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白鳥の恋心と取引

生徒会の任期も、終わりが近づいていた。

2年の2学期後半から、現会長である神代京雅の指名を受けて生徒会・会計に配属された僕

──ウィリアム・白崎は、ようやく解放される多忙な業務からの安堵と、ほんの少しの寂しさを抱えていた。


校舎五階。まだ誰も来ていない生徒会室で、今期の活動記録と予算資料の整理をしていると、ふと手が止まる。


――この部屋には、本当に助けられた。


神代会長の女嫌いの影響で、生徒会メンバーは男子だけ。

それがどれだけ救いだったか。僕にとって、この部屋は“外”からの視線を避けられる、ほんの少し息ができる場所だった。



「ガチャリ」と、重い木製の扉が開く。


伏見雅臣(ふしみまさおみ)副会長と、そして神代京雅(かみしろきょうが)会長が入室してくる。

いつもどこか不機嫌そうな顔をしている会長が、今日はなぜか機嫌が良さそうだった。


「いつも早いな、白崎は」

「お疲れ様、白崎」


伏見先輩が、ずれた眼鏡を軽く直しながら挨拶してくれる。

声のトーンがいつもより柔らかい。あの無表情な彼までが、どこか上機嫌に見えた。


神代会長はそのまま奥の生徒会長の木製の彫刻が見事な机へと進み、執務の準備を始める。

筆記用具を、定められた順序と間隔で並べる。

──シャープペン、ボールペン、赤ペン、消しゴム、印鑑。

どれもミリ単位で場所が決まっている、まるで儀式のような準備。


一種のジンクスの様なもので、会長は本気でこれをやらないと仕事ができない。

それは通常の授業でも一緒で、筆記用具の位置、間隔は常に一定じゃないと心のおさまりが悪いそうだ。


しかし、今日は違っていた。

見慣れたいつもの光景に、一つだけイレギュラーがあった。


机の端の邪魔にならないところに、ジッパー袋に入れられたハンカチが、まるで宝物のように置かれた。それは、使うつもりなど微塵も感じさせない、ただそこに飾るためだけの存在。

いつもは決して口ずさむことのないメロディーを口ずさんでいる。


その異常なまでの上機嫌さがなんだか気味が悪く、すすすと、僕の向かいの席で筆記用具をだしている伏見先輩に小声で声をかける。


「先輩、会長……なんだか、様子が……」

「俺もよくは知らんが、土曜日に灰葉薫と食事をしたらしい」


「えっ……薫ちゃんと!?」


「なんだ、お前、知らなかったのか。会長、あの子に“ほの字”らしい」


“ほの字”って、なんだ……?


「惚れてるってことだ」


一瞬、呼吸が止まった。

――まさか、あの神代京雅が。


しかも、その相手が自分の、大切な、幼なじみだなんて。

その瞬間、僕の中で衝撃と共に体の毛穴から汗が噴き出す。

容姿、知性、家柄、影響力……申し分ない。


――そんな完璧な人が、薫ちゃんに惹かれている?

――いつ、一体どこで、薫ちゃんに惹かれたの?


陽人と仲良くしているのを見るだけでも、胸の奥が少し痛んだのに。


「……おい、白崎」


伏見先輩が、僕の顔をのぞき込んでくる。


「い、いえ……あの会長が、って思いまして」

ちらりと会長の方を見れば、目が合ってしまった。


「白崎、お前、薫さんとは付き合い長いんだよな?」

「ええ、まあ……小学生ぐらいからの知り合いです」

「ああ、知っているさ。そして、紅野エリカともな」


伏見先輩はどこか憐れむような目で僕を見たかと思うと、そっと視線を落とし、作業に戻っていった。

会長は机に肘をつき、手の甲に顎を乗せて、どこか勝ち誇ったような笑みを浮かべていた。


「取引だ、ウィリアム・白崎」


「……は?」


「俺はお前の恋路に協力してやる。そう──お前が好きで好きで仕方ない紅野エリカ、彼女を生徒会に迎え入れる許可を出そう」


「(……女嫌いの会長が?)」

女子生徒の間では、男好きがささやかれるほど、女子生徒に対しての態度が冷ややかな生徒会長がなぜそこまでして薫ちゃんを欲しがるのだろうか。

そして、僕達の個人情報というものは、この生徒会室内では一切守られないことに、背中から冷たい汗が伝う。


「不思議そうだな。それほどまでに、俺は薫さんを必ず落としたい、誰にも()()()たくない。お前だってあの卓球部の劉・逸飛に獲られたくはないだろ?」


痛いところを突かれる。


「で、取引内容は……薫ちゃんの、情報ですか?」


「利口だな。情報だけじゃない、行動でも協力してもらう」


鋭い目で射抜かれ、僕は頷くしかなかった。

……でも、納得できない。


「一つ、聞いていいですか?」


「ああ、なんだ」


「なぜ、エリカの加入を許可していただけるのですか?あなたにとって、エリカは……」


「彼女は協力者になりうる。薫さんの“親友”だからな。薫さんに影響を与えられる存在、それが紅野エリカだ。そして先週の土曜日のデートの提案は、紅野エリカによるものだ」


「エリカが?」

正直意外だった。エリカは薫が大好きで、薫が異性と二人きりになるのを酷く嫌がっていたはずだ。

エリカなら気の利いたプレゼントを渡すように提案しそうなのに。


もしかして、薫ちゃんは会長が好きなのか?

だからエリカはランチデートプランを、?そんなはずはない。


僕らは毎日昼食を食べていて、話題に『会長』が出てきたのは薫ちゃんが倒れた次の週だ。

分からないが、なんだか気持ちが悪い。

エリカが絡んでいると分かった今、得体のしれない違和感を感じる。


ふと視線を感じてみれば、会長がこちらをただ静かに見ていた。

その目は本気だった。合理的で、冷酷で、そして

──薫ちゃんだけに向けられる、特別な執着がそこにあった。


「ありがとうございます、よくわかりました」

何もわかってはいないが、これから調べればいい。

会長は一度頷き、執務に取り掛かった。


用なしになった僕は伏見先輩の向いの席に腰かけてファイリングの作業に戻った。

伏見先輩の口元が「ご愁傷様」と動いた。


そういえば、会長はいつから薫ちゃんの事が気になっているのかと疑問に思う

目の前には淡々とPCにデータを入力している伏見先輩は会長の親戚であり幼馴染である。

会長と同じ赤髪に、鋭い目つきは、一族の遺伝的なものなのだろう。


「会長って、いつから薫ちゃんの事が好きなんですか?」

「中2から」

「え、中2!?」


声が大きいと咎められて、慌てて手を口に当てる。

副会長が作業をするふりをして、小声で話し始めた。


「始まりは、京雅の一方的な認識によるものだ。全国模試の結果が張り出される際、灰葉薫の名は常に神代京雅の上にあった。当時から京雅は負けず嫌いで、自分の肩書に寄ってたかってくる女にうんざりしていて、女子を頭の悪い奴らと一括りしていたんだ。そんな塾通わない女の子に京雅が負けたとなっては、自分のプライドが許さなかったんだ」


ちらりと書類を確認しながら押印をする会長をみた。

あの人昔からプライドの高さが変わっていないのか。


「それに彼女が模試を受けていたのは学校の評判を上げたいからという、校長からの直々のお願いということで灰葉自身は順位など本当に気にも留めていなかったんだ。その態度が酷く京雅の感に触っていた。そして彼女と初めて京雅が出会ったのは中学校の全国模試だ。数百人いる中で、なぜだか灰葉薫だとピンと来たらしい。テストが終わった後、京雅は急いで灰葉を追って、難癖をつけたんだ」


「え、違ったらどうするんですか?」


「それが不思議と当たっていたんだ。神の導きだろうね」

その光景を思い出すように宙を見て、口に笑みを浮かべながら再び話し出した。


「俺はドキドキしたよ。ずっとあいつは頭の中は灰葉で一杯だった。そんな京雅は一体何を話すのかと。蓋を開けてみたら馬鹿だのアホだの顔を真っ赤にして突っかかっているんだ。あいつは家が厳しいから、悪口のレパートリーが全くなくてな。本当にはたから見て幼稚で俺は人生で一番笑ったよ」


僕は初めて伏見先輩が笑うところを見た。

いや、彼は教師や同級生に対してにっこりと微笑むことはあったが、こう、子供のように顔をここまで崩して笑うことがなかったのだ。


「おい、雅臣」


流石に伏見先輩の笑い声で気づいたのか、何を話しているのか察した会長が耳まで真っ赤にして咎める。

「いいじゃないか、お前の協力者になるんだから」


「いや、そこまで話す必要はないだろ」


「俺が白崎の立場だったら絶対にいやだね。自分の弱みを握って、自分の大切な幼馴染と仲良くさせろなんて奴は。何が何でも妨害するよ、俺は。」


「お前!」


「ま、そういうことだ。」

そういって彼は会長を無視して話を進めた。

その日表情は愉快でたまらないという顔だった。


新たな一面を見れたことにほっと胸をなでおろす。

なんだ、この人たちも僕と同じ人間なんだと。


「京雅はそのあと、途端に冷静になり、自分の行動が幼稚で恥ずかしくなったのか今度は顔を真っ青にした。厳しい親の顔が浮かんだんだろう。そんな京雅に対して灰葉は」

『あなたも必死だったのね。私もみんなのために強くならないといけないの。それじゃ、また』

「そういって彼女は京雅の痴態に対して責めもせず、笑いもせず、肯定をして実に冷静かつ知的に対応した。そして一切こちらを振り向かず、駅へと続く道に消えていった。まあ、そんな自分の周りにいなかった秀才で、可憐で、大人びた彼女にこいつはコロっと落ちたわけだ」


めでたしいめでたしと、話を締めくくった。

「満足か、ほら仕事しろ!」

拗ねながらぽつりと僕らに指示をして、僕らは大人しく資料の整理を始めた。




その日の夜、僕はベッドに寝転んで放課後の出来事を思い出す。

正直、直ぐには協力するつもりはない。

僕が薫ちゃん離れできていないのだ。

でも、会長がちゃんと好きで、薫ちゃんを追いかけていたのを知って、安心した。

会長は、僕と同じように嫉妬して、焦って、好きな人に振り回されて、成長した自分を見て振り向いて欲しいんだ。


これからも、生徒会で頑張ろう。

「ん?」

と眉間に皺が寄る。


ここで初めて僕は、後期も生徒会続行を理解した。

「折角解放されるかと思ったのに…」

はあ、とため息が出たが、あまり嫌な気分ではなかった。


なぜなら、後期はエリカも薫ちゃんもいてくれるのだから。

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