暗闇のなかで 再
「また、か」
ふと気がつくと、辺り一帯を黒い霧で覆われた空間に一人立ち尽くしていた。少し前も似たような真っ暗闇にいた気がするが、今回は正真正銘あの世か…?
「…困ったな。生きてるか死んでるのかもさっぱりの状態でこんな何もない霧のなかに放り出されても何をすればいいのかわからん。いっそいっそ死神でも来てくれるなら…」
なんて戯言を呟いていると、ふいに辺りの霧が揺らめく。思わず背後を振り向くと、霧が少しずつ集まっていき、人の姿を象る。
ただ、人の形といっても表情はのっぺらぼうで、両手が鋭利な刃物…鎌のようになっている。その霧の塊は少しずつこちらへと詰め寄ってくる。
「…お、おいおい、マジで死神が出張ってきたのか?」
俺は少しずつ後退りをしていた。…怖い、と思ってしまっている。その得体の知れない何かに怯え、呼吸が微かに荒くなる。背中が氷塊でも背負ってるみたく冷え込む。瞬きの回数も普段の倍は多い。手や膝からも震えがする。ヤバい、自分自身でハッキリとわかるレベルで挙動がおかしい。
「い、嫌だ!来るなッ!」
考えるより早く、自分の両脚は全力で逃げようと走り出す。だが黒い霧の塊は、退く俺の速さを大きく上回る速度で詰め寄る。俺は慄きのあまり足を躓かせてしまう。思わず振り向くと、そいつは両手の鎌を大きく振りかざさんとする。
刹那の間、その刃に切り刻まれた自分の姿が脳裏に浮かび、恐怖で反射的に目をつぶる。──ああ、クソっ、嫌だ、こんなの。何がなんだかわからないまま死ぬのなんて真っ平御免だ。ふざけるな、認めたくない。
「畜生ッ…!」
恐怖と悔しさからの声が涙と同時に漏れ出す。──だが、いつまで経っても身体を切り刻まれる感覚はやってこない。
「──大丈夫だよ」
「ッ!」
声が聞こえた、気がする。かなり最近耳にした声だ。とても優しい、男の子か、あるいは女の子の声。恐る恐る目を開けると、その黒い霧の塊は鎌を振りかざそうとした姿勢のまま硬直し、やがて霧散する。
完全にその霧の塊が消え去ったあと、そいつがいた場所の背後に、紅い前髪で目元を隠す、十代前半の男の子とも女の子ともとれる子供が立っていた。
「──大丈夫だよ」
また聞こえた。今回はハッキリとあの子供から発せられたと確認できた。──そして、前と同じように俺を導いたのと同じ声だ。〈それ〉は、まるで聖母のごとく、口元に優しい笑みを浮かべる。
「大丈夫。わたしのをあげるから。だから…」
「あげる?あげるって、お前何を──」
〈それ〉は、心臓のあたりから、暖かい光を発する。その光は〈それ〉から飛び出し、俺の身体を包み込む。
「なんだ、これ…?何の、光…?」
この光は、まるで母親の胸のなかに抱かれているかのごとく、暖かくて優しい。
「よかった…」
その光を俺に渡すと、子供の形をした〈それ〉はまるで蜃気楼のように消えてゆく。同時に真っ暗な世界が少しずつ晴れていく。
「まっ、待って!お前は…」
言い終わるのを待たずに〈それ〉は消えてなくなった。時を同じくして、辺りの霧が霧散し、光が差し込み、目が眩む。