16話
誰も住んでいない、けれど、誰かの想いだけが取り残された村。
その奥――
森の深くへ続く、古びた獣道を進んだ先に、私は“それ”を見つけた。
巨大な岩に囲まれた、自然の裂け目。
吸い込まれるように黒くぽっかりと空いた洞窟の入り口。
けれどその前には、小さな祭壇のような石が置かれていた。
そして――
「ここよ」
聞き覚えのある声が、風に混じって響く。
女神様。
いや、かつて片付けの力を持って転生してきた“人間の先輩”。
あの白い服の少女が、微笑みながらそこにいた。
「ここが最初の“封印”の場所」
私は、息をのんだ。
鍵を取り出すと、それはゆっくりと光りはじめる。
「この扉を開けるには、あなたの力が必要なの」
少女――女神様は、申し訳なさそうに目を伏せた。
「……あのとき、私はこの洞窟の中に“彼”を封じた。私自身の祈りと一緒に」
「“彼”って……?」
女神様は静かに頷く。
「かつて、この世界を滅ぼしかけた“想いの怪物”。
でもそれは、最初から“悪”だったわけじゃない。ただ、悲しみと拒絶を誰よりも知っていた存在」
「だから……」
「私は彼を、切り捨てるんじゃなく、“しまって”おいた。いつか、ちゃんと向き合ってくれる誰かが現れるまで」
私は手のひらの鍵を見つめる。
これは、扉を開けるもの。
そして“再び、向き合う”ためのもの。
「あなたにしか、できないと思ったの」
「あなたは、“物”を通して心を見つめることができる。
心の奥にある、“片付けられなかったもの”を拾い上げて、光に変えることができる」
女神様は優しく微笑んだ。
「お願い。
この洞窟の奥にいる、“彼”の心を――どうか、片付けてあげて」
洞窟の入り口が、鈍く震えた。
中からは、冷たい空気と、微かにすすり泣くような音が聞こえる。
私は、小さく息を吸い込んだ。
そして、一歩――扉の前に進み出た。
「……分かった。私が、“向き合って”くる」
――こうして私は、封印された想念の第一の地、“洞窟の記憶”へと足を踏み入れる。
そこに待っているのは、
世界に拒絶された“少年”の形をした記憶。
片付けるべき、“最初の想い”。
それは――
「自分には、生きていていい理由がない」と固く信じている存在との、対話の始まりだった。
洞窟の中は、しんと静まり返っていた。
歩くたびに、足元の小石が乾いた音を立てる。
けれど、それすらもすぐに闇に吸い込まれて、何もなかったように消えていった。
「……寒い」
思わず、胸元を押さえる。
光もないはずの空間なのに、私の足元だけはうっすらと淡く光っていた。
これは、きっと“鍵”の導き。
奥へ、奥へと進んでいくと、
やがて、広い空間に出た。
そこには――
ぽつんと、少年がいた。
黒いフードを被った、細く小さな背中。
まるで、世界に置いていかれたように、ぽつりと立っている。
「……あなたが、ここに封じられていた“想い”?」
問いかけても、少年は答えなかった。
けれど、彼の周囲には――
朽ちた机、破れた本、ちぎれた手紙、壊れた椅子。
どれも、おそらくはかつて彼が使っていたもの。
“過去の断片”が、静かに積もっていた。
私は、一歩近づく。
足元にあった古いノートをそっと拾い上げる。
そこに書かれていたのは、
何度も消して書き直されたような、たった一行の文字。
「ここにいてもいいですか」
その瞬間――
空間が、ゆっくりとざわめいた。
少年が、ゆっくりとこちらを振り返る。
目元は隠れていて見えない。
けれど、その影からは、まるで泣いているかのような雰囲気が伝わってくる。
「君は――」
そのとき、少年が初めて口を開いた。
「捨てたんだ、全部……!」
声は幼く、かすれていた。
けれど、その奥には、長く積もった“罪悪感”があった。
「僕が手放したものは、誰かの言葉、誰かの優しさ……僕はそれを受け取る勇気がなかった。
誰かを好きになった記憶も、怒った顔も……全部」
彼のまわりにある“モノ”たちが、かすかに震えた。
そして、それはまるで叫ぶように、空間に響き始める。
「捨てたくなかったんだ!」
「忘れたかったわけじゃないんだ!」
「けど、持っていることが、つらすぎたんだよ!」
「心の底から、ここにいて良いと思えないんだ!!」
私は、胸がぎゅっと締めつけられるのを感じた。
まるで、あの頃の私自身が叫んでいるようだった。
部屋にこもって、何もかも抱えて、誰にも言えなくて。
「こんな自分、捨てちゃえばいい」って、思ったあの夜。
私は、そっと目を閉じて、口を開いた。
「……知ってるよ。苦しかったよね」
少年の叫びが、ふと止まった。
「誰にも見つけてもらえなかったんだよね」
ゆっくりと近づいて、私は彼のそばにしゃがみ込む。
手のひらを差し出す。
「つらいよね、苦しいよね。
手を差し伸べてくれる人を遠ざけて、拒否することで自分自身がこれ以上傷つかないように、守ろうとしてくれたんだよ。そこには自分自身への愛が確かにあったんだよ。あなたは、あなた自身が自分と向き合える日をずっと待っていてくれた。その気持ちにありがとうって言ってみない?」
少年の肩が震えた。
「そんなふうに、思っていいの……?」
私は、そっと微笑んだ。
「こ◯まりさんも言ってた。“ときめかないものは手放しましょう”って」
自分で言って思わず吹き出しそうになった。
(ナチュラルに◯シダさんだけじゃなくてこ◯まりさん出てくるじゃん……びっくりだよもう。)
「でもね、ただ捨てるんじゃない。“ありがとう”って言ってから、手放してあげるの。
――それが、別れじゃなくて、お礼なんだと思う」
少年は、しばらく黙っていた。
けれど――やがて、おそるおそる手を伸ばし、壊れた椅子にそっと触れた。
「……ありがとう。もう、大丈夫だよ」
その言葉とともに、椅子がふっと光に包まれて――
ゆっくりと、粒子になって空へ舞い上がっていった。
まるで、“許された”ように。
次々に、過去のモノたちが光に変わっていく。
少年の目元にかかっていた影が、ゆっくりと晴れていく。
「……ありがとう、迎えに来てくれて」
彼は、小さく笑った。
それは、まるで――
この洞窟の奥にずっとしまわれていた“寂しさ”そのものが、
ようやく誰かに見つけられた笑顔だった。
そして、最後に残ったのは――
小さな、古びた鍵だった。
私はそれを拾い上げ、胸に抱いた。
これはきっと、次の“封印”の扉を開く鍵。
私の旅は、まだ続く。
片付けとは、ただ整理することじゃない。
「想い」を見つけて、「ありがとう」と言って手放す――その繰り返し。
そうして私は、またひとつ、世界に溜まっていた“片付けられなかった想い”を、
光へと変えていったのだった。




