【第3章 Scene5】――紅茶と銃口のはざまで
夜明け前。
まだ空の端に光が届かぬ、深い青の時間。
クラリッサ邸のバルコニーは、薄霧と静寂に包まれていた。
白い寝間着に淡いローブを羽織ったクラリッサは、
いつものように――いや、どんな時間でも変わらず――
湯気の立つ紅茶を傾けていた。
「夜明けの紅茶は香りが深いのよ。まるで、死の手前の静けさみたいに。」
「例えが不穏です!!」
背後でツッコむルシアン。
彼は完全武装、剣に手をかけ、神経を研ぎ澄ませていた。
(……この人、警戒心ゼロだな?)
そう思った瞬間――。
風が裂けた。
闇の中から、黒い影がいくつも跳ねた。
〈影使い〉――協会の裏組織に属する暗殺者たち。
その一人が、クラリッサの胸元めがけてナイフを放つ。
だが、彼女は驚かなかった。
カシャン。
紅茶のポットが弾かれ、蒸気と共に刃を逸らす。
銀の光が霧散する中、クラリッサは静かにため息をついた。
「……紅茶がこぼれたわ。残念。」
「いや、命がこぼれそうなんですよ!?!?」
ルシアンの悲鳴が響くより早く、彼は反射的にクラリッサを抱き寄せ、銃弾を剣で受け止めた。
火花が散り、二人の体がわずかに触れ合う。
(近い……っ!!)
一瞬の動揺。だが、敵は容赦なく襲い掛かる。
ルシアンが影を斬り払うその背後で、クラリッサは静かにポットを置いた。
月明かりが彼女の指先を照らす。
次の瞬間――。
空気が、沈んだ。
重い、冷たい、何かが流れ込む。
クラリッサの左手の甲に、黒い紋が浮かぶ。
“死神印”。
それは、彼女の前世が残した封印の魔印。
紋様が脈動するたびに、影たちは音もなく闇に吸い込まれていく。
「……これが、“裏切り”の契約ね。」
彼女の瞳が、死神の光を宿していた。
ルシアンは言葉を失う。
美しい――だが恐ろしい。
彼女の姿は、朝焼けの前の静寂に立つ“死の女神”そのものだった。
やがて、全てが終わる。
影は消え、夜明けの風が吹き抜けた。
クラリッサは紅茶のカップを拾い上げ、
何事もなかったかのように微笑む。
「お湯の温度が少し下がったわ。朝に淹れ直しましょう。」
「あなた今、何人か消し飛ばしましたよね!?!?」
「細かいことは紅茶の香りで忘れるものよ。」
(忘れられるかぁぁ!!)
ルシアンは頭を抱えながらも――
その笑顔から目を離せなかった。
クラリッサはそっと彼に歩み寄り、
紅茶の香りと共に囁く。
「貴方、観察はもう十分でしょう?」
彼女の指先がルシアンの胸元を軽く押す。
そして、柔らかく微笑んだ。
「――次は共犯者になって。」
その言葉は、命令でも誘惑でもなく、呪いのように甘く響いた。
《観察記録・最終日》
彼女は死神よりも優雅だ。
そして――たぶん、少しだけ好きになった。




