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10話 勉強会とはいつの間にか脱線するものです。

「それじゃ、いってくるよ」

「はい、いってらっしゃい。気をつけてね」


 愛する妻に見送られ、翔太の父が会社へと向かう。

 出掛けのキスは忘れない。結婚してもう10年になるが、今でも2人は新婚気分のラブラブバカップルだ。

 だが、それがいい。父は割と本気でそう思ってる。人生なんて結局、楽しんだ者が勝ちなのだ。


 家を出て数百メートルも歩けば、既に額から汗が染み出し始めてくる。

 まったく。時刻はまだ午前6時過ぎだというのに、今日も朝から暴力的な日差しだ。

 

 けれど、これでもまだまだ、この辺りの環境は優しい方。

 会社の近くは日中ともなると、まさに灼熱地獄。エアコンの排気とビルの照り返し、もわっとくる湿気で不快指数は天井知らず。歩いている人がぽっくりと倒れても、全くおかしいところなどない。

 

 ぶっちゃけ、行きたくない。けれども、そういう訳にもいかないか。家族のために、父は稼がねばならぬのだ。

 彼はよしっと一つ気合を入れると、駅まで歩いて20分の道程を進み始めた。

 戦え、企業戦士お父さん。

 

 

 

 

 

 翔太とパティが出会い、友だちとなって、3ヶ月ばかりが経っただろうか。

 季節は、夏を迎えていた。

 

 移動要塞パティが顕現して以来、週末ごとの帝国語勉強会は順調に回数を重ねている。

 翔太が読み上げ、それをパティが復唱。さらにその文字を何度も何度も書き連ね、着実に自分のものとしていく。

 

 尚、最初のうちは棒で地面に書いていたのだが、流石にそれでは色々と不都合も出てくる。なので、途中から大学ノートと鉛筆が使用されることとなった。

 もちろん、提供元は翔太だ。これを目にしたセリムは、また遠い目をして、時の悠久さに思いをはせることになる。

 

 さて、肝心のパティの習熟度はいかがなものかといえば。彼女は、非常に優秀な生徒だった。

 意外に思えるかもしれない。翔太とのお馬鹿なやり取りを考えれば、それも仕方がない。

 

 だがしかし。はっきりと言ってしまえば、パティはとても頭の回転が早い。それこそ、天賦の才を持って生まれたと言っても過言ではないほどに。

 村の仕事の覚えも早い。例え失敗したとしても、何が悪かったのかを自分で考え、改善することが出来る。より良いやり方を、大人たちに提示することすら出来る。

 本来であればお世話を受ける側の年齢の頃から、生まれたばかりの子ども達の面倒を見てこれたのだ。判断力、学習能力、対応力といったものに秀でていなければ、中々出来ることではない。

 

 パティの不幸は、生まれた環境にあるといえるかもしれない。辺境の開拓村で暮らすのに、学問など必要とされないのだ。

 ましてや、女の子だ。いくら可能性を持つ子供であっても、そもそも学問を学ばせるという発想自体が出てこない。

 

 もし、パティが翔太の世界に生きていたなら。この世界でも、貴族の家に生まれていれば。せめて、男の子であったなら。

 既にその才能を見出され、相応の教育を与えられていたことだろう。

 

 けれど、不遇のままに終わる運命は、既に過去の話。パティの未来に、今は別の道が示されつつある。

 翔太との出会いによって、秘められたままで終わるはずだった彼女の才能に光が辺り、芽が出始めたのだ。

 

 とはいえ。今のパティに出来ることは、まだあまりない。

 せいぜいが、フンッと得意気に鼻を鳴らし、誇らしげに胸を反らし。

 

「すごいでしょ。もう、ひらがなは完璧よ」


 そう翔太へ、自慢げに宣言することくらい。

 反らした胸に膨らみが皆無なのは、見なかったことにしてあげて欲しい。まだまだ9歳。これからの成長にも十分以上に期待が出来るのだから。

 

 尚、それに答える翔太の言葉といえば。

 

「ほんとすごいよね、パティは。覚えるの早いよね。それじゃあ次は、カタカナだ」


 というもの。

 え? カタカナ? これで終わりじゃなかったの? と、軽く絶望するパティである。

 さらにその後には、恐怖の漢字が控えていることを、彼女はまだ知らない。

 頑張れ。先は長いぞ、パティ。

 

 とはいえ、だ。今のやり取りからも分かる通り、会話に関しても十分、意思の疎通が可能なレベルに達している。まだまだ知らない単語は多いとはいえ、日常的な会話ならば不都合な点は、既にない。

 繰り返そう。何気にパティは、天才だったのである。


 尚、天才の特徴の一つとしてよく挙げられるものに、何かに熱中すると周りが見えなくなるというのものがある。星を見ていて穴に落ちたりとか、そういうのだ。

 これもまた、パティには大いに当てはまる節がある。彼女を側で支える者は、色々と苦労を抱え込むことになりそうだ。それが一体、誰の役割になるのか。未来のことは、まだわからないけれど。それを楽しみながらこなしてくれそうな人材だったら、ここに一人いるようです。

 ウンウン言いながらカタカナを書きなぞり始めたパティを、翔太はニコニコと眺めているのだった。






「ところでさ、ショーター」

「ん? 何?」


 現在パティは、自分の家で勉強に励んでいる。教材としているのは、文部科学省検定済み、小学1年生用の教科書。とりあえず、国語と算数。

 読み書きと計算が出来るようになりたいというパティに、じゃあこれ貸してあげるよと、翔太が家から持ってきたもの。


 これが非常に面白い。パティの知的好奇心をくすぐりまくり、翔太そっちのけで没頭している。

 せっかく遊びに来たのにと、いじける翔太が少し哀れ。仕方がないので、彼もパティの隣で学校の宿題をしたり、彼女からの質問に答えたりして、時間を潰していた。

 

 聞かれて、答えて。また聞かれて、答えて。それを何度か繰り返し。

 いい加減に飽きが来ていた翔太だったが、ふと顔を上げたパティの次の質問に、少しばかり面食らう。

 

「この本を読み始めてからね、ずっと疑問に思ってたんだけど」

「またわかんないところがあった?」

「ううん、そうじゃなくて。……えっとね、もしかして翔太って。帝国の人間じゃ、なかったりするの?」


 そう。流石におかしいのだ。

 パティは今まで、本というものを見たことがなかった。大きな街などに行ったこともないし、もちろん帝国の文化もよく知らない。

 だから、そんなものなのかとも思ったのだが。それでも、どうしても湧き上がる疑問を抑えきれない。


 帝国って、こんなに文化が進んでいる国なの?

 

 隣り合った国だというのに、いくらなんでも王国と違い過ぎはしないだろうか?

 この教科書も、ノートも、鉛筆も。どれもおかしい、ありえない。こんなにも優れた道具を、本当に帝国は作り出せるの?

 ううん、これだけじゃない。ショーターの着ている服もそうだし、持ってくる玩具も。言葉だって、王国の言葉とこんなに違うものなの?

 わからない。どれもこれも、自分の常識でははかりきれない。

 新しいことを知れば知るほど、疑問がどんどんと溢れてくる。

 セリム叔父さんが言うからそのまま信じていたけれど、どうにも変な気がしてならないのだ。

 

 だから、思い切って聞いてみた。

 もしかしたら、聞いちゃいけないことなのかも。そんな不安も心をよぎったが、それでも疑問と好奇心を抑えきれなかった。

 

「なに言ってるの、パティ。違うってば」


 緊張に包まれるパティに対し、翔太はあっけらかんと爆弾を落とす。

 まさかという驚きと、やっぱりという納得と。あれやこれやと嵐吹きすさぶパティの心に、ここで更なる追い打ちが。

 

「だって帝国なんて、もう昔の国だし」


 なん……ですって?

 かつては覇をかけて相争った、大陸に君臨する双璧。王国と、帝国。

 その一方を、既に過去のものであると。既に終わった国なのだと。そう、ショーターは言い放った。

 

 ありえない。帝国に対してそんな大言を放てる国なんて、存在するのだろうか?

 あ、でも。ショーターが持ってくる数々の道具、あれらがその国では当たり前のものだというのなら。そんなすごい国なら、確かに。その言葉も、間違ってはいないのかもしれない。

 

 驚きに目を見開くパティ。

 しかし翔太は、何を当たり前のことを言っているんだと、不思議そうな顔。

 

 だって、大日本帝国って、もうないんでしょ?

 昔は日本のことをそう呼んでいたみたいだけど、今はもう違うって。父さんからそう教えてもらったよ。

 何を変なこと言ってるんだろうね、パティは。

 

「それじゃっ! それじゃあショーターは、どこの国の人なの?」

「えー? 日本に決まってるじゃん」

 

 ニホン。聞いたこともない。どこか遠くの国なのかしら。きっとそうなのね。

 ……世界って、広いのね。王国と帝国よりも、もっと優れた国があるんだもの。きっと、私の知らない国は、まだまだたくさんあるんでしょうね。

 知りたい。もっと色々なことを、知ってみたい。

 

 パティ、また一段、階段を登る。

 彼女の向上心が、とどまることを知らない。

 

 そして、ふと考えた。あ、もしかして。

 ショーターがずっと温泉街で暮らしてるのは、辺境伯様がニホンから人を呼んだからとか? ニホンの優れた技術を、温泉街をつくるのに役立ててもらっているとか?

 うん、何だか有り得そうな話だ。セリム叔父さんなら何か知って……。

 

 パティがちらりと視線を向けると、2人の会話を聞いていたセリムはといえば、部屋の隅でガタガタ震えていた。

 うん、だめだあれ。今は役に立ちそうもない。っていうか良く考えたら、もともと全然役に立ってなかった。

 

 とりあえず。

 きっと私は。ううん、とても私は、恵まれている。こんなにすごい文化を持った国から来た、ショーターと出会えたなんて。

 そして、そんな彼と、友だちになれたなんて。

 ……友だち……友だち……。

 

「ねえ、ショーター」

「何?」

「私たち、友だち、だよね?」


 ちょっとだけ、不安になった。

 だってショーターは、こんなにすごい国の生まれなのだ。それ相応の教育を、間違いなく受けてきているのだ。

 それなのに、私でいいんだろうか、って。

 でも。

 

「当たり前じゃん。さっきから変だよ、パティ」

「ごめんなさい。……ううん、ありがとうっ! ショーターっ!!」


 パティは、にこりと。顔に大輪の花を咲かせると、隣りに座る翔太にぎゅっと、抱きついた。

 うん、変に弱気になんて、なっちゃ駄目。自分じゃ釣り合わないとか、思っちゃいけない。

 私は、このショーターの。一番の、友だち、なんだからっ!!

 

 いつの間にか、翔太の友だちランキングの一番上に、勝手に自分を格上げしているパティ。

 でも、それは思い上がりなんかじゃない。それは、決意。絶対それにふさわしい自分になるという、誓い。

 その思いを込めて、翔太を抱きしめる手に、さらに力を込めるパティだった。

 





 ところで。

 パティの勉強に関してだが。

 

 国語はともかくとして、算数? パティの学校では算数やらないの?

 そう考える翔太の疑問はもっともだろう。それに対するパティの答えは、学校になんていかせてもらえないよ、というものだった。

 

 これを伝え聞いた翔太の父と母は、何やら難しい顔で考え込んでしまった。

 聞くところによると、パティちゃんは随分と質素な暮らしをしているらしい。家の仕事も随分とやらされているようだ。

 そして、学校にも行かせてもらっていない。

  

 まさか、虐待?

 

 その可能性に思い至ってしまった父は、なので翔太に言ったのだ。

 

「なあ、翔太。今度うちに、パティちゃんを連れておいで」


 と。

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