足りないものを埋めるもの
どうして彼がこんなところにいるのか。その問いを言葉にする前に、彼は手を突き出して制止し、言わなくてもわかるといった風な雰囲気を醸し出す。
「ボクがここにいるのは、ここの魔女にお招ばれしたからだよ」
そう言って椅子にふんぞり返る齢三百歳の魔女を指す。彼女は足を左右に組み換えながら言う。
「近いうちに継承の話があるって言っていただろう? それ絡みだよ」
継承。そう、確か大体一週間後に彼はこの辺りを治める者の地位を継承するというのだった。しかし、それとこの魔女といったい何の関係があるのだろうか。
「ちょうどいい。さっきそれと同じような話をしていたところだ」
さっきの話? そう首を傾げていると、どっとため息を吐かれる。何かおかしなことをしたのか、と類推していると、彼方のほうから説明を始める。
「ワタシは新しい肉体に今までの記憶をインストールする形で代替わりしてる、って言ったよなぁ?」
「う、うん。それが?」
「それと同じだ。<ファミリア>は継承の儀式の後、電子化された先祖代々の記憶を受け継ぐのさ」
電子化された、先祖代々の記憶。鸚鵡返しにそう呟いてしまう。なんというべきか、いまいちピンと来ない。
この世界をからみて遠い過去の人間だからか、さっき烏綱さんが述べていた通りの、記憶をデータにして遺すという行為自体が、実感として湧いてこない。
「なんだかよくわからん、ってふうな顔だな?」
「そりゃそうだよ。理屈は兎も角、ヒトの記憶を電子化なんて、正直どんなものか想像がつかない」
頬をかきながら、事を今一つ捉えきれていないことを吐露すると、件の<ファミリア>はふかふかそうなしっぽを抱き枕みたいに抱えながらソファーに座り込み、相変わらず柔和な表情を浮かべながら語る。
「まあ、仕方ないかな。そちらではそんな技術は発明されてない。出来たとしても倫理的な課題もあるしね」
「同じ記憶や意思をコピーしたとして、ガワが違っていれば、果たしてそいつは同じ人物か? という話だ。お前さんにはちと難しいだろうが」
確かに、少し難しい話ではある。けれど、全くわからない訳でもない。実際に自分と同じ記憶と意思を持った存在を目の当たりにしたら、と想像すると、空恐ろしいという気持ちが真っ先に湧き上がってくる。
「いや、わかるよ。確かに、いざそんなものを見せられても反発は起こるかもしれない」
「まあ、そういうことだ。それに実際問題、普通の脳ミソじゃあスペックが足りないからな。<ファミリア>が特別なんだよ」
スペックが足りない? 首を傾げていると、烏綱さんは手振りを混じえつつ説明を続ける。
「ワタシのような、個人の記憶みたくしょっぱい容量じゃない。何百年ぶんの、世界の生きた記録だ。生中な脳ミソじゃ過負荷でパンクする。そのメモリーを受け入れる為の容量を獲得するために、歴代の<ファミリア>には脳の領域を多少なりとも強化を施している。」
強化を施している。さっきもだが、その言葉回しが妙に引っ掛かる。まるでパソコンやロボットを改造するみたいな言い方だ。生き物に使うには少しそぐわないふうに聞こえる。
「──ウイルスに対抗するために独自進化を遂げた、というのが獣人じゃないのか?」
そんな呟きが口を突いて出る。それを聞いて烏綱さんは感心したような吐息を漏らす。
「──ほう、お前は知っていたのか」
「はは。ボクがゲロった」
「タヌキめ。こんないじりが…ごほん、純真そうな小僧に何をしてくれる」
…何か言いかけたが、突っ込むのはよそう。それは兎も角、さっきの質問への回答がまだだ。あちらもそのつもりなのか、脱線しかけた話を戻す。
「…さっきのお前の問いな、そいつは半分正解だ。この星に蔓延するウイルスは強制進化を促すものだ。今生きている獣人の成り立ちはその賭けに勝ったやつらだ」
──徐に、視線を手のひらに移す。気持ちの悪い汗がじっとりとにじんでいた。ここに来て早々、件のウイルスに襲われた手前、その『賭け』に負けた生き物の気持ちが俺には肌でわかる。
「獣人はこの星で最も新しい進化を果たした存在だった。肉体の強靭さは勿論、知性はヒトと同等だ。遺された遺産を修復したり、独自に文化を形成した。まるでヒトのように」
しかし、と。そこまで雄弁に語ったところで、烏綱さんは面持ちをやや落とす。
「だが、どれだけ進化しようと、かつていたヒトと決定的に欠けていた部分がある。それはなんだと思う?」
首を横に振る。ヒトより強靭な肉体を持って、知性も遜色ない。そこまで色々な特長を持っていて、何が劣っているかなんて想像がつかないというのが正直なところだ。
「それは『理性』だよ。我々の根っこにはどうしても獣性が残る。人間のように賢しくなったが、人間のように『本能』のセーブがどうしても上手くできなかった」
彼女の話を聞き、俺はふと何かで観た、サバンナあたりのドキュメンタリーを思い出していた。一挙手一投足、その全てを獲物を仕止める事に注力した、狩りをする動物の獰猛さがひどく印象に残る内容だった。
そんなヒトより遥かに強い力を持つ野生動物が、ヒトと同等の知性を持って、尚且つ獣としての本能のまま動く。恐ろしい、という感想がまず生じて、思わず口元を手で被う。
「すぐれた知性を持ちながら本能に従う。それはある種、自然を淘汰した人間よりもタチが悪い。ワタシが知る限り、新人類たる獣人が一定数誕生してから、ざっと百五十年は闘争の日々が続いた」
百五十年。歴史で学んだどの戦争の期間より長い時間だ。少なくとも二~三世代は交代するだけの時間を闘争に費やしていたと考えれば、自然と息を呑んでしまう。
ここで一番厄介なのは、獣人たちは人間に並ぶ知性があるということだ。それだけの頭のよさを持ちながら、獣のような狩りの、弱肉強食の生き方をするということは、その喰われる肉側の被害は際限がない。
あまり想像したくはないが、それが百五十年なんて身の毛がよだつ。確かに非力な自分のような者からすれば地獄に等しいだろう。
「だが、ある日のことだ。とある獣人は、人類が遺した廃墟にてあるものを発見した。彼女は疲れていた。闘争の日々に」
……その語り口に、微かな違和感を覚える。人より聞いた話であるふうに聞こえるが、まるで生で見聞きしたふうにも聞こえる、妙な感覚だ。
「そこなタヌキに見せられなかったか? コンピューターだ。特殊な鉱物を用いて作られた、人類の叡知の結晶…」
「…! アハンカーラのか!」
「ほー、やはりそれも知っていたか。意志を汲み取り実現する、人間が遺した記録にある『神』に相応する存在だ」
神、ときたか。全知全能、なんて科学が発展した時代には眉唾物なのだろうが、自分の時代よりも明らかに発展していたであろう彼女らからみて、そんな形容をされること自体、異様さと偉大さを兼ね備えた存在だと伝わってくる。
「そいつはこの世界をずっと観察していた。コンピューターに意志はない。設計者がそれを与えなかったからだ。だが、いずれ願われるだろう願いをそれとなく理解していたのだろう。そいつは、訪れた獣人に一人の友を与えた。」
「友…? まさか、」
目線が、自然とソファーにもたれ掛かっている<ファミリア>に移る。彼の表情は相変わらず陽だまりのような穏やかだった。
「その友は、その獣人の願いを叶えようと動いた。『本能』を抑え、正しき営みを行うために。やがて獣人たちは『理性』を覚え、闘争の時代は終わりを告げたのだ」
烏綱さんの語り口調は、まるで歴史の生き証人を思わせた。その齢十四歳程度の見た目とは裏腹に、深い年月を経た太い樹木を想起させる重みが発せられていた。
「<ファミリア>は今の正しき獣人のプロトタイプにして、アハンカーラの端末。一点物の生まれ持っての縄張りを統べる役割を負った存在なのだ。そして、はじめてアハンカーラに接触した獣人こそ、初代のワタシなのだ」




