【第3章】護衛騎士ルシアンの観察日記 【Scene1】――新しい護衛、観察開始
朝の光がクラリッサ邸の中庭に差し込む。
白い大理石の床に紅茶色の影が揺れ、風に乗ってかすかにダージリンの香りが漂っていた。
「本日より、お嬢様の護衛を務めさせていただきます。ルシアン・グレイと申します。」
胸に手を当てて礼を取ると、目の前の令嬢――クラリッサ・ヴァン・エルドが、扇子の影からゆるやかに微笑んだ。
その笑みは絹のように柔らかい。……だが、同時に刃物のように冷たかった。
「ええ、聞いているわ。協会の方から来た“観察役”なんですってね。」
その言葉に、心臓が一拍だけ止まった。
(え、なんで知ってるんですか!? 協会の極秘任務ですよ!?)
表情に出すまいと必死で口角を上げるが、背中に冷たい汗が流れる。
クラリッサは紅茶をひと口含み、ゆっくりとティーカップを置いた。
「観察なさい。けれど、紅茶を冷ますほど退屈はさせないつもりよ。」
その宣言の意味を、俺は数分後に身をもって知ることになる。
訓練場――。
普通、貴族令嬢の朝は刺繍や読書、もしくは花壇の手入れで始まる。
だがクラリッサは、ティーセットと細剣を持って現れた。
「では、礼法訓練を始めましょう。」
「礼法……? あの、剣を持ってますけど……?」
「ええ。社交とは“構え”から始まるのよ。」
そう言って彼女は、まるで舞うように一歩踏み込み――
カツン、と細剣が訓練用の木剣を弾いた。
その反動で、俺の手に軽い衝撃が走る。
一瞬で間合いを詰めた彼女の動きは、貴族の礼儀どころか暗殺者のそれだ。
(なにこの速度!? どこの流派だ!?)
驚いている間に、クラリッサは軽やかにティーカップを掴み――
次の瞬間、俺の剣の軌道をカップで受け流した。
「っ……!? いや、えっ!? お嬢様、それ今完全に戦闘魔法ですよね!?」
「違うわ。社交術よ。淑女の嗜み。」
カップから紅茶が一滴もこぼれていない。
(この人、重力と常識を同時に無視してないか?)
クラリッサは扇子で頬を隠し、涼やかに微笑んだ。
「あなた、護衛のわりに驚きすぎじゃなくて? 王都の訓練所では、紅茶を持った敵くらい日常でしょう?」
(そんな戦場知らねぇ!!)
リリア侍女がそっと耳打ちしてくる。
「ルシアン様、驚いてはいけません。お嬢様は昔から“茶会で生き残るための訓練”をされてきた方です。」
(いや何それ、どんなデスティータイムだよ!?)
訓練終了後。
俺はすでに精神的に全力消耗していた。
クラリッサはというと、まるで何事もなかったかのように紅茶を淹れ直し、
「あなたもどうぞ。訓練の後の一杯は格別よ」と微笑む。
……結論。
この屋敷で一番危険なのは、紅茶だ。
《観察記録 一日目》
彼女は笑っていた。剣を振るいながら、紅茶を零さずに。
優雅すぎて理解不能。紅茶と殺気の香りが同居している。




