18話
次の封印場所は森の奥のさらに奥だった。
女神様が言うには、ここには力の強い魔術師が住んでいると言う。彼は身近な人間から裏切られ、傷付き魔力が暴発しそうになっていた。実際に数名の犠牲が出たのでやむなく封印したのだと言う。
しばらく森の奥を歩いていると、風すら息を潜めるような静けさの中に、ひっそりと立つ石造りの塔があった。
灰色の塔は重く沈黙し、太陽の光さえ届かないように見える。
けれど私は、手に握る鍵のぬくもりを頼りに、その前に立っていた。
女神様がかつて封印した“想い”――
今度は、その扉を開ける番だ。
「……行こう」
鍵が、静かに光った。
そして、重たい扉がきい、と軋んで開いた。
中に一歩足を踏み入れた瞬間、肌にひやりとした気配が触れる。
まるで感情というものが完全に凍てついたような、乾いた空間だった。
壁も、床も、天井も、すべてが硬く、冷たく、無機質。
その中に、あちこちに人のような“石像”が佇んでいた。
その瞳の奥には、うっすらとした苦しみや悲しみが刻まれていた。
これは彫られた像なんかじゃない。
人だったものが、何かに触れて――石になったのだ。
「……こんな寂しい場所でひとりで……ひとりで耐えてきたのね」
そう呟くと塔の奥から気配した。
そして足音もなく現れたその男は、黒いローブを身にまとい、長い髪を乱したまま立っていた。
目元は深い隈に縁どられ、無機質なガラス玉のような目だった。
「……また誰か来たのか」
「あなたが、この塔の――」
「止めておけ。近づけば、君も石になる」
男の目は、警告の色を宿していた。
その言葉を裏付けるように、彼の足元には崩れた椅子や机、砕けた魔術具の欠片が転がっていた。
「……感じないようにしただけなのに。
痛みも、後悔も、全部……“石にして閉じ込めた”だけだったのに…私のことを案じてくれた人もかつてはいた…でも……彼らが私に触れると…彼らは石になった…」
――彼は、“心を石にした”のだ。
「心はいつもおし潰されそうだった。
誰かに優しくされるたびに、罪悪感で焼かれそうだった。孤独感と罪悪感…全てが僕を責め立てるように感じた。何をみても僕への非難に聞こえた。
だから……閉じたんだ。自分ごと、感じなくなれば、全部終わるって……」
静かに涙を流すでもなく、ただ彼は言った。
「でも……それが、“呪い”になった」
誰かに、何かに触れるたびに、彼の“石の心”が伝播し、相手の命までも石にしてしまう。
そのことに彼は気づいた時、誰とも話さず、触れず、ただこの塔の奥で眠るように閉じこもってきた。魔力のおかげで死ぬことはない。いや、死ぬことすらできなかった。
私は静かに前に進んだ。
彼が一歩引いた。
「……やめろ」
「大丈夫。もう一度だけ信じてみて…。」
私は手を差し出した。
その指先が、彼の手に触れた瞬間――
ぶわっ、と、胸の奥が熱くなった。
光が――いや、ぬくもりが、じわじわと広がっていく。
彼の中に石のように閉じ込められた“感情”たちが、私のスキルに呼応するように浮かび上がる。
燃えるような後悔。
抱きしめられなかった恋人。
助けられなかった弟子。
止められなかった過去の自分。
それらがひとつずつ、言葉にならない悲鳴のように、塔の中に渦巻いた。
私は、両手で彼の手を握りしめた。
「……あなたの中に、こんなにも“想い”が詰まっていたのね」
魔術師の目が、ゆっくり見開かれる。
「わかってもらえる日が来るなんて…」
「うん。私もたくさん、捨てられなかったから」
私は微笑んで、小さく言った。
「だから、こういうときは――“ありがとう”って言って、手放すの」
「…ありがとう?」
「ええ、とてもありがとうなんて思えない事がたくさんあったよね。許せない想いもあったよね。それで良いの。生きるって…そう言うことよ。何もかもが理想通りなら言うことはないわ、でもそんな事ない。不条理なこともある。そんな中で…あなた頑張って生きてきたんじゃない。もがき続けてきたんじゃない…そんな自分にありがとうって…言ってみない?」
私は深く息を吸って、手を彼の胸にそっと重ねた。
「人を傷つけてしまった事もあるよね。反省して、ごめんなさいって罪滅ぼしをしよう?やってしまったことはもう変えられない、だからこそ行動で示していくしかないの。許すか許さないかは相手次第よ、あなたはあなたのできることをするしかないのよ。」
「さあ、自分にありがとうって言おう。そして傷つけた人にはごめんなさいって言おう?」
その瞬間、塔の天井からまぶしい光が差し込んだ。
塔の中にあった石像たちが、ひとつ、またひとつと、温かな光に包まれていく。
そして、ゆっくりと、元の姿へと戻っていった。
魔術師は、崩れるようにその場に膝をついた。
はじめて、声をあげて泣いた。
その姿は――
もう、呪いに囚われた魔術師ではなかった。
ただ、過去から解放された、ひとりの人間だった。
私はそっと彼の背を撫でた。
「大丈夫。ちゃんと終わらせられたね」
塔の外には、春の風のような空気が流れ込んでいた。




