◆先に階段を上っている人◇
谷道は前日の出来事を気にすることなく、仕事帰りに立ち入り禁止になっている公園に勝手に入っていた。時間帯が遅く、ロープが張られているだけで警察はいなかった。
遠くでパトカーのサイレンが鳴っていた。
ベンチでいつものように過ごし、ロープが張られた公園の茂みに、平然と熊昇天のパックを投げ込んで日課を済ませた。
事件を知らせる看板が立て掛けられていたが、谷道が内容を読むことはなかった。
谷道はこの近辺でいつも強い視線を感じていた。何度も周囲を見回したが、誰も見つけられなかった。
谷道の日常に変化はなかった。
その日の仕事で味わった不満をブツブツと念仏のように、恨み言を一人でつぶやきながら家路に着いていた。
ここ数日、自宅マンションのエレベーターが故障中でいつまでも復旧せず、十階の部屋まで階段を使うしかない日が続いていた。
郊外の安いマンションを借りたことを後悔する日々。
降りるのは簡単でも、上るのはしんどい。仕事で疲れた身体には堪えた。
階段に向かう途中でおばちゃんたちの井戸端会議が耳に入ってきた。
『近くの公園で殺人事件が起きた』——や、『十階に住んでいた母子家庭の子供がベランダから事故で転落死した』という暗い話題。
横目にチラリとエレベーターホールの掲示板に新しいお知らせが貼ってあるのが目に入った。
『訃報』の二文字だけ読んで、あとはどうでもよくなって、ぐだぐだと階段へ足を運んだ。
(上司も部下も俺より仕事ができる同僚も、どうせなら全員……俺は毎日真面目に仕事しているのに、なんで認められないんだ。給料上げろってんだ)
千鳥足で階段を上り、いくつかの踊り場を過ぎた。ふと目を上げると、先に階段を上っている人の背中が見えた。
スーツ姿の女がスーパーの買い物袋を手に下げて上っていた。パンパンに詰まってボコボコした袋から中身が落ちそうになっているのが見える。
(もっと大きめのサイズを貰えよ……)
内心でツッコミを入れて引き続き足を進めた。
やがてその女は背後の気配に気付いたのか、何度も振り返った。上りながら女を見ているわけではないが、どうしても視界に入る。女が上から振り返る度に、その鋭い視線が刺さり、見下されているようだった。
(……あれ、あの目、あの格好……駅で俺を睨んでいた女か?)
谷道は他人を気にする能力が低かった。その記憶はいつも曖昧だった。女子社員の姿が脳裏によぎった。
『いやらしい目で見てる……』
谷道は舌打ちをして視線を目の前の階段に移し、黙々と階段を上ることに集中した。
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