恩人は人ならざる者なり
──気がつくと、最初に目に入ってきたのは知らない天井だった。どうやら自分の身体は布団の上に横たわっているようだ。
とりあえず上体を起こそうとするも、身体がいうことを聞かない。何でかわからないがひどく重っ苦しい。少し頭痛がするものの寝ぼけているわけではない。もっと別の、例えば数年間整備せず放置されたロボットみたく全身が鈍りきって動作不良を起こしている。
仕方なく首と眼球だけを動かし辺りを見回す。木製の壁に家具、奥にも木の扉。家の中、だろうか?──ああクソっ、目やにが目にびっしり敷き詰められてる。反応の鈍い利き手で掻き出すと、量が普段の倍以上は多い。かなり長い間眠っていたのか?
「そういえばさっきからお腹の近くが重いな。何かが乗っかってるみたいな…」
俺はガチガチの身体を起こして、その乗っかってるらしき原因を見る。
「…お、女の子?」
俺とさほど変わらない歳と思われる、赤い寝間着を着た、蘇芳色の美しい長髪を持つ女の子だった。女の子はヨダレを垂らしてぐーぐー寝ている。なんというか、幸せそうな寝顔だ。
「──どうしよっか?なんか起こすの気が引けるなぁ…」
女の子の頭に手を伸ばしたところで、そう呟く。やはり自分で起きるまで放っておくのが一番だろうか。そう考えていると、奥の木製の扉がノックの音を数回聴かせた後に開かれる。
「失礼するで~。おっ、ようやくお目覚めかい」
緋色のオカッパ頭に糸目の、やや小柄な少年が首だけ扉から出して喋る。今口にしたのは、確かに日本語だった。運がいい、言葉でコミュニケーションがとれるならやりようはある。
──が、入室した彼の全身を見て、俺は思わず声を漏らす。
「えっ…?なんだ、こいつ?」
オカッパの少年は俺の驚愕の表情が理解できないと言いたげな顔をする。
「おん?なんや急に変なもん目にしたような顔しょって」
──驚くに決まってる。彼の頭には一対の山羊を思わせる太い角が生えており、足も沓を履いていると思いきや、その爪先は真黒の蹄だった。よく見ると膝までしかない裾の短めの下穿きの先から、茶色い獣を思わせる剛毛が生えている。よく考えなくとも俺の知る普通の人間じゃない。
「自己紹介まだやったな。ワシは供儀獣之助っちゅうもんや。よろしゅう」
「あ、ああ。俺は亀鳴以呂波。よろしく…」
一応名乗りはしたものの、あちらは然程興味はなかったのか俺の横でぐーぐー寝ている女の子の方へと視線を向ける。
「…おお、またそこでぐっすり寝とる。ったく」
驚く俺をよそに、オカッパ頭をわしゃわしゃと掻きながら眠っている彼女の下へと歩いていく。そして、何故か手をわきわきとさせながら伸ばす。
「ほら、はよ起きひんとおじさんイタズラしちゃうぞ~」
と、まるで性犯罪者の顔で言うキョウギさん。てかおじさんって誰だ。彼はやらしい手つきで彼女の胸の辺りに触れようとする。──だが、
「へぶしぶぁっ!」
突如、キョウギさんが悲鳴と共に殴り飛ばされる。見間違いでなけりゃ、今彼に一撃お見舞いしたのは…
「か、髪の毛が鞭みてえにしなりやがった…⁉」
またしても俺は驚愕する。それと同時に、ふいに何かが舞散る。それははらりと俺の目の前へとゆっくりと落ちる。
「羽…?」
蘇芳色の、美しい羽だ。刹那、頭の中に電流が走り抜ける。この羽は俺の目に焼き付いている。
「あのとき、よくわからないうちにぶっ倒れて、最後に見た…」
俺は眠っている彼女をよく見る。その蘇芳色の美しい長髪は、髪の一本一本が羽で構成されており、あたかも猛禽類の一対の翼のようになっていた。まさか、最後に見たのって…
「…むにゃ~」
どうやらまだ目覚めていない様子。多分先程キョウギさんをぶっ飛ばしたのも寝相みたいなものらしい。で、そのブッ飛ばされていたオカッパは、はたかれた場所をさすっていた。
「痛った~。けど、美少女にどつかれるなんて、朝からめっちゃご褒美やん…」
…何故か恍惚の表情を浮かべていた。いや、何でだよ。まるで意味がわからん。冷ややかに彼を見つめていると、あちらも俺の方へと視線を向ける。
「そう思うやろ?自分も?」
知るかバカ。気持ち悪い。──とにかくここまでに分かったことは、目の前いるオカッパは見た目こそ人間と大分異なるものの、案外普通のスケベな少年、とみていいのか?…いや普通ではないな。
「…むにゅ。ふぁ~」
先程まで絶賛睡眠中の、翼の髪の女の子はむくりと身体を起こし、伸びをする。ようやく目覚めたようだ。彼女は何故か頭の上をまさぐり出す。
「…あれ、メガネどこ?」
メガネ…?辺りを見回すとちょうど彼女の横にそれらしきものが転がっていた。多分寝ているうちに落っこちてしまったのだろう。俺は大体感覚が戻ってきた手で拾い上げる。
「こいつか?」
「あ、そんなとこに。ありがとー」
と、彼女はその黒いセルフレームのメガネを受け取り、早速掛ける。目覚めたばかりで顔がいまいち締まりのない様子だが、あのキョウギさんの言っていたようにになかなかに顔立ちの整った美少女だ。
「えっと、おはよう。どこも悪いとこ無いようだね。よかった」
彼女は胸を撫で下ろす。そんな心配してくれたのかこの娘は…?
「お、おはよう。で、その、ありがとう。俺は亀鳴以呂波。君が俺を助けてくれたのか?」
「うん。正確にはボク一人じゃないけど。あっ、自己紹介まだだったね。ボクは参緒望。よろしく、2週間ぶりのお目覚めだね」
と、彼女はフレンドリーな態度で名乗り、右手を差し出す。俺はその手を同じ手でとり握手を交わす。この手から伝わる体温は人間と何ら変わらないと肌で感じる。
…ん?ちょっと待て、2週間だって?そんなに眠ってたのか?俺は握手を離した後、少し驚きつつ訊く。
「俺、2週間も眠っていたのか?」
「厳密にゃ違う。自分、眠ってたどころか、危うく永眠しかけるとこだったっちゅうんが正しいな」
さっきまで気持ち悪い顔していたキョウギさんはそう答える。永眠しかけ、だと?俺の頬を冷や汗が伝っていく。
「あっ、ジュウくんおはよう~」
マイオさんはジュウくんと呼ぶキョウギさんにのんきな挨拶を交わす。彼のほうはというと、やれやれと言いたげな態度をとる。
「おはようちゃうわ。朝飯の時間やから来てみりゃやっぱこっちにおって」
呆れているキョウギさんに、マイオさんは頭をさすりながら特に気にも止めない様子だ。
「あはは。白鳥白鳥、ってね」
むむ、その耳に覚えのある、反省する気ゼロのフレーズ。俺は小さく呟いた。
「あ、白鳥だからスワンってこと…」
独り言が聞こえてたのか、マイオさんはこっちに振り返る。
「おっ、よくわかったね。そうそう、スワンスワンって感じ。初見でわかるとは流石だね君」
意図を汲み取ってくれたのに気をよくしたのか、彼女はにっこりと笑顔を見せる。──少し変わっているが、美少女の笑顔に、不覚にもときめいた自分がいる。
ふいに、ぐうぅぅぅぅぅ、という音が部屋に響き渡る。…俺の腹の虫だ。オカッパが笑いを堪えてるのが見える。くそ、恥ずかしい。
「あー、そういえば朝ごはんどころか2週間何も食べてないんだっけ。ジュウくん、この子の分もある?」
「えっ?ないこともないけど。二度手間やなぁ~」
キョウギさんは凄くものぐさな態度で部屋を跡にする。残ったマイオさんはそれを見送った後、こっちをじっと見ている。…な、なんだよ?
「うーん、なんか変わってるよね君」
「変わってる?どういうこと?」
俺が訊くと、マイオさんは何か考える様な素振りを見せる。
「ん~いろいろね。ボク達になんか凄く驚いてるみたいだし。それに、君の乗ってた…えっと、ジュウくんはバイクって言ってたかな?あんなのこの辺じゃなかなかお目にかかれないよ?」
バイク…?あっ、コンドルくんのことか。あいつもここに運び込まれたのか?
「とりあえず、ボクも君も分からないことだらけみたいだし、ご飯食べつつ話し合いをしない?」
「そうしてくれるとありがたい。身体中が栄養を求めて仕方ないんだ」
正直、いろいろと気になることは沢山ある。だが、それよりも今はこの騒がしい腹の虫を収めることを優先したい。ひとまず、マイオさんに連れられその場を跡にした。