湖畔に佇む蛇の僧
結局、俺はあの廃ホテルから抜け出し、廃墟を行くことにした。キョウギさんが言っていたとおり、ホテルの入り口にはちゃんとコンドルくんが置いてあった。一応現代に帰れるかどうか以前と同じことを試してみたが、やはり徒労に終わった。
幸い、バイクとしての機能は問題は無いようで、今はこいつのパワーに振り回されながらゆっくり運転を身体で覚えていくことになる。
「はぁ…」
コンドルくんのエンジンの唸り声に紛れて、俺のため息がさっきからずっと吐き出されていく。
もうあの場所から離れて体感で1時間は経っているが、やはりあの2人のことが頭をに残り続けている。
「くそ、なにやってるんだ俺は…」
そんな憤りからくる呟きをもう何度したかわからない。頭が冷えた今なら自分でも馬鹿な事をしたと思える。
あれが心配してくれた人に対する態度ではなかったなんておそらく年齢が一桁の子供ですらわかることじゃないか。また、自分の中から何かが軋む音がした。
「くそぉっ!」
行き場のない感情をバイクの燃料タンクに叩きつける。凄く厭な気分だ。忘れていたかった記憶が呼び起こされるようで、汗が吹き出る。
少しずつスピードに乗るコンドルくんから見る周りの景色は、やや物寂しさを感じる。
この辺はあまり深緑に喰われていないが、代わりに地震かなにかが原因で車道を形作るコンクリが派手に隆起して、地下の鉄骨かケーブルみたいなのがむき出しになっているのが散見される。
上の方を向いてみても、所狭しとビル群が建てられているが、ほとんどがその全身に張られたガラスが砕け散り風通しが良くなっているほか、酷いのは中腹からバックリとへし折れているのも珍しくない。
「…本当に、誰もいなくなったのかな?」
そんな呟きがコンドルくんの上げる唸り声に紛れて溢れる。この景色を見ていると、さっき会った2人が幻だったのでは、という錯覚に見舞われる。
ふと、この街並みに何かデジャ・ビュのような感覚に見舞われる。なんと言えばいいか、見覚えがある景色だ。というかごく最近見た気がする。俺の頭の中を電流が走る。
「…ここは、俺の住んでいた街か?」
かなり荒廃しているし、様変わりしたところもあるが、俺の暮らしていた街である。いつも待ち合わせに使っていた場所や駅前の通りの構造も面影がある。──今一つ確信が持てていなかったが、やはりここは未来の世界であるのだろう。
──またしばらくコンドルくんを走らせると、辺りが少しずつコンクリの裂け目から樹木の根が顔を出していた。それに引っ掛かる度、車体が大きく縦に揺れる。
「そういえば、俺を診てくれた医者がいたって言っていたな…」
なぜだか唐突にそんなことを思い出す。名前は蛇杖…とかいうのだったか。結局訊き損ねてしまったが…。
──ばしゃり、とタイヤがふいに水溜まりをはねる。今走行している辺りは、緑が生い茂る、かつてコンクリで固められた林道に入り混んでいたのだった。
それからしばらくコンドルくんを走らせ、その林道を抜ける。すると今度は、随分と大きく開けた場所に出る。俺はブレーキをかけ、立ち止まって見回す。そこは、
「…でっけえ、湖…」
とても、とても大きな湖だった。地平線の向こうまで広がっていきそうなほど、それは広大だった。
「──でも、妙だな。こんな湖あったか?俺の知る限りじゃ、ここは多分俺の住んでいた地域だ。1時間にバイクで行動できる範囲にここまでのサイズの湖は無いはず…」
訝しみながらも、俺は次にその湖のほとりに目を向ける。すると、なにやらぽつりと佇む何かを見つける。
「なんだ…?人、なのか?」
遠目からじゃそれがなんなのかわかりそうにない。今俺の中から少しばかり涌き出てきた野次馬根性に従い、その何かの元へとコンドルくんを引きながら近づいていく。
「…なんだありゃ?白衣の…釣り人?いや、坊さん?」
…ありのままの感想を口にする俺。病院のドクターを連想させる白衣に、それと同じく白のフチの広い帽子を被る白い髭の男が湖のほとりで木を削り出して作ったのであろうボロい釣竿で獲物がかかるのを座禅を組んでじっと待っているのだ。
よく見ると、顔のあたりにヘビを思わせる鱗が散見される。白い髭の釣り人は、そこからまったく動かず禅を組んだままだ。だが、
「──ん。誰かな?あまり見ないオーラだ」
「…っ!?」
振り向くことなくその奇妙な釣り人は真後ろから近づいていた俺に声をかけてきた。俺は驚きのあまり目を見開く。てか、オーラって何よ。マジで悟り開いているのか?
その僅かな心の動揺を気取られないよう、多少余裕を持った素振りで返す。
「す、凄いですね。あ、俺は亀鳴以呂波です。その、よろしくです」
「名か。ならば私も名乗らなくてはな。拙僧は蛇杖十三座という者だ。この縁も大切にしよう」
…蛇杖?もしかしてこの僧侶のような医者が俺を診てくれたという人か?
彼は自己紹介の後に皿の形をとっていた両の手のうち右手のほうを上げてから言葉を紡ぐ。
「あまりかしこまる必要はない。君と拙僧、命の価値は同等なのだからな」
「──命の価値は、同等?」
「そうだ。というよりは命に価値をつける、という観念自体が間違っていると思う。少なくとも私はそう思っている」
「…命の価値ですか。難しい問題ですね」
そう答えると、蛇杖という方は地平線まで続いていく湖を見通しながら、どこか諭すような口振りで語り出す。
「いや、簡単なことだ。例えば、拙僧らは生きるためには食べねばならんだろう?その行為は、いわば他から命を貰い受けることだ。つまり我々は常日頃から我が身に満つために生き物だけでなく植物等からも命をいただいている。故に命は尊ぶべきものだと理解出来よう。誰かを助けたいと思える優しさも、命を大切にしたいという、ごくごく当たり前のことなのだよ」
命の尊さ…か。俺は自分の胸に手を当てる。──心臓の鼓動が、自分自身の熱と手に伝わってくる。
もしかしたら、俺のこの鼓動は永久に止まっていたかもしれない、という結末が頭をよぎる。
もしも、この鼓動が止まったとしたら、この身体は熱を失ってしまうのだろうか。熱を失った身体は、物言わぬ氷なのだろうか。そう考えると、今目の前にいるそのひとつの命も、尊ぶべきものなのか?
蛇杖という僧侶のような医者は、波紋ひとつ生じない釣竿の先を見て諦めたのか、糸を引っ込める。
「少々説法臭かったか?まあ、年寄りの暇潰しに付き合ってくれたことに感謝しよう」
そう言いつつ蛇杖は釣糸を器用に竿に巻き、肩に担ぐ。そして俺を一瞥することなく立ちあがり踵を返す。
「では、また会おう、少年。今度は患者ではなく知人として再会出来ることを祈らせてもらう」
びくり、とした。彼はそのまま俺の方へ振り向かずにこの場を跡にした。
彼は、以前診たことのある人物であるのに気づいていたのか。俺は彼の後ろ姿を見えなくなるまでずっと見続けていた。




