20話
最後の鍵を手にした夜。私は夢を見た。
柔らかな月光に照らされた湖のほとりに、彼女は立っていた。あの日、転生の時に会った少女の姿の“女神様”。
「ありがとう…ついに…ここまで来たのね」
その声はどこか寂しげで、けれど安心したようでもあった。
「……次の場所は、わたしには……手に負えなかったの」
女神様はそう言って、そっと視線を伏せた。
「この世界には、かつてわたしが封印した“場所”がいくつかあります。
けれど、最後に残ったひとつ……そこだけはどうしようもできなかった…」
風が湖面を揺らし、女神様の髪がなびく。
「そこは、“わたしの心”に繋がっています。
わたしがしまい込んできたもの――失敗、後悔、見失った自分。
神として在るために、手放さなければならなかった人間としての想いの全て」
その目に、わずかに怯えの色が混じる。
「私は怖かったの。向き合う事が怖すぎて、その場所を、封じることでしか、自分を保てなかったのよ」
私は無言で頷いた。
女神様は、ゆっくりと手を差し出す。その手に、最後の鍵がそっと触れる。
「だからお願い。わたしの“心”を、あなたの手で片付けて」
夢から目覚めると、鍵がほんのりと温かく光っていた。
ーーー
その洞窟は、山深い静かな場所にあった。
誰にも見つからないように、ただひっそりと、森の奥にぽっかりと口を開けている。
入り口に立ったとき、不思議と“懐かしい”気持ちが胸に広がった。
まるで、ずっと前にここへ来たことがあるかのように。
一歩足を踏み入れると、空気が変わる。
静かで、重くて、どこか温かい。
奥へ進むほどに、壁にはたくさんの“映像”が映っていた。
子どもの頃の彼女。小さな体で必死に、誰かのために頑張っている。
誰かを助けた後に、ひとりで夜を迎える姿。
「ありがとう」と言われるたびに、遠くなる本来の“自分”。
「女神様」と呼ばれるようになってから、笑顔を貼りつけた彼女は、
どこかで自分を、置き去りにしてしまったのだろう。
洞窟の最奥、光の届かない場所に、少女の姿をした彼女はぽつんと座っていた。
その表情は――
“誰にも助けてとは言えなかった”人のものだった。
「……来てくれたのね」
彼女はそう言って、微笑んだ。
でもその笑みの奥には、長い時間の痛みと、諦めがあった。
「私は、たくさんの人を助けたかった。だから“女神”になった」
「でもそのうち、誰かを癒すために、自分を隠すようになった。
弱いままじゃいけない、間違えちゃいけない、そう思い込んで……」
私が静かに袋の中から、旅の途中でもらった“ぬくもりの袋”を取り出すと、彼女は少し目を見開いた。
「……それ、懐かしい匂いがします」
私はそっとそれを彼女の手に乗せた。
「ねえ、“失敗”って、どうやって片付ければいいの?」
彼女は目を伏せて尋ねた。
私は、少し迷ってから答えた。
「……たぶん、捨てるんじゃないんだと思います」
「しまい込んで、見なかったことにするんでもなくて。
誰かに見せて、“これも私だった”って言えるようになること……かなって」
彼女の目から、ひとしずく、涙がこぼれた。
その涙が、床に落ちた瞬間――
壁に映っていた“過去の記憶”が、ふわりと光に変わった。
それは、過去を否定するものではなく、“赦された記憶”となって、静かに空へと昇っていく。
洞窟の奥に差し込んだ光が、彼女を照らす。
少女の姿だった彼女は、少しずつ大人の女性の姿に変わっていく。
その変化は、まるで――
“ひとりの人間”として、ここに帰ってきたかのようだった。
「ありがとう……」
彼女は、心からの声でそう言った。
「私は、もう、“誰かの神様”じゃなくてもいいのかもしれない」
「求められる姿を演じることをやめて…もう一度、“私”として、生きてみたい」
最後のスキルが、静かに手の中に灯る。
《共生》──誰かと共に生きる力。自分を偽らず、寄り添いながら歩む力。
洞窟を出た私たちの背後で、記憶の欠片たちが光となり、空へと還っていった。
そして、長い長い夜が明けるように、あたりが柔らかく照らされていく。
「……今度は、私の部屋を片付けようかな。まだ、ちょっと物置きみたいだから」
「じゃあ、心の中の◯シダさんと、心のこんまりさんにも手伝ってもらわないと」
「……誰それ?」
「大事な心の師匠たちよ!」
ふたりの足音が、光の中に溶けていく。
それは、世界がまた、“誰かの心”から静かに始まり直していく音だった。




