Scene3:ルシアンの選択
夜明け前の屋敷は、静かすぎた。
鳥の声すら届かないその時間――作戦室の中で、ルシアンはひとり机に突っ伏していた。
机の上には、封蝋のついた一通の密命書。
協会本部からの最終指令。
「クラリッサ・グレイヴを拘束せよ。必要なら――排除を許可する。」
紙面の文字が、まるで焼けた鉄のように目に刺さる。
指先が震える。
そして、報告書を握り潰す音が、静寂を裂いた。
ルシアンは額を机に押し当てた。
観察対象だった。
ただ記録し、報告するだけの存在――そのはずだったのに。
気づけば、彼女の毒舌にも紅茶の香りにも慣れてしまっていた。
そして、あの笑顔の裏にある孤独を知ってしまった。
――もう、“任務”なんて言葉では、片付けられない。
そのとき、扉が音もなく開く。
銀の月光を背に、クラリッサが現れた。
彼女はルシアンの前まで歩み寄り、静かに言う。
「迷っている顔ね。……人間らしくて、いいわ。」
紅茶の香りが、決意を惑わせるように揺れる。
「……俺は、どうすればいいんですか。」
「貴方、まだ“観察者”のままでいるの?」
その声音には、挑発と優しさがないまぜになっていた。
ルシアンは顔を上げる。
その視線には、迷いと決意が入り混じっていた。
「観察者って言われると……途端に小動物になった気分です!」
「ふふ。かわいい小動物ほど、よく罠にかかるの。」
「怖い例えやめてくださいよ!!」
クラリッサが微笑む。
ルシアンの混乱を楽しんでいるようでいて――どこか寂しげでもあった。
「でもね、ルシアン。罠にかかるのも、悪くないのよ。
……捕まえる側が、貴方を気に入っているなら。」
その一言に、ルシアンの胸の奥で何かが崩れ落ちた。
彼は立ち上がり、潰れた密命書を投げ捨てる。
そして、静かに言った。
「俺の報告書は、もう提出できません。
……彼女の隣に立つと決めたので。」
クラリッサは小さく笑い、紅茶のカップを差し出した。
「よくできました。では、共犯者の契約を祝って――一杯どうぞ。」
湯気の向こう、ふたりの影が重なった。
“その瞬間、彼の忠誠は協会から彼女へと移った。”




