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6話

老人の家を後にした帰り道。


ゆるやかな坂を下りながら、私はそっと自分の手のひらを見つめた。


さっきまで光っていた温かな“スキルの名残”は、もうすっかり消えていた。


けれど――


胸の奥には、まだじんわりとした余韻が残っている。


まるで、誰かを抱きしめたあとみたいな、優しい“ぬくもり”。


 


「……スキルって、こんなふうに変わるんだ…。」


 


最初は“不要なものを消す力”だった。


でも今は違う。

私は、“その人に必要な何か”と、そっと向き合うようになってきている。


そしてきっと、それが「癒し」になっているのだと、少しずつ分かってきた。


 

ーーーーー


 


市場の朝は早い。


今日は、村で小さな市が立つ日だった。


行ってみると、まだ太陽がのぼりきらないうちから、野菜や果物、手作りの布なんかを並べた屋台がちらほらと並んでいた。


 


「あんた、こないだの?」


 


声をかけてきたのは、腰を曲げながらもしゃんとした目をしたおばあさんだった。


 


「ええ。この前伺ったご老人の家を……片付けました」


 


「…あのおじいさんの家ね。最近、ちょっと顔が明るくなってたから、ホッとしてたんだよ」


 


おばあさんは腕を組みながら、しみじみと頷く。


 


「奥さん亡くなってから、誰とも話さなくなっちまってね。

いつも市場を通っても目も合わせなかったのに、昨日は“ありがとうな”って……」


 


そこで一度、言葉を切って私の顔をじっと見つめた。


 


「……あんた、あんたの目は絡まったものを解くような…詳しくはわからないがそういう何かを動かして行く人の目をしてる」


 


思わず、息を呑んだ。


けれど、その目に何かを悟ったような優しさがあって、私はそっと頷き返した。


 


「片付けることが…人よりできるのかもしれないです。…もしまた何か手伝えることがあれば……」


 


そう言うと、おばあさんは少し黙ってから、遠くの屋台の方をちらと見た。


 


「……実は、気になってる子がいるんだよ」


 


視線の先には、小さな籠を手に、買い物もせずにじっと立ち尽くしている女性がいた。


肩をすくめて、目はどこか焦点が合っていないようで。


周囲に人がいても、まるでそこにいないかのような、閉じた雰囲気を纏っていた。


 


「あの子ね、ちょっと前に旦那が浮気して家を出てっちまったのさ。

それから、ずっと……」


 


おばあさんは言いづらそうに言葉を濁した。


 


「……家に帰っても、片付けられないみたいでね。

近所の人も、心配はしてるけど誰も踏み込めない。

あたしも、なんにもできなくてさ」


 


私はそっとその女性を見つめた。


確かに、あの目は――“見失っている”。


何を、どこへ、どうしていいのかすら分からず、ただ立ち尽くしている目。


 


私は思った。


あの居間で、埃の下に隠れていた鍵。

ぬくもりのこもった木箱と、手紙。


そして、「ありがとう」と言った老人の横顔。


 


……そうだ。


今度は、彼女の中にある“片付けられないもの”を、ちゃんと見つけてあげたい。


 


「……その方の家に…行ってみます」


 


私がそう言うと、おばあさんは少し目を細めて、うん、と頷いた。


 


「……あんたになら、任せられるかもしれないね。

どうか、あの子の“居場所”を、思い出させてやっておくれ」


 


 


ーーー


 


後日おばあさんに教えてもらった道を辿り、女性の家へと向かった。


小高い丘の途中、木々に囲まれたその家は――


遠目からでも分かるほど、塀の隙間から雑草が伸び、庭の石畳は崩れかけ、玄関の前には空き瓶や紙袋や紐が転がっていた。


私は、扉の前に立ち、深呼吸をした。


 



「……ごめんください」


 


小さな声でドアをノックしたが沈黙が返ってくるだけだった。


風の音。木々が揺れる音。どこか遠くで鳴る小鳥の声。


この家だけが、時間から取り残されたように、静かだった。


 


けれど――


 


カチャリ、と、内側から錠の音がした。


扉がわずかに開き、顔の半分が見えるほどの隙間ができた。


その奥にいたのは、市場で見た女性だった。


 


やせ細った顔に、うつろな目。


髪は乱れ、肩には小さな埃が落ちている。


その目が、こちらをじっと見つめたまま、言葉を発さずにいた。


 


「……あの、おばあさんに、話を聞いて。もし、お困りなら、少しでも……お手伝いできればと思って」


 


私はゆっくりと言葉を選びながら、頭を下げた。


女性はまだ何も言わなかったが――


 


少しだけ、扉が開いた。


中に入ってもいい、という無言の合図だと、私は受け取った。


 


 


中に足を踏み入れた瞬間、ふわりと古びた匂いが鼻をついた。


湿った布、黴びた紙、しけった埃。


それはかつて、あの居間で嗅いだ匂いに似ていた。


 


靴を脱いで上がると、廊下には洗濯物の山。新聞や空き瓶が積み重なり、生活の音はどこにも感じられなかった。


通された居間も、同じだった。


 


家具の間には新聞の束、倒れた籠、埃をかぶった食器や服の山。少しだけ腐敗臭もする。


荒れ果てた部屋のその中央に、女性は小さな座布団を敷いて、膝を抱えて座っていた。


まるで、その場所から動けなくなってしまったかのように。


 


私は隅にある寝具や脱ぎ捨てられた服の山の前にしゃがみこみ、そっと小さく息を吐いた。


 


「……ここから、始めますね」


 


彼女は頷きもせず、ただ、じっとこちらを見ていた。


けれど、それでよかった。


今は、ただ“居る”だけで、いい。


 


 


私は手を伸ばし、崩れた毛布の下の箱に触れた。


次の瞬間、ほんのりと手のひらがあたたかくなる。


光は、以前よりもやさしい色に変わっていた。


 


強い輝きではなく、まるで膝掛けのような、穏やかなぬくもり。


触れたゴミが、ふわりと粒子になり、そっと空気に溶けていく。


 


その光が消えたあと、箱の中から埃まみれの日記が出てきた。


 


私はそっと開いた。


そこには、笑っている彼女と――隣に寄り添う男性の絵が描かれていた。


おそらく旅行先で記念に絵を描いてもらったのだろう。2人は花畑の前ではにかんだ笑顔で手をつないでいた。


 

私は何も言わず、その日記帳を丁寧に閉じて、布をかけた。


 


その瞬間。


彼女の息が、かすかに震えた。


 


声ではない、でも、確かに反応だった。


 


私は、微笑んでから次の山に手を伸ばす。


 


「……大丈夫です。時間がかかっても、いいですから」


 


彼女はまだ何も言わなかった。


けれど、さっきよりも、ほんの少しだけ背筋が伸びていた。


 


ぬくもりのスキルが、部屋の空気を包んでいく。


静かに、確かに――この家の中の“何か”が、ほぐれはじめていた。

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