温泉街だっていうのなら、日本の技術はどこへ行ったの?
「ああ。まだまだ建築中だが、中々に立派だろう。……ということは、客ではないのか。何処の子だ?」
「あの、私はセージ村のパティです。こっちは翔太」
……立派。
あっちで作られている街は、確かに立派ではあるけれど。それはあくまで王国の、パティにも馴染み深い範囲においてはの話。
女性の言葉にとりあえずは返事をするも、頭の中はごちゃごちゃのパティ。
「セージ村……森の向こうの開拓村のことか?」
「多分、そうです。……あの、ここは本当に温泉街なんですか? 王国の辺境領の?」
ここが温泉街だっていうなら。この人の言っていることが正しいなら。だったら、私たちはどこに行っていたっていうの?
「君の村から子供の足で来れる範囲に、他に大きな街など無いだろう? 間違いなく、ここが辺境領温泉街だ」
その理屈はあってる。確かに、他の大きな街まで行こうとするなら、大人の足でも数日はかかってしまうのだ。
けれど。だからこそ、変なのだ。おかしいのだ。
「ここに来るのは初めてか。近代的な町並みに驚いているのだろう。私も随分と長いこと旅をしているが、このような街は他に見たことも聞いたことも……」
ふと。唐突に、女性の言葉が止まった。パティと合わせていた視線を、後ろに立っていた翔太へと再び向けて。そのまましばし、何かを深く考え込むように黙り込む。
見つめられている翔太といえば、会話に入れずに少しばかり拗ねていた。
「ねえ、パティ」
「ごめん翔太。考えてるから、ちょっと待って」
……うん。やっぱり、パティから英語を教えてもらおう。除け者はつまらないや。
やがて女性は一つ頷くと、ゆっくりと立ち上がる。そして、2人へと向かって手を伸ばした。
「パティとショータといったか。どれ、村まで案内してやろう。少し時間がかかるが、日が落ちるまでには辿り着けるだろう」
「……いいの? お仕事とかは?」
「構わんさ。迷子の子供を放っておいたりしたら、かえって雇い主から文句を言われることになる」
そこで、女性の表情が初めて動いた。どこか懐かしむような、淋しげな微笑みを浮かべる。
それは僅かな動きではあったけれど、それだけで人形のようだった顔に急に命が吹き込まれて。見惚れる2人の子供の耳には、自分の胸からどくんと一つ、強く鼓動を打つ音が聞こえてきた。
「それに、知りたいこともあるだろう。道中、少しばかり話をしてやろう」
「お、おねがいしますっ!」
勢い良く頭を下げるパティ。
この人の言うことが本当に正しいのか、この人についていっても大丈夫なのか、不安はあるけれど。でも、信じてみよう。さっきの微笑みからはどこか、安心させてくれるような暖かさが感じられたから。
「さて。とはいえだ、何からどう話したものか」
太陽が西へと傾き始め、うっすらと夕暮れが色づき始めた空の下、3人はてくてくと歩を進めていた。
前に立つのは女性とパティ。後ろに続く翔太の顔は、ふくれっ面のまま。さっきからパティが相手をしてくれない。この人が案内してくれるからついて来てと言ったきり、放ったらかされている。
けれど、パティは忙しいのだ。翔太の街のことを始めとして、知りたいことはいっぱいある。
この人が何か知っているかのような雰囲気だけど、全て話しても大丈夫なのかがわからない。何を聞くべきか、何を話すべきか、そして何を黙っているべきか。必死に頭を巡らすパティ。自然と、口数も少なくなるし、可哀想だが翔太の相手をしている余裕なんて無いのだ。
「あの、翔太が妖精に好かれているっていうのは?」
とりあえずは、一番気になっていたことを聞いてみよう。街のこともトンネルのことも知りたいけど、翔太の身に関することが最優先。
「文字通りの意味だ。まれにいるんだ、妖精の姿を見ることが出来ないにも関わらず、妙に奴らに好かれる人間が」
そう言って、視線をふくれっ面の翔太へと。
「この少年は特に好かれてしまっているようだな。今も、肩の上に乗っているぞ」
「好かれると、何かいいことがあるとか?」
考え込むように、眉根を寄せる女性。
「特に無いな」
「無いんだっ!」
「あいつら、面倒なんだ」
「何か身も蓋もないっ!!」
心配そうな目で、翔太を見るパティ。さっきからチラチラと視線を向けられるだけで話には入れない、翔太の機嫌がどんどんと悪くなっていく。
「考えても見ろ。妖精は悪戯を好むというのは聞いたことがあるだろう?」
「うん」
「つまりは、常にその標的にされるということだ。命の危険があるような悪戯はしてこないとはいえ、はっきり言ってめんどくさい」
心の底から嫌そうに、女性が言う。
「えっと、妖精から逃げるにはどうすれば?」
「大した力を持たない妖精なら、いる場所から離れればそれでいい。ただし力を持った妖精は別だ。あいつら、どこにでも現れるからな」
あははと、乾いた笑いしか出てこないパティ。
「妖精といえば可愛らしく聞こえるが、力を持った奴らの魔力は絶大だ。壁を越え、空間を越え、時には世界まで越えて、その無駄に高い魔力を無駄に使って無駄に悪戯を仕掛けてくる」
壁からにゅうっと出てくる妖精。行った先で待ち構えている妖精。想像してみた。ちょっと怖くなってきた。
……でも、世界まで越えてって……それって……。
「それでも、自然の少ないところは居心地が悪いらしい。王都などに行けば、出て来る頻度は少なくなるな。だが、完全に逃れるには、妖精が飽きるのを待つしか無い。もしくは、妖精の好みから外れるかだ」
「妖精の好みって?」
「基本的には、意思の疎通が出来る相手を好む。この少年のように例外はあるがな。そして、反応が面白いからだろうが、大人よりは子供のほうが好まれる」
ふむ、と。考えを巡らすパティ。
なら逆に、妖精から嫌われるためには。
「大人になるか、妖精から見てつまらない性格をしてたら寄って来なくなる?」
「理解が早いな、そういうことだ。私もそうだが、君もあまり奴らからは好かれなさそうだ。喜びたまえ」
なるほど。……ってことは、翔太が嫌われるのは難しんじゃない?
そう、途方に暮れるパティ。だが、勉強に目覚めて理性的な考え方ができるようになってきたとはいえ、実際のところはパティも似たようなものだ。気をつけたまえ。
「でも、妖精に好かれないっていうのに、まるで付きまとわれたことがあるみたい。やっぱり、妖精族の人は人間とは違うの?」
「確かに、妖精族は妖精から好かれやすいのは間違いない。もともと、この世界に受肉した妖精が妖精族の起源だ。半分は同じものなだけあって、気が合うのだろう。妖精族の里には、妖精もたくさん住んでいるぞ」
……えっと。
聞く限り、妖精とお姉さんの性格って合わなさそうなんだけど。
「私は、半分は人間だからな。妖精族と人間の混血というやつだ。妖精の血も四分の一は流れていることになるが、幸運なことに性格は人間に引かれたようだな」
「……なんだか、ごめんなさい」
妖精族は、深い森の中で静かに暮す種族だという。それなのに彼女が人間の街にいるのはやっぱり、混血であることに理由があるのだろう。不用意に聞いちゃいけないことだったのかもしれない。
と、パティは反省したのだが。
「気にするな。というか、勘違いするな。妖精族は、人間の間で言われているような種族ではない」
「……っていうと?」
「肉体を持った妖精が、妖精族だと言っただろう」
つまりは?
「つまりは、奴らもめんどくさい。だから里から逃げてきた」
「夢が壊れたっ!!」
人の入り込まない深い森の中で、自然と一体になって暮らす。そんな神秘的な種族。滅多に人前に姿を表さない妖精族は、人の間ではそう伝えられている。
なのに、違ったのっ!?
「奴らが森の中に住んでいるのは、自然の精霊力がないと生きていけないから仕方なく、だ。無限の寿命を持つというのに娯楽が少ないので、数少ない仲間同士で延々と悪戯を仕掛けあっている、性質の悪い種族だ」
「……そうだったんだ……知りたくなかったかも」
世の中には、知らなくてもいい真実なんていくらでもある。翔太の名前順の勘違いを知ったときにも、似たようなことを考えたっけ。
パティが遠い目して上を見る。お空、青い。
「あ、でも。妖精族の住む森に立ち入った人間は二度と帰ってこない。捕まって殺されるっていう話は?」
「ああ、それは退屈しのぎの大歓迎の宴が終わらないから戻ってこないだけだな」
「どんだけ長く飲んでるのよっ!」
「飽きるまで、だ。私の父の歓迎会も、そろそろ1000次会くらいになるんじゃないか?」
「3桁くらいおかしいんだけどっ!!」
ゼイゼイと息をつく。突っ込みが追いつかない。
「お姉さんが生まれて大きくなって、人間の街に来て、それでもまだ歓迎会が続いてるの?」
「まあ妖精も妖精族も、奴らは時間という概念が希薄だからな。人間も、妖精族の里にいる限りは、ほぼ年を取らないし」
えっ、そうなんだ。もう何でもありね、妖精も妖精族も。
……もしかして。妖精の国に行って帰ってきたら何百年も経っていたみたいな昔話って。
「ああ、その話か。あいつは結局また里に戻ってきて、それなりに楽しくやってるぞ」
「まさかの知り合いだったっ!!」
ああもう、なんか疲れた。話を聞いてるだけなのに、すごい疲れた。
それはさておき、話をまとめると。
「お姉さんは妖精から好かれてるわけじゃないけど、血が近いから付きまとわれたってこと? 大変だったんだね」
「いや? あいつら、私には寄ってこないぞ。……ああ、説明の途中で脱線していたか。すまんな、話をするのは得意じゃないんだ」
「あ、いえ。じゃあ、付きまとわれてたのって?」
あ、またあの顔だ。
何かを懐かしむような、そんな表情。
「昔のことだ。草原で野営をしていたら、子供の泣き声が聞こえてきた」
とつとつと語る。
ゆっくりと、その時のことを思い出して。
「死霊か何かかとも思ったのだがな。声の方へと行ってみると、男の子が1人いたんだ。今の君と同じくらいの年だったろうか」
優しい表情。
なんとなくわかった。この人にとって、大切な思い出なんだ。
「その子の周りでは、力を持った妖精が囃し立てるように舞っていた。妖精は、旅人を惑わして道に迷わせる。その子も、迷わされたんだ」
眉をしかめてそう言う。……ああ。この人、別に感情が薄いってわけじゃないんだ。
声の起伏はあまりないし、表情もそんなに動かない。でも、少し見てればわかる。とっても感情の豊かな人なんだって。優しい人なんだって。
「その子は遠いところから連れてこられていた。言葉も違う、文化も違う、何もかもが違う、本当に本当に遠いところから。捨て置けなくてな。少しの間、共に旅をした」
「なるほど。そのときに、妖精に付きまとわれたのね」
「そうだ。せっかくうるさい里を出てきたというのに、あれやこれやと面倒を仕掛けてきてな。まったく、騒がしい旅だったよ」
でも、わかる。
それが、とても楽しい思い出なんだって。
「ねえ、今はその子、一緒じゃないの?」
「ああ。彼が1人で生きていけるようになった時、別れたよ」
その理由は、何となくわかった。
この人が一体、どれくらいの時を生きているのかは知らないけど。でも、人とは生きる時間が違うんだ。
その子が大人になっても、おじいさんになっても、この人は同じ姿のままなんだ。
「……ねえ。もう誰かと一緒には旅をしないの?」
答えも、何となくわかっていた。
「私は、1人でいるのが好きなんだよ」
そう、寂しそうに笑う姿は。
それでも、とてもとても綺麗だった。
「さて、そろそろ村に着くが」
空からお日様の残滓が消え去り、闇の帳が降りようという時間。3人は、ようやく目的地まで辿り着いた。
背後には暗い森。目の前には虫除けの花畑。そしてその先に広がるセージ村。既に家々の大半は眠りについているようだが、一軒だけ明かりの灯っている家が見える。パティの家だ。彼女の帰りを待ってくれているのだ。
心配させちゃった。きっと、怒られちゃうな。でも不思議と、それがとても嬉しく思う。
と、その時。どしんどしんと、大げさに立てる足音が背後から聞こえてきた。
翔太が、森へと向かって歩いている。怒っているんだとアピールしながら歩いている。先にあるのは、今は姿を表している緑のトンネル。暗闇の中だというのに、うっすらと輝いて見えている。とても不思議な光景だが、何故だか今はもう怖くない。
入口まで無言で歩いていた翔太が、勢い良く振り返った。そして思いっきり、あっかんべー。これでもかと舌を出し、敵意を丸出しで睨みつけてきて。そして踵を返すと、トンネルの中へと駆け出していった。
「……あの子は、自分の意志で帰れるのか?」
「うん、そうみたい。私も行けたよ」
パティの言葉にひどく驚き、そしてどこか諦め顔。
まったく本当に、どこまで自由で勝手で理を無視した存在なんだろうか、あいつらは。
「どうやらあの子についているのは、よほどの力を持った存在のようだ。それはさておき、さっきのは君へと向けたものではないな。どうやら、君を独り占めしていたのが気に障ったらしい」
思い出の中の誰かと、姿が重なったのだろうか。口元を僅かにほころばせながら、優しそうな声。
「2人で私へと向けて、全く同じタイミングで舌を出していたよ」
かつても、同じように舌を出されたことでもあったのだろうか。
ころころと笑うその様子は、見た目通りの少女の、綺麗で可愛らしい姿だった。
「私も、妖精が見えるようになるかな」
「あの子は無理だ。目がそういうふうには出来ていない。けれど、君なら見えるようになるだろう。そこにいると、認識さえしてしまえば妖精は見える。……だけど、面倒だぞ?」
「いいの。きっと、そのほうが翔太の役に立てるから」
そうか、と。また、ころころと笑う。
「私の名はラニという。パティ、今日は楽しませてもらった。しばらくはあの街にいるから、何かあったら尋ねてこい」
「うん、ありがとう。きっと行くと思う。……けど、旅には出なくていいの?」
「実は少し前にな、例の少年と再会したんだ。もうすっかり、爺になっていたけどな。……あいつがくたばるまではまあ、ここにいるさ」
その顔が、優しすぎて。そしてどこか、悲しすぎて。
つい、聞いてしまった。
「ねえ、ラニ。……寂しい?」
返事は、ゆっくりと首を振るもの。
「別れがあり、また出会いがある。あいつの街でパティと出会えたことも、妖精の導きってやつなのかもしれないな。面倒な奴らだが、稀に良いこともする」
そう言ってラニは、パティに背を向けて。
後ろ向きに手を振りながら、暗闇の中へと歩き去っていった。
その姿をしばらく見送り、パティは家へと歩き出す。
今日は、本当に色々なことがあった。ありすぎた。家族へのお土産話も山ほどある。そして、話せないことも山ほどある。
ラニから聞いた話で、大体のことがわかった。わかってしまった。
翔太のことも、翔太が住む街のことも。きっと、そういうことなんだろう。
そう考えると。本当にあの出会いは、どこまでも奇跡のようなもの。いや、奇跡そのものだったのだ。
翔太と出会えた。その感謝を神へと捧げようと……して、思い直して。
振り返ったパティは一言、森へと向けて。ありがとうと、呟いた。