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坂東の式鬼  作者: 天狗 神


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第八話

 淙々と響く川の音が、その僅かな時間を永遠に引き延ばしたかのように穏やかに鳴る。微かな、しかし確実に近づいてくる地鳴りのような振動。地面を伝い、空気を震わせ、じっと待つ者の耳と胸に響いた。


 やがて、重い胎動は規則的な軍勢の唸りへと変わる。


「……直重」

「……ああ」


 冷たく濃い朝靄が、川の流れと共にゆらゆらと蠢く様が見て取れるというのに、体中にはじわりとした嫌な汗が滲んでいく。


 更に大きく、濁流のように押し寄せる圧が鮮明に耳に届くと同時に、土手裏から現れた竹に雀、丸に二つの旗印。互いを認識し合うと、両軍の緊張は一気に張り詰めた。


 見る間に落合川上を埋め尽くしていく最上の大軍だが、それでもなお、まだその後方にどれだけの兵が続いているのか、想像もつかない程の大軍勢。


 じわりじわりと大きく広がり、気が付けばいつの間にか取り囲まれてしまい、焦りの色を濃くする細川の兵達。


 そこに上等な鎧を纏い、腰には大小二本の刀を差し、身の丈を優に超える大薙刀を携えた一人の男が馬に乗って進み出て来た。


 退路など、始めから頭に無かった直元と直重は、その男に応えるように前に出る。その顔には、焦りは元より悲壮感など微塵もなかった。


 一人大きく進み出た総大将、蔵増光忠。近所の小童に話しかけるように、何の気負いもせずに声を発した。


「中々に気持ちの良い朝だ。そう思わんか」


 この余裕。

 この落ち着き様。

 一切の動揺や焦りを感じさせない態度。


 開口一番、即開戦だとばかり思っていた直元と直重は「格」の違いに気圧された。


 二、三歩踏み込めば斬り込める距離。だが踏み込めない。

 この彼我の距離は、培ってきた経験の差。

 じわりと滲んでいた汗は、額から流れ落ちる程の玉に変わる。


 一体どういうつもりだ?

 なんで挨拶を交わすんだ?

 馬揃えを蹴った見せしめに来たんじゃないのか?

 細川を、小国を、オレたちをどうしたいんだ?


 困惑した二人は視線で会話をする。

 結果、直元はこの男の話に乗ってみる事にした。


「ああ、思う。オレたちはこんなに気持ちの良い朝を、毎日楽しんでる。どうだ、羨ましいだろう」


 両手を広げ、遠くから聞こえる沢山の鳥の声を聞いてみせた。

 

 額を汗が伝っていく。

 

「うむ、威勢がいいな。それに度胸もある。こんなに気持ちの良い返事を聞いたのは久方振りだ。そんなお主らが育ったこの土地は確かに羨ましい。空気は澄み、田畑はしっかりと栄養を蓄えておるのが分かる。多少、交通の便に難があるのは気になる所だが、こんな土地で採れる作物は、さぞかし旨いだろうな。で、何が一番の自慢だ」


 大軍で押し寄せ、問答する内容が作物について。


 理解が追い付かない。


 いや、頭が追い付く前に次々と会話が進み、質問責めにされ、その暇を与えられていない。


「全部だ。大根、蕪、芋、大豆に小豆。なにより蕎麦が旨い。擦った大根の汁と葱で喰う蕎麦は辛みも天下一品。もちろん沢庵も蕪の漬物も、どこにも負けはしない」


 意図が掴めない直重は、会話を交わす二人に視線を交互させ、直元に何が起きているのかとささやく。


「兄者、一体何の話を」

「オレにもワケが分かんねぇよ。でも待て、まだだ……まだ」


「そうかそうか! 蕎麦に大根、沢庵に蕪か! いやいや参考になった、感謝する」


「……感謝だと? 小国の民が土にまみれ汗を流して、小国の民の為に作った作物だ。見ず知らずのお前に感謝される覚えなど一つもない」


 一見、他愛もない会話に見える。

 だが、一つ掛け違えただけで、立ちどころに崩れそうな危うい均衡。

 緊張の中、徐々に早打つ鼓動が焦りを助長する。


「もう一つ聞かせてくれ。背中に背負っている言葉は何だ」


 黒い陣羽織の背中に記された言葉。

 嘲り笑うでもなく、ただ、純粋な疑問として聞いているのだと直元は感じ取る。

 だから、正直に答えた。


「これは……想い。オレらの信念。絶対に負けねぇっていう、自由意思の表れ。オレらが目指す理想の国造りの合言葉。誇り、そのものだ!」

「兄者の言う通り! こいつは。この言葉は俺らの生き様だ!」


 このやり取りを後方から見ていた義光は思う。


 生まれる場所さえ違っていればと。

 主張する方法を違えただけではないかと。

 背負う言葉から伝わってくる思想と理想は、ワシの目指す国造りと同じじゃないかと。


「勿体ないのぉ……」


 熱い想いが込み上げ、言葉が一つ、零れていった。


「目指す理想の国造りか。ふっ、どこかの誰かと同じ事を言う。嫌いじゃないぞ、そういうの。よし、ならばこれで最後にしよう。よく聞け、猛き気概と理想を持った若人達よ。最上義光が家臣、蔵増光忠がお頼み申す! 我らはこの先、小国城に用がある! そこを退()いてはくれまいか」


 大軍の将が、敵である辺境の弱小領主軍に頭を下げ頼み事をする。

 普通に考えれば有り得ない話。


 だが、光忠はこの二人を好ましく感じ、命があればきっとこの先、殿の理想に賛同し、良き家臣になると理解した。光忠にとって当然の帰結。


 敵味方関係なく、その行動に驚きを隠せない周囲の兵達。


「あんた、いい人だな。なるほど、この大軍の総大将って訳か。その言葉と気持ち、有難く受け取らせてもらう。オレは細川直元。こっちは弟の直重だ」


 その気持ち良い返答に、下げた頭を勢いよく元に戻す光忠。

 上げた視界の先には、二人の柔らかな笑顔が映る。


「分かってくれたか! ならばっ!」


「だがっ! それとこれとは話が別だ! ここは死んでも通す訳にいかねぇなぁ」

「はっ! 流石兄者だ! そう来なくっちゃウソだよなぁ!」


 腰に携えた二振りの見事な打刀をスラリと抜いた直元。

 直重も同じく、三尺にも渡りそうな大太刀が一振りと、一尺ほどの脇差を抜き、堂に入った構えを見せた。


 そこには、覚悟を決めた男たちの顔があった。


「そうか……届かぬか。残念だが、あい分かった! ならばこの場、押し通るまで!」


 馬上で大薙刀の柄を深く引き、独特な中段構えを取る光忠。殺気の籠った切っ先を光らせる。


「ああ、それでいい。オレらはオレらの政じゃなきゃ、これっぽっちも面白くねぇんだ。折角の忠告と誘い、断って悪かったな。だから、残念だなんて言ってくれるな。この小国の川の様に、気持ち良く押し通ってくれればそれでいい! 但し、そう簡単にはいかねぇかもしれねぇけどな。野郎どもっ! 目一杯暴れまくれぇ!」


 直元の号令を待ってましたとばかりに、山間の空気が震える程の鬨の声が上がる。


 今、開戦。






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