キミノノゾミハ
暗闇にただだた木霊する掠れた声。自分の中で軋む何かに動かされて、枯れるまでスピーカーは音を震わせていた。
「君は、」
「…え?」
枯れ果てた声に混じって別の声が聞こえた。この真っ暗闇の空間でただふたりの片割れ、紅髪の中性的な子供のものだ。
「君は以前、生きることを望んだね。どうしてだい?」
どうして、か。以前この暗闇にやって来たことの話だろう。でも今の俺はその質問にまともな回答をくれてはやれない状況だ。
「死にたくない。そう言った筈ではなかったかい?」
…俺は鼻をすすり、咳き込みながら頷く。生き物である以上、死ぬことに対しては全力で逃避しようとするのは当たり前、なんだろう。
逃げて。そう、逃げた。俺は死ぬこと、なんていう恐怖とは別の、違うものを怖がり逃げた。逃げて逃げて。またこんなよくわからない所に転がり込んだ。どうしようもない臆病者だ。
「でも、君は今、異なる望みを持っている。いや違う。君は前も表に出さなかっただけで、ひとつの強い望みが、イメージを抱いている」
「ひとつの、強い望み…?」
「君は、誰かにとって愛するに足る自分になりたがってる。愛される他人を否定するのではなく、自分をもっと愛を注ぐだけの価値あるものになりたいのでしょう?」
「っ……!」
そうだ。俺は愛するには物足りないんだ。物足りないからいらないものなんだ。無償の愛なんて、嘘っぱちだ。
何かを与えられるからには、何かで返さないといけない。それがたとえ愛とかいうモノであっても。見返りがその施しに見合ったモノでなければ意味がない。
だから、俺はもらえなかった。愛とかいう形のないモノを受け取る資格が無いからだ。
そこにいてもいい理由が欲しい。そう思い続けた。でも、不安は常に片隅で燻っていて、小さいが幾ら消そうとしても鎮められない。
「…ああ。そうだよ。俺はずっと欲しかった。『もしもの自分』が。幾ら努力しても手に入らない、こんな、胸の中に残り続けてる真っ黒な何かに怯える必要のない、『愛される資格のある自分』が」
ろくでなしの本音が何もない空間に響き渡る。…なんとなくわかってきた。さっき言っていたコト、この真っ暗闇は俺の心の奥底であるというのは事実かもしれない。
その証拠に、自分の心中から泥のような黒い感情が噴き出すにつれて、辺りの暗闇の霧がより色濃くなってゆくようだった。
なら、死にたくないと願っていた以前は、その死に対するイメージがアレだったのかもしれない。
……グシャグシャの頭の中隅で結論づけられたところで、紅髪の子供はまた、俺の中にすっと入り込むような声で語りかける。
「…本当にそれが願いなのかい? 欺瞞にも聞こえるよ。それは」
「…?」
意外だった。吐き出した黒い感情は本物ではないと、この子供は言うのか。
「君はまだ、もう一枚殻を被っている。さっきの願いもまた君の本音だ。けれども今は少しだけ違ってきている」
「…何を言っている? よくわからない。俺はずっと願い続けてる。今だって…」
「そうだね。君はそう願って『いた』。違うか。もうひとつ、つい先程生まれた最も新しい願いがある。それは、『彼女に謝りたい』だ」
…電流が走った。真っ黒い濃霧の間に微かな切れ目が入る。そこからか細い光が差しこみ、一寸先も見えない闇の足もとを照らす。
「な、にを…?」
「キミは嬉しかったんだろう? 自分に向けて怒ってくれたことを」
「馬鹿を…言うな。アレは俺の口振りに苛立ちを覚えただけだ」
「キミは知っているはずだよ。関心のない相手にああいう怒り方はしない。苛立ちをぶつけるのではなく、誰かの為の、親身に思うから怒ってくれる。それは幸せなコトだという事実も」
・・・そうだ。謝りたかった。結局喧嘩別れみたいになったのが、どうにも気がかりなままだった。それを果たさなくては、すっきりしない。後悔が残る。
「ねえ、キミ。どうすればここから出られる?」
俺は紅髪の子供に問いかける。今度は、ハッキリと見据えて。子供はどこか嬉しそうな素振りを見せながら応える。
「望めばいい。こうでありたいと願うだけでいい。さすれば叶う」
俺はそれを聞き、手を合わせて祈りを捧げる。強く、明確に、鮮明に。こうありたいと。イメージを書き上げる。
すると、黒い空間の間にひとつ、またひとつ。切れ目が生まれ、そこから光が射し込む。まるで進みたい道を導いてゆくように。
「ここから先はキミ次第だ。生きて、生きて。望みを叶えて」
・・・言われるまでもない。けど、お礼は言わなくちゃいけない。俺は、すごく穏やかな心持ちで口を開く。
「ありがとう。それ以外は思い付かない。だから、もう一度。ありがとう」
──完全に黒が晴れ、暖かな光が世界を包み込む。最後に見えたのは、紅髪の子供の優しそうな微笑みだった。




