2話
目を覚ました時、天井の隙間から差し込む朝の光と一緒に、ふわりと埃が舞った。
「……っくし!」
小さなくしゃみをして、私は身を起こす。
まだ、夢を見ているみたいだった。
床に敷かれていたのは、干からびた藁の束。かろうじて体を横たえられるスペースがあって、昨夜はそこに丸くなって眠ったらしい。
起きて改めて見渡すこの家は、想像以上にボロボロだった。
崩れかけた家具、埃で暗くベタついた柱、割れたガラス窓。壁際には、何に使うかもわからない道具と、埃が層になって積もっていた。
それでも、私は――
「……ちゃんと、屋根がある」
思わず、声に出していた。
家賃も払えなくなってアパートを追い出されそうになっていた現世より、ずっと安心できる。不安はある。でも、ここには“終わりの気配”がなかった。
(ここで……生きていけるかも)
そう思えたことに、ほんの少し、自分でも驚く。
そして私は、小さく深呼吸をした。
(……◯シダさんなら、どうする?)
問いかけた心の中に、自然と浮かぶのは――いつも汗をかいて笑っていた、動画の中のあの“心の師”。
『まずは動線の確保からですね! 出口と入口、しっかり見えるようにしましょう』
あの優しく明るい声が、ふわりと心を押してくれる。
「はい、◯シダさん……!」
思わず口元が緩む。
なんだか、今なら動ける気がした。
私は立ち上がって、家の入口に積もっていた古木のかけらを一つずつどかしはじめた。
こうして、わたしの異世界片付け生活は、静かに始まった。
居間の隅に転がっていた木箱を脇に寄せて、私はキッチンへと足を踏み入れた。
「うわ……」
鼻をつく、湿気と金属の匂い。棚という棚にほこりとカビ。流し台の下には、謎の瓶や、朽ちかけた木の桶が押し込まれていた。
(けど……水、出るかな?)
期待半分、不安半分で蛇口をひねる。
……ゴポッ……ガタン……。
「……っ!?」
金属の奥から呻くような音がして、一瞬びくっとしたけれど――
チョロ……チョロチョロ……。
やがて、茶色く濁った水が少しずつ流れ出てきた。
「出た……! 出るじゃん、水……!」
歓声をあげた私の頭に、また“あの声”が響く。
『最初の水はさび色でも大丈夫。出続けていれば、そのうち澄んできますよ』
(ありがとう、◯シダさん!動画内でそんなこと言ったこと無かったはずだけどありがとう…!!)
蛇口の下に転がっていた鍋を洗い、汚れた皿や食器らしき破片も、使えそうなものだけ選別する。
『まずは動線確保ですね』
「はい!」
棚のガラスが割れていたので、布切れで覆って応急処置。キッチンの床に落ちていた壊れた鍋や黒く焦げた何かは、木箱にひとまとめにして外へ運ぶ。
そして、私は勝手口を開けた。
ギィ……という重い音と一緒に、湿った風が吹き抜ける。
そこは、完全に自然に飲み込まれた裏庭だった。
地面の大半は蔦に覆われ、瓦礫と苔が混ざっている。倒れた木の板、古びた木製の椅子、錆びた鉄くず……もはや“庭”というより、“自然と家の境目”だった。
でも。
(あの奥……なんか、光ってる?)
蔦をかき分けて進むと、そこにはぽつんと、石組みの井戸があった。
崩れかけた石のふちには苔がびっしり張りついていたが、風に揺れて井戸の水面がきらりと反射した。
「……すごい。生きてる……」
この家には、まだ命がある。
気がつくと、涙がこぼれていた。
泣くほどのことじゃない。
でも、なんだか胸がいっぱいだった。
そんな私の中に、ふとまた女神様のような少女の声が響く。
『この井戸は、あなたの“再生”のはじまりになりますよ』
私は深く息を吸って、井戸の水を、そっと掌にすくった。
冷たくて、透明で、すこしだけ土の匂いがして。
……でも、なぜか、涙よりもあたたかく感じた。